(2025.3.8 La Croix Anna Kurian=Agence I.Media)
教皇フランシスコが2月14日からローマのジェメリ総合病院で治療を受けているが、四旬節に入った”永遠の都”では教皇の退任の可能性をめぐる憶測が再燃している。
教皇は、自身の司牧はad vitamつまり終身である、と繰り返し述べる一方、前教皇ベネディクト16世の前例に従い、(体調など条件次第で)退任する可能性があることも示唆してきた。アルゼンチン出身の教皇は、ローマの年老いた司祭のための施設での生活や、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂での告解司祭としての奉仕を想像しながら、自身の引退について、長年にわたって思いを巡らせてきた。だが、 これまでは、それは仮説の域を出ず、教皇自身も常に退任する理由はない、と語って来た。
*「教皇が退任を表明しても、誰も驚かないだろう」
しかし、退院予定日も定まらない長期の入院が続く中で、この問題が再び浮上した。「今は”待機期間”。教皇が退任を表明されても、誰も驚かないでしょう」とバチカン内部のある関係者は語った。この話題に関する会話は開かれつつあるようだ。イタリアのジャンフランコ・ラヴァーシ枢機卿を含む一部の枢機卿は、退任の可能性について報道機関に示唆している。バチカン国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿は、そのような話は「無益な憶測」だ、と一蹴しているが、水面下では、次期コンクラーベについて考え始めた者もいる。バチカン専門家の話では、「慎重に」対応されているという
*教皇の職務継続に懸念材料も、ヨハネ・パウロ二世教皇の前例
だが、懸念材料もある。「病状は長引いている。もし回復したとしても、本来の職務を再開できるだろうか?まったく不透明だ」。英語圏のあるバチカン・アナリストは「ヨハネ・パウロ2世の最後の数年間に戻りたいと望む人は誰もいない」という見方が強まっている、と指摘した。ヨハネ・パウロ二世教皇の場合、亡くなる前の数か月における健康状態の悪化が教会の統治に影響を与えている、と一部の関係者は受け止めるようになった。
8日までのバチカン報道官室の発表も、教皇の現在の容態は依然として「複雑」であり、長期的な予後も不明、と説明しているが、フランシスコの伝記作家であるオースティン・イべレイは「彼は、自分が弱く、か弱い教皇であっても構わないことを示唆している。車椅子の教皇でも、定期的に病気になる教皇でも構わないのだ」と語る。
教皇は、前教皇に倣って“退任の伝統”を築いてはならない、という責任も感じているかもしれない。退任が日常的になれば、「将来の教皇が年を取るにつれ、それが退任を促すプレッシャーとなる」可能性があるが、イベレイは「長期にわたる退行性または衰弱性の疾患により、教皇としての職務を完全に遂行できなくなった場合は、退任を検討する、とも語っておられる」とも言う。
*教会法では、退任はあくまで「本人の自由意志」としているが
教会法では、教皇の退任は本人の自由意志によるもので、正式に宣言された場合にのみ有効となる。教会法の専門家は「退任は教皇個人の決断でなされるもので、誰も強制できない」と強調している。これは微妙な問題を提起する—教皇が退任すべき時を見極める能力だ。専門家は「教皇が決定を下すことができない場合はどうなるのか? もし統治能力が欠如しているにもかかわらず、退任を拒否した場合はどうなるのか?」と問いかける。
教会法は、教皇の職務が「完全に妨げられている」状況について言及している(第335条)。しかし、これは依然として法的に”灰色の領域”であり、特に教皇が意思を伝えたり表明したりできない場合においては、その状態が続くことになる。教皇フランシスコは、このような事態を想定され、2013年に体調不良により教皇としての職務を継続できなくなった場合に備えて辞任願に署名したことを明らかにしたことがあるが、この辞任願の詳細は明らかになっていない。
*病床から聖人認定の会議を招集されたが、日程は未定のまま