(2025.5.21 La Croix Malo Tresca and Lauriane Clément, Delphine Norbillier, Julie de la Brosse, Isabelle de Lagasnerie, Alban de Montigny
フランシスコは去ったが、Laudato si’は生き続けている—故教皇フランシスコが2015年5月24日に世界の環境危機に焦点を合わせた初の回勅を発表されて、24日で十年を迎える。この間、この回勅が自分の生き方や教会、世界にどのような影響を与えたのか、複数の関係者に聞いた。
フランシスコはこの回勅で、生態系、経済、社会、そして精神的な危機が絡み合う今日の危機の根源に切り込んでいる。「すべての危機はつながっています」と述べた故教皇は、回勅で、科学的な真理に道徳的ビジョンを根拠づけることを、世界の指導者たちの誰よりも明確にした。
「教皇フランシスコは、私たちよりはるかに巧みに危機を表現された」と、LaCroixの環境専門家ネットワークのメンバーである古気候学者のヴァレリー・マッソン=デルモットは語った。
『Laudato si’』とそれに続く使徒的勧告『Laudate Deum (神をほめたたえよ)』が世界に環境革命をもたらさず、環境優先への転換に完全に火をつけられなかったことを嘆くことはできる。さらに悪いことに、気候変動否定論は今や”投票箱”にまで入り込んでいる。
だが、この回勅、使徒的勧告は、私たちの地球を守る動機づけの源、変革への道しるべ、そして現実主義と希望が両立可能だという証拠であり、依然として私たちに欠かすことができないものとして、あり続けている
回勅十周年を記念して、La Croixは著名人にインタビューし、『Laudato si’』がどのように自分たちに課題を突き付け、鼓舞され、努力を促してきたかを振り返ってもらった。
*「世界の指導者によって書かれた最も包括的な環境文書」
=セドリック・ヴィラーニ(フィールズ賞受賞数学者、2013年から教皇庁科学アカデミー会員)=『 Laudato si’』を初めて読んだ時、私たちの世界的状況を明晰に総合的に語っていることに衝撃を受けた。世界の指導者によって書かれたエコロジーに関する文書としては、これまでで最も完全なものだ。教皇フランシスコは、科学的に厳密に地球の状況を分析し、いかなる主要な問題も逃していない。
これほどバランスの取れた文章は珍しい。地球温暖化だけでなく、公害、水不足、生物多様性、社会的不平等、ロビー活動の破壊的影響などにも言及している。この文書が力強いのは、個人の責任と、強力な国際協定の必要性を結びつけているからだ。
私は、コロンビア北部のシエラネバダに住むコギ族の人々と2週間暮らしたことがあるが、回勅の146項は、そうした先住民のコミュニティ、つまり「自分たちの領土を最もよく守る」コミュニティへの特別な配慮を促しており、私の心に深く響いた。
科学者であり、不可知論者でもある私は、『Laudato si’』が科学と現実に根ざした精神的関与のモデルであると考える。科学的な世界の説明から始まり、私たち共通の家を大切にするための愛と力の源としての信仰を持ち込む。科学に耳を傾ける姿勢は、教皇フランシスコの特筆すべき点のひとつだ。
世界的な盲目状態を前にして、『Laudato si’』は私に希望を与えてくれた。2017年から2022年までフランスの国会議員を務めていたときにも、私はこの本を読んでいた。その続編である『Laudate Deum』と、社会的補完物である回勅『Fratelli Tutti(兄弟の皆さん)』によって、教皇フランシスコは、これらの重大な問題に関して、知的リーダーシップの最前線に、教会を置いたのだ。
*「人類が、回勅の警告を真剣に受け止めずにいるのは、悲劇だ」
=コリンヌ・ルパージュ(弁護士、元フランス環境大臣、『Laudato si’』の出版当時、国連の『世界人権宣言』の策定に取り組んでいた)=2015年に『Laudato si’』が発表されたのは、国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)で地球温暖化対策に関する国際的な枠組みが採択されたわずか数カ月前のことだった。
当時は、今日とは雰囲気が大きく異なっていた。コペンハーゲンでのCOP15の失敗の後、国際社会はようやく環境危機の緊急性を認識したように見えた。オランド仏大統領は、すべての人にとって住みやすい地球を確保するために、世界人権宣言を起草するよう、私に要請してきた。
『Laudato si’』は勇気ある先進的なものだった。単に環境悪化を嘆くだけでなく、テクノロジーやトランス・ヒューマニズム(人間の能力を増強するために、現在及び将来のテクノロジーを利用することを提唱する哲学的・科学的運動)、そして「無限の成長」という神話に対し、深い問いを投げかけた。「人類が創造主だ」という概念に挑戦したのだ。
その意味で、この回勅はディープ・エコロジー(生命の固有価値を尊重し、環境保護を重視する思想)の原則と密接に一致している。ディープ・エコロジーとは、人類による自然界の支配に疑問を投げかける哲学だ。教皇フランシスコは、すべての種の間の平等を主張するまでには至らないものの、動物や植物を問わず、すべての生命を大切にする義務を思い起こさせた。
フランシスコは、人間を地球の所有者とする”創世記の解釈”を否定する。私たちは地球の保護者であり、管理者であるよう呼びかけている。その責任は、住みやすい世界を受け継ぐ未来の世代の権利を求める一部の人々の法的な主張を支えるものだ。フランシスコは私たちに、「兄弟姉妹として、誰も傷つけることなく生きるように」と呼びかけた。
解決策は特に目新しいものではない。しかし、この回勅の強みは、その明快さと、包括性にある。生態系と人間の尊厳の両方を包含する、真のエコロジーへの転換を求めている。人類がこの警告を真剣に受け止めずにいることは、なんという悲劇だろう。私たちは今、その代償を払っているのだ。
*「『Laudato si’』は、驚きの書」
=ローラン・ベルジェ(フランスの民主労働総連合CFDTの元会長、現クレディ・ミュチュエル・アライアンス・フェデラル環境連帯研究所所長)=「私はカトリックの社会教説に親しんだ環境で育った。大学で歴史学を専攻していた時、ナントでのヴィルペレ司教の司教職(1936-1966年)に関する論文を書きながら、教会のテキストを読みあさった。それでも、常に教会の立場に同意してきたわけではない。だから、『Laudato si’』は率直に言って、心地よい驚きだった。
教皇フランシスコは、気候変動と社会的不平等という2つの時限爆弾を結びつけた。平易な言葉を使って現代の課題に取り組み、私たちの社会で横行する消費者主義を明確な言葉で非難した。国際社会、特に裕福な国々に、責任を問いかけた。
多くの政府が環境政策を後退させている今、この回勅はこれまで以上に重要な意味を持つ。そのメッセージは、CFDTの世界観や、クレディ・ミュテュエル・アライアンス・フェデラルの環境・連帯研究所で私が現在行っている仕事と一致している。
回勅は私の職務を導くテキストというよりは、私が参考にした他の思想家や知識人の仕事と同様、堅固な基礎のようなものだ。2019年、私たちは複数のパートナーと共に「Living Well Pact」を立ち上げたが、環境問題と社会問題は深く絡み合っている、という回勅と同じ考えに基づいている。
2020年に発表された回勅『Fratelli Tutti(兄弟の皆さん)』も印象的だった。フランシスコはグローバリゼーションを批判し、『私』から『私たち』へと焦点を移し、友愛と弱者の保護を呼びかけている。私の考えでは、教会は世界の挑戦に対して開かれた存在であり続けねばならない。カトリック教会の社会教説の父であるレオ13世の足跡をたどろうとする教皇レオ14世の選出は、私に希望を与えてくれる。
*「新教皇が、フランシスコの『Laudato si’』の遺産を引き継ぎ、私たちを導いてくれることを期待」
=フィリピン・サン・カルロス教区長のジェラルド・アルミナザ司教(化石燃料からの撤退と環境正義の提唱者)=教皇フランシスコが2015年1月にフィリピンを訪問され、その数か月後に『Laudato si’』を発表されたのは摂理にかなったことだった。フィリピンは、気候危機に対して最も脆弱な国のひとつであり、年間20~26件の台風や不規則な天候に直面している。気温は定期的に42℃を超え、地域によっては50℃に達することさえある。洪水や火山の噴火も加わり… 自然はまるで、私たちが学ぼうとしない教訓を教えようとしているかのようだ。
『Laudato si’』は私の視野を広げてくれた。以前は、「危機が、人間にどのような影響を及ぼすか」だけに注目していた。今は、危機が生態系全体にどのような影響を及ぼすのかが分かる。フランシスコの 「インテグラル・エコロジー (人間の命を成り立たせている自分自身との関わり、他者との関わり、自然との関わり、神との関わりに、確かな調和を取り戻しつつ、皆がともに歩む人類共同体を作ろうとする考え方)という概念は、人権、尊厳、家庭生活、経済、正義、平和などすべてを包含している。すべてがつながっていることを思い起こさせ、他者や世界との関わり方を変えるよう私たちに呼びかけている。
それは蜘蛛の巣のようなもので、1本の糸を引っ張れば全体が動く。フィリピンで起きたことは、フランス、地中海、アフリカに影響を与える。私たちは心を広げなければならない。どこに行っても、私はくつろげる。肌の色や言語、文化は違っても、私たちは皆、同じ共通の家に属している。
そして、それは行動に移さなければならない。私が2013年から司教として奉仕しているネグロス島では、女性たちが30年以上前に石炭プロジェクトと闘い始めた。彼女たちの努力のおかげで、私たちは管轄する二つの州の知事を説得し、脱石炭と自然エネルギーの導入を約束させた。ネグロス島は、世界的な 「Hope Spot」(「Hot Spot 」をもじった言葉)となった。私たちは、汚れたエネルギーから脱却することが可能であることを示したい。
今、私は、フランシスコのエコロジーの遺産を引き継ぎ、デジタル技術と人工知能の時代である今日の産業革命を通して私たちを導いてくれることを期待している。