(2026.9.25 Vatican News Christopher Wells)
フランス訪問初日の25日夕、教皇レオ14世は、パリのノートルダム大聖堂で、フランス全国から集まった司教、司祭、助祭、神学生、そして奉献生活を送る男女と共に晩課をされ、説教の中で、「司牧的回心を果たし、典礼に対する真の愛を育み、祈りの中で主と密接に結ばれ続けるように」と促され、フランシスコ教皇の使徒的勧告『福音の喜び』(の27項)で示された「司牧的回心」というビジョンにインスピレーションを得るよう、強く求められた。
*再建された大聖堂は出会いの機会をもたらす
説教で教皇は、「新しく再建された教会の素晴らしさ」が、「私たちの安らぎのない心に語りかけ、平和へと招く」とされ、「私たちの前に切り開かれるべき文化的、実存的、そして霊的な旅路を再び呼び覚ますための、公的、私的、そして教会的な貢献」を強調された。
さらに大聖堂の再建は、「すべての人々、とりわけ周辺部に置かれた人々との出会いの機会となるものであり、彼らは時に、遠く離れているように見えても、ある意味で既にキリストや教会に近い存在なのです」と指摘するとともに、「このパリだけでなく、フランスのすべての都市や地域にとっても… 簡素で親しみやすい宣教の在り方による変容がもたらされ、文化的差異を調和させ、分裂し傷ついた社会に癒やしをもたらすことができるのです」と説かれた。
*典礼がなければ、教会は「魂」を失う
教皇はまた、「ノートルダム大聖堂は、他のすべての教会と同様、何よりもまず、特にミサ聖祭において、神への祈りと礼拝の場であること」を改めて強調され、「典礼がなければ、教会は魂を失ってしまいます」と警告。
「活気あふれる共同体においてこそ、教会はその本来の姿—生きた有機体として、また、文化や伝統から受け継いだすべてのものをその賛美の中に集約する信仰共同体となる。教会は、その典礼を通じて、一人ひとりに自らの存在理由を語りかける体となるのです」と述べられた。
そして、典礼を「希望と平和の場」と表現され、「典礼暦に従ってキリストの生涯の出来事を祝うことは、私たちを『キリストの仲間』とすると同時に、私たち自身の時代の『しるし』を認識する助けとなります」と語られ、典礼の責任を負う人々に対して、「たとえ、そこが小規模な共同体であっても、尊厳と敬意をもって典礼を行うように。そして、何世紀にもわたって、典礼の深遠な意味と美しさを私たちに伝え、祝われる神秘の前で常に偉大な謙遜の模範を示してきた教父や聖人たちの自覚ある継承者となるように」と促された。
第二バチカン公会議による典礼改革を強調された教皇は、聖職者や修道者に対し、「典礼に対する真の愛を育むこと、神の民全体の預言的、司祭的、王的な召命の証人であり、その奉仕者となること」を勧められた。
さらに、「神の民の団結を育むために、個人的な好みよりも、ペトロの後継者、教会との交わりを優先させるように」と参加者たちに求められた。
*「聖性と日々の使命への新たな推進力」
最後に教皇は、神の呼びかけに応え、主への忠実さを示したすべての参加者に感謝し、「祈りの中で、神に寄り添い続けるように」と励まされた。
そして、「開かれた大聖堂」というビジョンを思い起こしつつ、「あなたがたもまた、聖性と日々の使命に向けた新たな推進力をもって、この大聖堂と共に生まれ変わるために、この大聖堂は再生されたのです」とされ、「あなたがたの民のただ中で、神の愛を証しすることで、人類の家族を回復し、癒やす教会の神聖な母性を、はっきりと表してください」と注文を付けられた。
教皇は、マリアが彼らを信仰に堅く保ち、「フランスにおける教会の宣教を導く星となる」よう祈りを捧げ、説教を締めくくられた。
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*以下、説教の全文
教皇レオ14世の説教 ノートルダム大聖堂 2026 年 9 月 25 日金曜日
親愛なる兄弟姉妹の皆さん
私たちは今、パリの人々が何世紀にもわたり天を見上げるよう促してきたこの場所で、夕べの祈りのために集まっています。全世界が息を呑んで見守る中、大聖堂が恐ろしい火災に包まれてから7年が経ちました。当時、私たちもまた、予期せぬ出来事の前に人間がいかに無力であるかを痛感しながら、不安な気持ちで見守っていました。
その痛みはカトリック教徒だけでなく、信者だけが感じたものではありません。実際、あの悲劇的な瞬間に、私たちはノートルダム大聖堂が単なる記念碑以上の存在であることを悟りました。再建に向けた人々の努力と、その結果として生まれた壮麗さは、ここに人々の心が脈打っていること、そして私たちが過去と未来が交わり、天と地が出会う、文明の生きた中心に立っていることを示しています。
フランスにおける教会の象徴的な場所であるこの地で、皆様にお会いできることを願っていました。世界各地から毎日何千人もの兄弟姉妹が訪れるように、私も少し前にこの場所の敷居をまたぐことができ、喜びを感じています。この場所に足を踏み入れるだけで、私たちの落ち着かない心に語りかけ、平和へと誘う美しさと向き合うことができます。全人類のためのこの聖なる空間が修復されたことで、訪れる一人ひとりが、目にするもの、耳にするもの、体験するものによって、いかに心が新たにされるかが、当然のことながら認識されています。
ノートルダム大聖堂の修復に携わった公的機関、民間機関、そして教会は、それぞれ独自の方法で、この大聖堂が私たちに開く文化的、実存的、そして精神的な旅路を再び呼び覚ますことに貢献してきました。このような文脈において、教会は、信仰を持ち、希望に導かれる人々の大胆さをもって伝統を守り続けることで、保存だけでなく創造性という観点からも自らの使命を理解してきたのです。大司教様、その同僚の方々、そしてパリ教区の皆様に感謝申し上げます。皆様は、すべての人に開かれた、最初の布教とキリスト教入門のための司牧的な道筋を築いてくださいました。洗礼盤は、祝福と招きとして入り口に設置されており、その象徴です。
大聖堂の再建は、教会の所属という枠を超えて、歓迎と参加の地平を広げる出会いの機会となりました。フランスの司教、司祭、助祭、修道士、神学生の皆さん、ここで起こった出来事からインスピレーションを受けてください!教皇フランシスコが最初の使徒的勧告で述べた宣教的回心、すなわち『福音の喜び』のビジョンを 最優先事項 としてください。
ガラテヤの信徒への手紙の中で、私たちが恐れる必要がない理由が語られています。「神は御子を遣わされた」(4章4節)。神は御子を私たちの間に、この世界に遣わされたのです。聖パウロの言葉によれば、この動詞は、理想的な状況ではなく、現実の歴史的な出来事を表しています。
キリスト教徒は複雑さから逃げるのではなく、神ご自身が、すでに人が住み、すでに動き、すでに人間の苦しみと善意が刻まれたこの世界で、御子に従うよう召されたのです。十字架の道は確かにこの世界に蔓延る闇を明らかにしますが、それ以上に深く、死に打ち勝つ神の愛を明らかにします。
石と光が融合する大聖堂の十字形の配置は、大地と天の出会いを想起させる。それは、人間の喜びと苦しみが織り込まれた歴史上の出来事を集め、秩序立てる。そして、これらの多様な表現を象徴的なダイナミズムで結びつけ、生きた言語へと昇華させ、全体を一つにまとめ上げる。
親愛なる友人の皆さん、教会のアイデンティティは受肉、すなわち「神が御子を遣わされた」ことに由来します。なぜなら、教会は常に「出て行く」教会となるよう召されているからです。キリストの弟子である皆さんは、キリスト教共同体が、この時代から身を守るために引きこもる避難所ではないことをよくご存知でしょう。
それどころか、古の教会堂のように、教会はすべての人にとって歓迎され、尊重され、啓示され、意義を与えられる場所です。生きた教会の力は、すでに教会の心の中に居場所を持っている周縁にいる人々、遠く離れていても実際にはすでに近くにいる人々、そしてキリストがすでに扉を叩いている見知らぬ人々を歓迎することにあります。
ノートルダム大聖堂がパリの中心におけるこの出会いの象徴であるならば、フランスの他の都市や地域、たとえ最も辺鄙な田舎であっても、簡素で温かい宣教活動によって、より一層変容を遂げることができるでしょう。そのような活動は、文化的な違いを調和させ、社会に存在する傷を癒す助けとなります。北部の海岸から地中海沿岸まで、内陸部から海外県まで、生き生きとした、多様性に富み、親密な教会でありましょう。物質的な資源の不足は宣教を妨げるものではありません。
なぜなら、内なる自由と簡素な生活を生み出すのは神の恵みであり、それによって私たちは福音的な生き方を体現することができるからです。こうしたすべてのことにおいて、日常生活の交差点で教会の生きた最前線に立つ信徒たちの宣教活動を、自信を持って大切にしましょう。
同時に、兄弟姉妹の皆さん、この大聖堂も他のすべての教会と同様に、祈りと神への礼拝のために建てられたことを忘れてはなりません。ここはキリスト教共同体が最高の祈りと礼拝を捧げ、聖体祭儀においてキリストの贖いのいけにえを新たにする場所です。この大聖堂は、ただただ賞賛されるべき石造りの建造物ではありません。むしろ、その中で祝われる聖なる神秘によって生きているのです。典礼がなければ、その魂は失われてしまうでしょう。
ここノートルダム大聖堂では、祭壇が中央に配置されていることで、この真理が明らかになっています。主を賛美するために集まった共同体は、建物の中心に立ち、訪問者は祝祭の最中でもその周りを歩き回り、観察します。ここで教会は、その本来の姿、すなわち生きた有機体、文化と伝統が教会に受け継いできたすべてを賛美の中に集める信仰共同体として現れます。教会は、その祝祭を通して、一人ひとりに教会の存在理由を伝える体なのです。
今日、かつてないほど、私たちは充実感、深み、そして希望に欠ける時代に生きています。歌、言葉、そして典礼の身振りの崇高な簡素さは、多くの人々にとって希望の光となり、過剰に繋がり、騒がしい社会における平和のオアシスとなり、最大の愛の創造主の存在を体験することができます。「時が満ちたとき、神は御子を遣わされた」(ガラテヤ4:4)。典礼暦年、日曜日、そして祝祭日を祝うことは、私たちをキリストの仲間とし、世のためにすべてを父なる神に捧げたキリストの生涯の様々な瞬間に心を向けさせます。
こうして私たちは、時代の徴に敏感になり、より心を開くようになります。実際、共に祈り、聖書に耳を傾けることで、私たちは歴史上の出来事を神の光の中で見ることができ、自らの責任をより深く認識し、不正な権力関係を暴き、正義と平和の種を蒔くことができるのです。したがって、私たちを突き動かすのは希望であり、諦めではありません。そして、そこからより大きな友愛の絆と連帯のネットワークが生まれ、キリストの唯一の犠牲における交わりの実りとなる。
日々聖体祭儀を執り行う皆様に、たとえ小規模な共同体が集まる場であっても、典礼の祭儀が常に尊厳と敬虔さをもって行われるようお願い申し上げます。何世紀にもわたり、典礼の奥深い意味と美しさを私たちに伝え、祝われる秘跡の前で常に謙遜の模範を示してきた教父や聖人たちの意識的な継承者となってください。
フランスに多大な恩恵を受けた第二バチカン公会議は、この遺産を卓越した形で集約し、深化させ、教会生活における典礼の中心的な役割を認めました(『典礼憲章』 10参照)。ですから、司教、司祭、助祭、奉献生活を送る皆様すべてに、典礼への真の愛を育み、神の民全体の預言者的、司祭的、王的召命の証人、そして奉仕者となるよう強く勧めます。
この点において、典礼は依然として生活の反映です。聖体拝領の喜びは、調和が回復されるところ、尊厳が新たにされるところ、権威が奉仕となるところ、そして自由が再び花開くところ、どこにでも根付き、広がります。これこそ、私たちが分かち合うことのできる最大の贈り物です。ですから、神の民の一致を育むために、ペトロの後継者と教会との交わりを、個人的な好みよりも優先してください。こうして、私たちは共に、和解した世界の可能性を預言的に証しするのです。
親愛なる司教、司祭、神学生、そして奉献生活を送る皆様、キリストに従うよう召された皆様の応答と主への忠実さに感謝いたします。主が望まれるこの友情を決して軽んじてはなりません。それは個人的な祈りの中で培われるべきものであり、あらゆる召命の基盤となるものです。
マドレーヌ・デルブレルが述べたように、「祈りがなければ、私たちは愛の神を愛することはできないでしょう。私たちは神のしもべ、戦士、あるいは弟子にはなれるかもしれませんが、父なる神の愛する子にも、イエス・キリストの友にもなれないでしょう」(『私たちの生き方』全集第15巻、ヌーヴェル・シテ、2017年、41頁)。
ですから、あなた方の先人である多くの聖人たちの模範に倣い、静かな祈りの中で常に神の無限の愛の源泉から汲み取りながら、主との内なる生活を育んでください。あなた方の使命は、何よりもまず、そこであなた方を待っておられる主との親密な関係から生まれるのです。
街の中心にある開かれた大聖堂は、主を賛美し、もてなしを単なる一時的な行為としてではなく、その存在そのものの形として生きる共同体の象徴です。こうして、誰もが故郷にいるように感じ、変化する世界の中で支配されたり疎外されたりすることがなくなるのです。「神は御子を遣わし、女からお生まれにならせました。それは、私たちが子として迎えられるためです」(ガラテヤ4:4-5)。そして、「もしあなたがたが子であるなら、あなたがたもまた相続人です」(同4:7)。
恵みによって相続人となった兄弟姉妹の皆さん、ここに集まった皆さん一人ひとりが、祈り、生きるこの集まりの中で、この約束の肉となり声となるべき時が来ました。フランスの聖職者と奉献生活を送る皆さん、あなた方はこの開かれた家の最初の守護者、未来を恐れず希望に満ちた教会の生きた石となるよう召されています。この大聖堂は、あなた方も聖性と日々の使命への新たな推進力をもって、共に生まれ変わることができるように、新たに生まれ変わりました。あなた方の民の中で、神の愛を証しすることによって人類家族を回復し癒す、教会の神聖な母性を明確に示しなさい。
火災の被害を免れ、今再び私たちの目の前で輝いている14世紀の聖母子像に目を向けましょう。御言葉を胎内に宿された聖母マリアが、あなた方の信仰を守り、フランスにおける教会の使命を導く星となってくださいますように。聖母マリア、パリの聖母、教会の母よ、フランスの人々のために祈り、彼らの司牧者たちを支え、常に私たちの傍らにいてください。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Speaking at the Cathedral Basilica of Notre Dame de Paris seven years after a devastating fire destroyed much of the church, Pope Leo XIV encouraged the clergy and religious of France to be inspired by the vision of missionary conversion set out by Pope Francis in his encyclical Evangelii gaudii.
Rebuilt church an opportunity for encounter
The Holy Father said the beauty of the newly rebuilt church “speaks to our restless hearts and calls them to peace,” and highlighted the public, private, and ecclesial contributions to “rewaking the cultural, existential, and spiritual journeys the Cathedral opens up before us.”
That rebuilding, he said, is an opportunity for encounter with all, especially those on the peripheries, who may at times seem far away, but are in some ways already near to Christ and the Church.
The renewal of the Cathedral of Paris can serve as an inspiration not only for the city, but also for all cities and regions of France, which can be transformed by “a simple and welcoming missionary presence,” that can harmonize cultural differences and bring healing to our divided and wounded societies.
Read the full text of the Pope’s homily
Without liturgy, a church ‘loses its soul’
At the same time, Pope Leo reminded those present that Notre Dame, like all churches, is intended primarily to be a place of prayer and worship of God, especially in the celebration of the Eucharist. “Without the liturgy,” he said, the church would “lose its soul.”
Instead, it is here in a thriving community, “the Church appears for what she is, namely a living organism, a believing community that gathers into its praise everything that culture and tradition have handed down to her. She is a body that, through her celebration, tells each person the reason for her existence.”
Reflecting on the liturgy, Pope Leo described it as a place of hope and peace, while the observance of the liturgical year makes us “companions of Christ” as it celebrates the events of His life—and at the same time, helps us to recognize the “signs” of our own times.
The Supreme Pontiff called for those charged with care of the liturgy to offer the celebrations with dignity and reverence, “even when smaller communities gather.” He invited them to be “conscious heirs of the Church Fathers and saints who, over the centuries, have handed down to us the profound meaning and beauty of the liturgy, always giving an example of great humility before the Mystery that is celebrated.”
He also emphasized the liturgical reform of the Second Vatican Council, and exhorted clergy and religious “to cultivate an authentic love for the liturgy” and to be “witnesses and servants of the prophetic, priestly, and royal vocation of the entire People of God.”
And he called them to “place communion with the Successor of Peter and with the Church before your personal preferences, so as to foster the unity of God’s people.”
‘A new impetus to holiness and daily mission’
Finally, Pope Leo thanked all those present for their response to God’s call, and their fidelity to the Lord, and encouraged them to remain close to God in prayer.
Recalling the vision of an “open” Cathedral, he said the Basilica of Notre Dame “has been reborn so that you too may be reborn with it in a new impetus towards holiness and daily mission.”
“In the midst of your people,” he said, “be a clear expression of the divine motherhood of the Church, who, by bearing witness to God’s love, restores and heals the human family.”
He concluded his message with a prayer that Mary might keep them faithful, and “be the star that guides the mission of the Church in France.”
