
若き日に宣教師として働くことを夢見た日本に教皇とした初めて来られたフランシスコは、23日夕羽田に着かれてから26日午前に羽田を発たれるまで実質わずか2日強という強行軍の中で、数多くの仕事をなさった後、肌寒い曇天の中、お着きとなったと同じタラップをやはりお一人でパイプを握り、一歩一歩と上がられ、専用機に入って行かれた。その背中に、日本でメッセージを予定通り発し終えた安堵とそれを受けた日本の教会への期待、そしてその対応への一抹の懸念が見えた、というのは、うがち過ぎだろうか。
核廃絶を訴えるメッセージを日本、して世界の指導者たちに向けて発し、バンコクから羽田に向かう機上から、中国、香港、台湾の指導者たちに平和への努力を求めるエールを送り、日本では、長崎、広島の殉教地、爆心地訪問、そして東京で東日本大震災の三つの災害(地震、津波、原発事故)に遭った人々や若者たちとの集い、カトリックはもちろんキリスト教他宗派,他宗教も含めた人々との5万人ドーム・ミサ、皇居への天皇訪問、首相官邸で安倍首相はじめ各界要人、各国大使たちとの会見、そして最終日に上智大学でイエズス会の仲間たちや学生たちとの集い…と数々の場で、日本の人々に訴え、励まし、祈り続けられた。
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マスコミにはほとんど伝えられなかったようだが、日本のカトリック教会、そのリーダーと目されている司教たちに対しての最も重要な教皇のメッセージは、日本に着かれた23日夜の駐日バチカン大使館に全国の司教たちを集めてなさった講話に集約されているように思われる。改めてそのポイントを以下に整理してみる。(⇒は教皇が本当におっしゃりたかったと思われる言葉)
・キリシタン迫害の中で、主の名を呼び続け、主がいかに自分たちを導かれたかを見つめてきた、生きた教会、実りを待つ忍耐-それが、日本の文化と共存してきた宣教を特徴づけてきた。長い年月を経て教会の顔が形作られ、総じて、日本社会から高く評価されている。これは、社会の共通善のために多くの貢献をしてきたからだ。
⇒その成果を無にしないように。
・今回の教皇訪問のテーマ「全ての命を守るため」が、私たち司教の奉仕職をよく表している。司教とは、主によって民の中から呼び出され、全ての命を守ることのできる牧者として、主に呼び出された者だ
⇒その役割を自覚するように。
・日本の教会は小さく、少数派であっても、それが福音宣教の熱意を冷ますことのないように。
⇒熱意を失っていないか、熱意を高めるように。
・日本の特徴は、文化受容と対話を希求する点が特徴だ。それによって、数々の新しく独特の様式が展開されてきた
⇒その特徴を生かすように。
・皆さんにお願いしたい。若者と彼らの困窮に特に配慮してほしい。「有能さと生産性の高さのみを求める文化」に「無償と愛の文化」が、取って代わるように。
⇒その努力を具体的にするように。
・ケリグマ(福音の告知)を、創造的に、文化に根差し、創意に富んだやり方で進めるなら、理解を求める大勢の人の心に響くだろう
⇒それに真剣に取り組むように
・「収穫は多いが、働く人は少ない」ことはよく分かっている。だからこそ、皆さんを励ましたいー「家庭を巻き込む宣教の仕方を考え、生み出し、促進すること」「常に現実を直視し、人々がいる所まで届くような司祭養成を進めること」「思いやりと共感の福音を携えて、町や仕事場、大学にいる人々のところに出かけ、私たちに委ねられた信徒たちに寄り添わねばならない
⇒そのような努力をしてほしい。
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果たしてどれだけの出席者が、この教皇の問いかけと願いを、真剣に、自らの課題として受け止め、具体的な努力を誓っただろうか。これまで、どれだけ真剣な努力を重ねてきたのか、真摯に振り返っただろうか。
日本カトリック司教協議会の会長、髙見 三明・長崎大司教は、今回の教皇フランシスコの来日が決定した際に出したメッセージで「教皇フランシスコの就任は2013年3月13日でしたが、翌年7月に、当時の司教協議会会長岡田武夫大司教と副会長だった私が、招待状を携えてバチカンに参りました。その後、数回にわたって手紙などを通して訪日を要請して参りました… 教皇訪日は、実に多くの方々の理解と協力がなければ実現できない、大きな出来事であると感じております」と語っている。
では、その大きな出来事のために、訪日招請から実現までのこの5年間、本当に日本の信徒たちの祈りと理解と協力を結集する努力を司教団としてきたのだろうか。第二バチカン公会議を受けて、「全国福音宣教推進会議」が作られ、日本の教会の司祭、信徒が一致協力して福音宣教に当たる環境が醸成されつつあった二十年以上前、”高松問題”でそれが崩れ、それ以来、失われた一致協力の意思と体制を取り戻す、絶好の機会ではなかったのか。「言葉だけで行動しない」というのは教皇が最も嫌われる振る舞いだが・・
残念ながら、否、と答えざるを得ない。それは、フランシスコが教皇に就任されて以来、今春まで6年の間に、日本では”定年”まで10年以上残して辞任する司教が3人も相次いでいること、60年も東京と長崎に二つの神学校を持っていた司祭育成体制について物理的負担や日本全体の福音宣教と司牧というビジョンに基づいて司教団が話し合いを進め、二つを合同し「二キャンパス、一神学院」の「日本カトリック神学院」を2009年春に発足させたにもかかわらず、わずか10年でまた元のに神学校体制に戻すということ、などに象徴されている。
そして、その結束力の欠如、リーダーシップの欠如が今回の教皇訪日にあたっても現れた。象徴的に表れたのは、東京ドームのミサに関してだった。ミサ典礼の内容自体は立派なものだった。だが、それまでの準備、なかんずく、参加者の募集、席の割り振りに多くの反省点があったように思う。
教皇をお迎えして、一般信徒にとってのおそらく最も大きな期待は、長崎、東京で行われる教皇ミサ、特に東京ドームに5万人を集めて予定されていた教皇ミサへの参加だったろう。それが多くに信徒にとって、教皇に直接お会いし、共に祈り、共に秘跡に与ることのできる唯一の機会だったからだ。「5万人分も席があるのだから、指示されたルールを守って応募すれば、参加できるに違いない…」ーだが、結果は事務局の指示通りインターネットで申し込んだ人は2倍の競争率となり、ミサ参加の期待を、少なくない信徒たちが裏切られた。
高い代金を払って食事付き、送迎付きのツアーを指定の旅行業者に申し込めば、ミサ当日の約一か月前に会場の席が確保できる、一方で、自宅から徒歩、バス、電車など公共交通機関を使って東京ドームまで行こうとした人は、中央協議会の指示に従って、根拠不明の「6人枠」の申し込みをインターネットで苦労して送り、当選した人に指定座席券が送られたのは、ミサのわずか10日前。落選者にはなにも通知がなく、ただ「11月15日までに指定券が送られてこなかったら判断して」というばかり。
「配達が遅れるのではないか」とやきもきした挙句に、落胆スーパスターのイベントならいざ知らず、しかも、落選しても通知がされず、通知は15日までにこなかったら・・という前置きのみ。やきもきしながら浸する待ち続け、落胆した人がいた一方で、「業者に旅行断金を払い込んだら、ミサの座席券が送られてきた。ミサに出ないので、この券はどうしたらいいでしょう」という”問い合わせ”を担当の中央協議会でなく、教区の事務局してきた人がいた、と聞く。
公平に抽選がされるならともかく、高いツアー代金(私がボランティアで仲間たちと20年近く続けている50人規模の都内巡礼はバス代、昼食付、現地の謝礼付きで、はるかに安い参加費だ)を旅行業者に払えば一か月も前に席が確保でき、まじめに「自分の足で会場に出かけよう、余裕があったら教皇さまに献金しよう」という人はぎりぎりまで待たされた挙げく、申込者の半分は落とされた。しかも、お年寄りなどには自力でできないことも多い、インターネットでしか受け付けず、苦労して申し込んでも「受け付けました」という、インターネットを使ったシンポジウム受け付けなどで常識になっている確認の返信もなく、落選の通知もない。思いやりを欠き、どう考えても教会のやることとは思われないーそう思ったのは私一人だけではない。
原因は、複数の関係者から聞いたところでは、事務局がミサの応募受付、座席の配分など一連の作業を事実上、大手イベント業者に”丸投げ”し、旅行業者が相当数の座席をあらかじめ確保して送迎代、食事代、一泊以上の場合は宿泊代とセットで売りさばいた、このため、インターネットで6人枠で申し込んだ人への配分枠が極めて限定されてしまった、ということらしい。
最近、「身の丈」発言が問題にされた大臣がいたが、これでは、「お金を払いたくない人は、こういう待遇を受けても我慢しろ。それが嫌なら旅行業者に申し込め(とも、公式の参加申し込み要領には書いてさえいなかったので、当然、公平に抽選が行われると思っていた人が多いのだが)」と言っているようなものだ。
全体の訪日実行委員会の体制、責任者も一般信徒にはほとんど知らされていなかった。ミサが行われる地元の教区の責任分担も不明。ミサの応募受付が長崎と東京で応募の仕方も、締切日も全く違う。ある旅行業者の場合、東京から長崎のミサに出ようとすると、ツアー代は、飛行機代、宿泊代こみでミサのみで一人62000円から85000円、長崎・外海巡礼などが付くと75000円から129000円にもなった。まさに「席の確保は金次第」という「スーパースターの大イベント」と見られても仕方がない。
狭義の”準備期間”はバチカンの正式発表から「わずか二か月」だったかもしれないが、日本中の司祭、修道者、一般信徒などが参加して準備作業に加わる体制を作るための期間は、司教協議会会長と副会長が教皇に訪日を申し入れてから、5年間あったのだ。繰り返すが、全国の司祭、修道者、一般信徒総参加で、その準備、体制作りを着実に積み上げ、長く失われた日本の教会の一致を取り戻す、絶好の機会として、生かせたはずではないか。
最初から「無理」とあきらめていたのか、「訪問してくださる確信が持てなかったので準備もしようがない」と思ったのか、それとも、そもそも、「日本の教会を再一致させる機会に役立てよう」という発想がなかったのか-そう考えると、教皇フランシスコが日本に到着された夜に司教たちに「日本の教会は小さく、少数派であっても、それが福音宣教の熱意を冷ますことのないように」と願われたのが、分かるような気がする。
教皇訪日を「スーパースターの大イベント」に終わらせてしまわないために、真摯な反省とともに、教皇のメッセージをしっかりと受け止め、今回の貴重な体験を生かし、今後の日本の教会の展望を開くよう、リーダーたちに期待したい。
(「カトリック・あい」代表 南條俊二)