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(2025.4.22 Vatican News Salvatore Cernuzio)
- 故教皇フランシスコの最期の言葉の中に、20日の主の復活の主日の「Urbi et Orbi」の後、最後に教皇専用車に乗るよう促した看護師のマッシミリアーノ・ストラッペッティへの「ありがとう」という言葉があった。
- そして、教皇は20日日曜の午後は休息され、静かに夕食をおとりになり、翌日21日の明け方に突然体調を崩されて、息を引き取られた。「広場に戻してくれてありがとう」—この感謝の言葉は、教皇フランシスコが病床で、そして病床に入る前も、自分をたゆまず見守ってくれた人への最後の言葉だった。
- フランシスコは、マッシミリアーノ・ストラッペッティという看護師に、この言葉をかけた。フランシスコご自身によれば、看護師は、ご自分に大腸の手術を勧め、命を救ったことがあるとしておられた。
- ストラッペッティ氏はローマのジェメッリ病院での38日間の入院中ずっと教皇のそばに付き、サンタ・マルタ館での回復期には24時間体制で見守っていた。復活祭の20日・日曜日、Urbi et Orbiの祝福の際、教皇と共にいた。その前日の19日、教皇が翌日サン・ピエトロ大聖堂の中央ロッジアに登場する際の 「ルート 」を確認するため、教皇と共に聖ペトロ大聖堂に向かった。
- *人生最後の群衆の中へ、そして抱擁
- 教皇は20日の当日、聖ペトロ大聖堂のファサードのバルコニーで祝福の後、専用車にお乗りなって5万人の信者に最後の意味深いサプライズを提供することを希望されていたが、少し躊躇され、ストラペッティ氏に意見を求めた—「なんとかなると思いますか?」と。 実際に聖ペトロ広場に到着されると、フランシスコは群衆、特に子供たちを抱きしめられた。これがジェメッリ病院を退院してからの初めての教皇専用車への乗車であり、人生最後の、信者たちの中での外出だったからだ。 疲れてはおられたが、満足された教皇はその後、専属の医療アシスタントに感謝の言葉を述べた。この心のこもった言葉には、アルゼンチン人の教皇が神の民の中に身を置き、教皇職の特徴である人間的なつながりを楽しみたい、という深い願いが表れていた。
*最後の時間
20日の日曜日の午後、教皇は休息され、静かな夕食をおとりになった。だが、翌21日午前5時30分頃、最初の危機を告げる兆候が現れ、看護にあたっていた人々は即座に対応した。その1時間後、サンタ・マルタ館の2階の居室で、教皇はストラペッティ氏に手で別れのジェスチャーをされた後、昏睡状態に陥られた。
最期の瞬間に居合わせた人々によると、彼は苦しむことはなかったという。あっという間の出来事だった。常にご自身の健康について控えめだった教皇にとって、その死は、長い苦しみもなく、世間を騒がせることもなく、ほとんど突然の、控えめな死だった。
逝去は復活祭の翌日で、教皇フランシスコは街と世界に最後の使徒的祝福をされ、もう一度、信者を抱きしめることができた。それはまさに、2013年3月13日に教皇に選ばれた瞬間から、「共に歩む 」と約束されていた神の民であった。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)