(2025,4,21 Vatican News Devin Watkins)
教皇フランシスコが21日、主のご復活の翌日、バチカンのサンタ・マルタ館のお住まいで88歳の生涯を閉じられた。
現地時間21日午前9時45分(日本時間同日午後4時45分)、カメルレンゴ(教皇空位期間管理者)を務めるケビン・ファレル枢機卿が、サンタ・マルタ館から教皇の死を次のように告げた。
「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、深い悲しみをもって、私たちの聖なる父フランシスコの死を告げなければなりません。今朝7時35分(日本時間午後2時35分)、ローマ司教フランシスコは教父の家に戻られました。彼の全生涯は主と教会への奉仕に捧げられました。彼は、福音の価値を、忠実さ、勇気、普遍的な愛、特に最も貧しく疎外された人々のために生きることを教えてくださいました。主イエスの真の弟子としての彼の模範に計り知れない感謝を捧げつつ、私たちは教皇フランシスコの魂を唯一にして三位一体の神の限りない憐れみ深い愛に委ねます」。
教皇フランシスコは気管支炎を患われ、2月14日にローマ市内のジェメッリ総合病院に入院された。病状は徐々に悪化し、2月18日火曜日に医師は「両側肺炎」と診断。38日間の入院後、バチカンのサンタ・マルタ館に戻られ、療養を続けておられたが、4月20日の主のご復活の日には、聖ペトロ広場に面したバチカン宮殿のバルコニーから、広場に集まった多くの信者に挨拶され、ご自分でUrbi et Orbiを読み上げられたばかりだった。
1957年、20代前半のホルヘ・マリオ・ベルゴリオは、母国アルゼンチンで、重度の呼吸器感染症に冒された肺の一部を切除する手術を受けられた。年を重ねるにつれ、たびたび呼吸器系の病気に見舞われ、一昨年11月に予定されていたアラブ首長国連邦への訪問も、インフルエンザと肺の炎症のためにキャンセルされた。昨年4月、教皇葬儀のための典礼書の改訂版を承認された。そのOrdo Exsequiarum Romani Pontificis』第2版では、教皇の死後の遺体の扱い方など、いくつかの新しい要素が導入されている。死亡確認は、死亡した部屋ではなく、礼拝堂で行われ、遺体は直ちに棺に納められる。
バチカン儀典長のディエゴ・ラベッリ大司教によると、故教皇フランシスコは葬儀の儀式を簡略化し、復活したキリストの体に対する教会の信仰を表現することに重点を置くよう求められていた、といい、「刷新された儀式は、ローマ教皇の葬儀がキリストの牧者であり弟子のものであり、この世の権力者のものではないことをより強調しようとしている」とラヴェッリ大司教は語っている。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)