(特集)教皇、大阪大司教区と高松教区を合併し「大阪・高松大司教区」にー教区の再編・統合含む抜本改革が司教団の緊急課題

(2023.8.16 カトリック・あい)

 教皇フランシスコはローマ時間8月15日正午、大阪教区と高松教区を合併し、新たに大阪・高松大司教区を設立、その初代大司教として前田万葉枢機卿を任命することを発表された。新しい教区の日本語における正式名称は、後日、大阪教区より発表される予定。

 日本の教会は、戦後になって1947年に琉球使徒座管理区(後に那覇教区)、1961年に宮崎知牧区改編される形で大分教区が誕生したのを除くと、第二次世界大戦前の1936年までに出来た教区体制が事実上、この90年以上にわたる教会内外の大きな変化の中で、変わらずに続いてきた。

 今、日本の教会は、信徒の教会離れ、信徒数の減少・高齢化、司祭の減少・高齢化などが深刻化しており、希望ある将来につなげるための、教区の再編・統合も含めて、抜本的な体制改革が緊急の課題となっている。司教団が、今回の大阪、高松の教区合併を”一過性の現象”に終わらせず、この課題に真剣に取り組む契機とすることが求められる。

 なお、16日午前10時時点で、この合併について、大阪、高松いずれの教区の公式ホームページには一言も掲載されておらず、まず情報が提供されるべき小教区、信徒たちには知らされていないようだ。ここにも、教皇フランシスコが繰り返し訴えておられる「Synodal(共に歩む、共働的)教会」の理念からかけ離れた高位聖職者の意識が見て取れ、日本の教会改革にはまず、高位聖職者の意識改革から始めねばならないことを、図らずも示しているようだ。

 

*信徒数4位の大阪教区が最少の高松教区を”吸収合併”したが、日本にはまだ15の教区

 

 事実上”吸収合併”されることになった高松教区は、1904年、徳島、香川、愛媛、高知の四国4県は、大阪教区から分離されて四国使徒座知牧区となったのが始まりで119年の歴史を持つ。1949年に知牧区長館が徳島市から高松市に移され、1963年9月に司教区に昇格して高松教区となった。

 カトリック中央協議会が公表している「カトリック教会現勢」の最新版(2022年)によると、大阪教区の信徒数は東京教区、長崎教区、横浜教区に次いで第4位の4万6817人、司祭数は東京教区に次いで2位の148人。高松教区の信徒数は全国16教区の中で最も少ない4208人、日本最大の小教区、東京・麹町教会の4分の1にも満たず、司祭数は13位の34人。合併後の大阪・高松教区ではそれぞれ、5万1015人、182人となるが、順位に変化はない。

 なお大阪教区は大阪、兵庫、和歌山の3府県、高松教区は徳島、香川、愛媛、高知の四国4県を管轄しており、合併により新教区の管轄は7府県、、管轄都道府県数では日本最大の教区となる。

 また大阪教区は教区長の前田大司教・枢機卿と酒井補佐司教で、高松教区は教区長の諏訪司教が2022年9月に定年で退任し、空位。このため、司教職に関係する人事は、前田・大阪大司教がそのまま、大阪・高松大司教となる以外に変わりはない。

 今回の合併で、日本のカトリック教会の教区数は16教区(3大司教区・13教区)から15教区(3大司教区・12教区)に一つ減る。

 

*東京・麹町教会の信徒数よりも少ない教区が7つもある

 ちなみに、日本の小教区で信徒数が最も多いのは東京教区の麹町教会で1万7152人(2019年12月末現在。次が長崎教区の浦上教会で約7000人と言われている=公表データが見つからない)。麹町教会一つよりも信徒数の少ない教区は、札幌(1万4958人)、仙台(9196人)、鹿児島(8420人)、新潟(6676人)、那覇(6132人)、大分(5607人)、高松(4208人)と7つ。今回の合併で、一つ減るが、麹町教会よりも信徒数が少ない教区が高松を除いでも6つもある現状は、信徒数も、司祭の数も減り続ける中で考え直す必要があるようだ。

 

*ミサ参加者、受洗者、司祭数など激減の中で、教区によってばらつきも

 

 先ごろカトリック中央協議会が公表した「カトリック教会現勢」を10年前に公表された「現勢」と合わせて算定した結果は、別掲しているが、ここで改めて説明すると、2022 年 12 月末現在の日本の聖職者、一般信徒などを合わせた「信者数」は」42 万 2450 人で、10 年前の 2012 年の 44 万 4441人より 2万1991人、 4.95%減った。日本の総人口に占める割合は2022年が 0.335 %、2012 年は 0.351 %で、毎年、小幅ながら日本の総人口の減少を上回る減り方を続けている。またミサ参加者は、日本でコロナ大感染が始まる直前の2019年と比べて、主日、復活祭、クリスマスともに4割前後も激減しており、信者減少に対する長期的な取り組みと共に、コロナ禍で激減したミサ参加者、教会を離れた信徒を、どのように回復するのかも、教会にとって大きな課題となっていることが明瞭に浮かび上がっている。

 全国で16ある教区別に見ると、信徒数が最も多いのは東京で9万2001人、これに長崎の5万6826人、横浜の5万2929人、大阪の4万6817人が続き、最も少ないのは高松の4208人など、1万人未満が大分、那覇、新潟、仙台、鹿児島をあわせて6教区もある。2012年から10年間で減り方が最も大きいのは仙台の11.04%で、これに札幌9.70%、大阪9.20%、鹿児島8.22%、それに長崎の7.80%が次いでおり、減少数では長崎が4808人と最も多くなっている。

 ちなみに東京は2.38%の減少にとどまり、那覇とさいたまは、それぞれ4.16%、2.43%の増加。特に後者は、外国人の顕著な流入が影響していると見られる。

 

*”中心教会”の一つであるはずの長崎教区が…

 

 聖職者・修道者・神学生の減り方を教区別に見ると、大幅な減少率の中で、教区によるばらつきがみられ、最も大幅な減少率を示したのは仙台で44.03%、ついで、新潟、福岡、鹿児島、高松が30%を超えている。大きく落ち込むなかでもばらつきがみられるのは、2022年までの十年間の主日のミサ参加者の減り方で、東京が51.92%と半減しているほか、札幌が48.15%、横浜が46.17%、鹿児島が41.87%、長崎が41.58%を4割を上回る減少。対して、大阪は12.17%の減少にとどまっている。

 年間の受洗者数を見ると、2022年の全国総数4089人のうち、トップは東京の996人、ついで横浜527人、名古屋503人、大阪419人で、信徒数で2位の長崎は237人にとどまっている。2012年に比べた受洗者の減り方もっとも大幅なのは鹿児島で64%、次いで新潟60.52%、長崎が52.88%で三番目に大きい落ち込み。対して、広島2.75%、名古屋2.90%、さいたま3.85%と小幅の落ち込みにとどまる教区もある。

 以上の教区別の動きを見ると、特に日本のカトリック教会の中心教区の一つとされてきた長崎が、信徒数の減少、主日のミサ参加者の減少、新規受洗者の減少率がそろって大幅になっているのが目立つ。その原因として考えられることについて、ここでは明らかにすることは避けるが、当事者も含めて心当たりの方も少なくないだろう。一言で言えば、信頼回復の努力、体制の見直しも含めた抜本的な教会改革、その前提として高位聖職者の意識改革が必要、ということではなかろうか。

 

*戦前、20年余りの間に11の教区が新たに作られたが、戦後78年で減る教区はただ一つ

 日本の現在のカトリック教会は1846年(弘化3年)に日本代牧区が設置されたことに始まり、1876年(明治9年)に、近畿、中国、四国、九州を管轄する「南緯代理区」と、中部、関東、東北、北海道を管轄する「北緯代理区」の”2教区体制”に分けられ、前者は1888年に「南緯代理区」(九州管轄、1891年に長崎教区に名称変更)と「中部代理区」(近畿、中国、四国管轄、1891年に「中部教区」)に、後者は1891年に「東京大司教区」(関東7県、中部9県管轄)と「函館教区」(北海道、東北管轄)の”4教区体制”となった。

 1900年代に入って、1904年に中部教区から「四国知牧区」が分かれた。その後、函館教区から1912年に「新潟知牧区」、1915年に「札幌知牧区」が分かれ、1923年に中部教区から「広島代理区」が分かれ、それより一年前の1922年に東京教区から「名古屋知牧区」が分かれ、さらに長崎教区から1927年に「鹿児島教区」と「福岡教区」が分かれ、1935年に「宮崎知牧区」(後に再編されて「大分教区」に)が分かれた。1937年に中部教区から「京都知牧区」が、東京教区から「横浜教区」が分かれ、1939年にはさらに、横浜教区から「浦和知牧区(現在のさいたま教区)」が分かれた。1936年に函館から仙台に司教座が移され、事実上の「仙台教区」が生まれるといった具合に、20年余りの間に11教区というm「異常ともいえる速さで速い分離・独立が繰り返された。

 戦後になって、1947年に琉球使徒座管理区(後に「那覇教区」)、1961年に長崎教区から「大分教区」が分かれて誕生したが、現在の教区の体制は、戦前、1936年までに事実上、出来上がっていたわけで、逆に、大分教区誕生以来、教会内外の環境激変の中で、60年以上も、新たな再編統合に全く手を付けてこなかったことが奇異に感じられる。

*教会改革の目玉、”首都圏教区”構想をつぶしたのは誰か

 ちなみに、第二バチカン公会議での、世界に開かれ、共に歩む教会を目指す改革の方針決定を受けて、今から半世紀前、日本の司教団の中にも積極的な取り組みの動きがあり、具体的には、東京教区と横浜教区を再編・合併して「首都圏教区」とし、日本の教会改革の推進力とするアイデアが浮上したが、多くの司教たちの反対で日の目を見ることができなかった。

 再編統合の動きが、自分たちの関係する教区にも広がり、教区が削減、教区長である司教ポストも削減されるのは困る、自分の任期中にそのようなことがあっては困る、というのが、反対者たちの”本音”との見方もあったが、それが真実とすれば、誠に低レベル、目先の自分の利害しか考えない、聖職者にあるまじき対応だったといえよう。このようなことが、繰り返されないよう願いたい。

 

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 なお、日本時間8月16日午前9時過ぎにバチカンのホームページに掲載された内容、公式英語訳は以下の通り。上記の信徒数などに若干の違いがあるが、これは定義の違い、日本からの報告の時期の違いなどによるものと思われるが、大きな差はない。

Erection of the metropolitan archdiocese of Osaka-Takamatsu, Japan, and appointment of first metropolitan archbishop

The Holy Father has erected the new metropolitan archdiocese of Osaka-Takamatsu, Japan, by incorporating the archdiocese of Osaka and the diocese of Takamatsu.

The Holy Father has appointed His Eminence Cardinal Thomas Aquino Manyo Maeda, until now archbishop of the archdiocese of Osaka, as first metropolitan archbishop of the new archdiocese of Osaka-Takamatsu.

Curriculum Vitae

His Eminence Thomas Aquino Manyo Maeda was born on 3 March 1949 in Tsuwasaki, Kami Goto, Prefecture of Nagasaki, in the archdiocese of the same name. After completing his studies at the Nanzan High School of Nagasaki, he entered the Saint Sulpice Major Seminary of Fukuoka.

He was ordained a priest on 19 March 1975 and incardinated in the archdiocese of Nagasaki.

On 13 June 2011 he was appointed bishop of the diocese of Hiroshima, and received episcopal consecration on the following 23 September. Since 2014 he has served as metropolitan archbishop of Osaka, and was created a cardinal on 28 June 2018, of the Title of San Pudenziana.

Statistical data

Osaka Takamatsu Osaka-Takamatsu
Area (km sq) 15,031 18,804 33,835
Inhabitants 15,307,909 3,766,866 19,074,755
Catholics 47,170 (0.31%) 4,243 (0.11%) 51,413 (0.27%)
Parishes 77 28 105
Diocesan priests 48 19 67
Religious priests 90 16 106
Permanent deacons 1 3 4
Major seminarians 3 0 3
Men religious 17 1 18
Women religious 543 49 592
Educational institutes 91 27 118
Charitable institutes 89 24 113

 

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2023年8月16日