■新約聖書において
12.イエスのたとえ話のひとつ(ルカ15・11-32参照)は、「若い」息子が父親の家を離れて、遠くへだたった土地に行きたがっていたことを述べています(ルカ15・12参照)。息子が、是が非でも親から独立したいという考えたことは、親からの離反につながり、放蕩生活に向かいます(ルカ15・13参照)。こうして、彼は孤独と貧困の苦さをおもい知らされました(ルカ15・14-16参照)。
それにもかかわらず、彼は新たなスタートをきる力を見いだし(ルカ15・17-19参照)、立ち上がって家に帰る決意をしました(ルカ15・20参照)。若いときのおもいはおのづと変化し、最初の純粋さに戻り、立ち上がって、人生を学び直す準備につながります。この新しい決意にもかかわらず、その息子を支持できない人もいるのではないでしょうか。つまり、その息子の兄はいまだに心がかたくななままでした。兄は自分自身にこだわり、自己中心的に考え、羨望のおもいに狂っていました(ルカ15・28-30)。イエスは若い罪びとを称賛します。兄の愛とおもいやりの気持ちが欠けていたにもかかわらず、弟は正しい道に立ち戻り、家族との信頼関係を取り戻そうと努めたからです。
13.イエス御自身は永遠に若々しく、私たちがいままで備えていなかった新たな心を与えようと望んでいます。「あなたがたがいつでも新鮮な練り粉でいるために、古いパン種を取り除いてきれいにしましょう」(一コリント5・7)という聖書のことばに注目してください。聖パウロは私たちに「古い自分」を取り除いて「若々しい自己」を身につけるように勧めています(コロサイ3・9-10)(註1)。
つまり、「絶えず新たにされている」という若々しさの意味を明らかにするためには(コロサイ3・10)、「思いやり、親切、へりくだり、やさしさ、寛大な心を身にまといましょう。おたがいに耐え忍び、誰かに不満があったとしても、おたがいに心からゆるし合いましょう」(コロサイ3・12-13)。ひとことで言えば、真の若々しさとは、相手を愛することを意味します。しかし、私たちを他の人びとからへだてるものは、どのようなものであっても魂をかたくなにします。こうして、次のように結論づけられます。「何よりも、これらすべてのことのうえに愛をまといましょう。愛こそが充実した状態をもたらす絆だからです」(コロサイ3・14)。
14.また、イエスの呼びかけは、若者たちを見下したり、馬鹿にした大人たちには響かなかったことを決して忘れないようにしましょう。それどころか、イエスは、「あなたがたのうちで最も偉大な人は幼い子どものようにならなければなりません」(ルカ22・26)と主張しました。彼にとっては年令は特権を確立するためのものではありませんでした。若々しさに価値がないことや尊厳がないことなどはあり得ないからです。
15.聖書では、若者が「兄弟として」扱われるべきであると述べられています(一テモテ5・1)。そして次のようにも、両親に向かって警告しています。「子どもたちをいらだたせてはなりません。子どもたちを無気力にしないためです」(コロサイ3・21)。若者たちは決して落胆したりしません。
彼らは素晴らしいことを夢見ており、広大な地平線を眺めて、よりいっそうの高みを目指し、世界全体を受け容れ、あらゆることに挑戦し、よりよきことを実現するために自分自身の才能を活用することを望んでいます。だからこそ、私は若者たちから希望を奪わないように、大人たちには絶えず強くお願いします。同時に若者たちには次のように言いたいです。「年令が幼いからと、いかなる人からも軽んじられないように気をつけましょう」(一テモテ4・12)。