(2024.12.30 Vatican News Alessandro Gisotti)
広島の被爆者で「日本被団協」共同代表の三牧敏之氏が、バチカン市国で発行される日刊紙L’Osservatore Romanoのインタビューに応じ、2019年に教皇フランシスコが訪日された際に面談したことを振り返るとともに、ノーベル平和賞受賞の機に、世界の指導者たちに核兵器廃絶への取り組みを改めて呼びかけた。
粉々に砕け散った建物。一掃された風景。かつて活気あふれる都市が建っていた場所に海が見えるほど、破壊は甚大だった。これは、想像を絶する大惨事を目の当たりにした3歳の少年が抱く消えることのない記憶である。悲劇的なことに、それは実際に起こった… 三牧氏は、この恐ろしい記憶をL’Osservatore Romanoに語った。現在82歳の三牧氏は、1945年8月6日、原爆が故郷の広島を破壊したその日について、振り返ることを決してやめたことはない。その瞬間は人類の歴史の流れを変えただけでなく、何万人もの命を奪った。
12月10日、三牧氏は1956年に設立された「日本被団協」の代表として、オスロでノーベル平和賞を受賞した。日本被団協は、第二次世界大戦末期の広島と長崎への原爆投下による被爆者を束ねる団体である。団体の使命は、証言の力に根ざしており、穏やかでありながらインパクトのある語りの力に依拠している。ノルウェーのノーベル賞委員会は、この取り組みを認め、「私たちは皆、被爆者の使命を継続する義務がある。彼らの道徳的指針は私たちの遺産である。今こそ私たちの出番だ。軍縮のための闘いは、粘り強く、声を大にして主張することが必要だ」と授賞理由を説明した。
1月1日の世界平和の日を前に、三牧氏はこのインタビューで、日本被団協を設立した被爆者たちの遺産の守り手としての自らの役割について振り返った。三牧氏のような被爆者は、運命の8月6日の朝に起こった悲劇を決して世界が忘れないように努めてきた。
「私が3歳のとき、広島鉄道に勤務していた父親を探している間に、母と弟と私は被爆しました。 無数の命が失われ、建物は炎に包まれ、海まで見通せるほどでした。 弟は現在、脳腫瘍の治療を受けています」。悲惨な出来事を思い出すのは辛いが、こうした体験を共有することは、核兵器の悲劇を決して繰り返してはならない、と訴える被爆者の使命の要だ。
被爆者の高齢化が進む中、この使命を果たし続けることは、ますます切迫したものとなっている。「広島市はこうした証言を保存する取り組みを行っています… 市は、若い世代に教育を行うプログラムを設け、私たちの証言を次世代に伝えるメッセンジャーとなる人材を育成している」。
三牧氏は、教皇フランシスコの核軍縮への献身に深い感謝の意を表した。2019年11月に教皇が広島・長崎を訪問された際には、面談の機会があった。「教皇から赤いケースに入ったメダルをいただき、私は、核兵器廃絶に向けた取り組みをお願いしました。ご一緒させていただいたその日の写真は今でも大切にしています」と語った。
世界中の訴えにもかかわらず、核兵器の使用、核戦争の可能性に関する議論は近年激しさを加えている。悲惨な日の傷跡を今も抱える三牧氏にとって、核兵器が再び使用されるなどということは、想像を絶する。「もし核兵器が再び使用されるようなことがあれば、それは人類の終焉を意味するでしょう。だからこそ、私は核兵器を保有する各国の指導者たちに、核兵器の完全廃絶を誓うよう強く訴えているのです」と強調した。
三牧氏は、現在も続くガザ地区とウクライナでの紛争を特に憂慮している。「ロシアのプーチン大統領は、核兵器の使用の敷居を低くし、いつでも使用可能な状態にしています… 恐ろしい状況だ。私は、世界中の人々に広島と長崎を訪れ、原爆資料館を見るよう、強く勧めたい。核兵器が人命に与える壊滅的な影響を、自分の目で確かめてほしい」と訴えている。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)