(2026.6.30 カトリック・あい)
6月26日から27日にかけて臨時枢機卿会議で、全体会合におけるバチカンの前教理省長官、ゲルハルト・ミュラー枢機卿の発言内容が明らかになった。
それによると、枢機卿は、ピオ十世会が7月1日に教皇の承認を得ずに司教叙階を強硬しようとしていることに対して、教皇と枢機卿団が明確な対応を取るよう強く求めた。
また、枢機卿会議が新たに導入した小グループに分かれての”シノダル(共働的)な討議の仕方(日本の一部では「霊における対話」と呼んでいる)について異議を唱え、「全体会合での討論や教皇と枢機卿団のメンバーとの議論よりも、小グループでの意見交換が優先されている」と批判している。
以下は、明らかになったミュラー枢機卿の発言の全文。
1. 教皇が、普遍教会における枢機卿団の根本的な役割を再確認してくださったことに感謝します。リヨンのイレネウスから第一バチカン公会議に至るまで、教皇の首位権は、孤立した個人に属するものとして語られたのではなく、むしろローマ教会の首位権として語られてきました。その司教は、同時に全カトリック教会の可視的な頭でもあるのです。これは、教皇を教会から孤立させることを避けるためのものでした。ローマの司教として、教皇は常に郊外教区司教団の首長であると同時に、ローマの司祭および助祭たちの首長でもある。確かに、教皇と他の教会の司教たちとの間には広範な対外的な共同責任が存在します。
しかし、アンティオキアのイグナティウスが述べているように、すべての司教が常に自らの司祭団と交わりを保っているという点において、内部的な共同責任もまた存在します。ローマの聖職者の一部は、ローマ教区の司牧のためではなく、教皇が普遍教会の統治において用いる手段として、枢機卿団という制度に組み込まれたのです。
この観点から、枢機卿会議の運営方法についても、同様に考察する必要があります。会議のあらゆる描写や写真には、全体会合での議論の様子が写し出されている。したがって、入念に準備された発言に先立って行われる自由な意見交換は、グループ作業に先立って行われるべきであり、現状よりもさらに多くの時間が割かれるべきです。
いずれにせよ、教皇を囲む枢機卿や司教による教会会議の性質、ならびに司教と司祭団、および一般信徒評議会の性質を考慮に入れ、この新しい運営方法についてさらに熟考すべきです。
2. 聖ピオ十世司祭兄弟会は、すべての枢機卿に対し公開書簡を送っています。ローマ教会がカトリック信仰から逸脱した、というスキャンダラスな非難を退けることは、私たちの職務上、個人としても、また枢機卿団としても、私たちの義務です。教皇とのcommunio (交わり)を事前に認められずに行われる司教叙階という分裂的行為に対しては、いかなる曖昧さもあってはなりません。司牧および典礼上の問題については、司牧的な配慮をもって対応してもいい。
私は、かつての『Ecclesia Dei』に倣った委員会の設置を提案します。これは、分裂的な立場をとった者たちが、教皇との完全な交わりへと回帰できるようにするためです。しかし、啓示された真理における教会の統一の可視的な原理であり、不変の基盤であるローマ司教の務めが侵害されたとき、分裂への境界線は決定的に越えられてしまいます。トレント公会議の際、著名なポーランド人枢機卿スタニスラウス・ホシウスは、当時のプロテスタントたちに対して次のように述べました。そして彼の言葉は、現代のルフェーヴル派にも等しく当てはまります—「Catholicus non est, qui a Romana ecclesia in fidei doctrina discordat( 信仰の教義においてローマ教会と相違する者は、カトリック信徒ではない)」。
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