教皇フランシスコとの対話-イエズス会前総長の回想録から(Crux)

(2017.5.13 アウステン・イブライ   Crux contirubuting editor)

 今年の初めまでイエズス会総長を務めていたアドルフォ・ニコラス師は総長退任後、現在住んでいるフィリピンのマニラに向うまでの数週間を故国スペインで過ごし、親交のあった教皇フランシスコとの対話を回想録としてスペインのイエズス会報のために執筆した。この回想録は歴史的に、特にイエズス会にとっては重要な価値がある。もちろんこれは、イエズス会総長とイエズス会士である教皇の初めての対話の記録である。

 教皇フランシスコは、ニコラス師と教皇就任当初から親密な関係を築いたが、それは彼が、バチカンとイエズス会の数十年にわたる不信と冷たい関係を修復し、緊密な協力関係の再構築を目指したからだ。新教皇誕生の数日間でローマ中に広まったのは、教皇フランシスコは選挙が終わったその日にニコラス師に直接電話をかけ、イエズス会修道院の受付の担当者を大いに驚かせた、という話だった。教皇はこの電話で、2人の会見の日程を調整するため、また電話をすると約束した、という。

 教皇の歴史研究者にとって興味深い話は、会見の日取りを決めた電話で、教皇はニコラス師に「明日にはバチカン宮殿に移ることになっていますが、私が宿舎にしている聖マルタの館に来てください。こちらの方が宮殿よりもっと自由ですから」と伝えたということだ。「(歴代の教皇のようにバチカン宮殿の広くて豪華な住まいに入らずに)聖マルタの館に留まる、という決定は、宮殿に移る予定の直前、最後の瞬間に行われた」とニコラス師は語っている。このことは、教皇がバチカン宮殿の何部屋ある住まいを見た結果、親しみやすく開放的な、他の聖職者も利用するこのゲストハウスに留まる選択をした、という話を裏付けている。

 また、教皇が「自分がどのように見られているか、批判されているか」を良く理解していることに、ニコラス師は驚いたという。教皇は、ある時、師にこう言った。「彼らは、私が教皇らしく話さず、王様のように振る舞わないので、私を批判するのです」。この批判が少しも教皇を悩ませていないことは「私にとっては明らかだ」とニコラスは言う。なぜなら、イエズス会士は入会の際に、ぜいたくや聖職者としての昇進を拒否する誓いを立てる。イエズス会士が頻繁に行う聖イグナチオ・ロヨラの霊操の第2週の主要部分に「サタンがキリストを『富、名誉、誇り』で誘惑する場面についての黙想」がある。(イエズス会士として過ごしてきた教皇には当然のことなのだ。)

 師によれば、教皇の見方では、今の社会は「多くの知恵、少ない教理、そして希望を持って生きる意味」を求めている。教皇庁の改革について、教皇が「自分ができ得る最も福音的な方法」で実施し、「彼が非常に重要と考える宣教活動の根幹に触れる教会の信用と共に行わなければならない」と考えている、師は理解している。つまり、教皇庁の改革の目的は、福音宣教の任務の妨げを取り除くことで、改革そのものではないのだ。

 2人は対話の中で司祭職について長い時間、議論したが、その中で教皇は「聖職者の霊性への転向が最優先課題」だと言明した。師によると、教皇が「司祭職が指向してならない」として具体的に挙げたのは、「特権的地位」「経済的利益の源」「昇進や他者に対する権力を得る手段」など。一方、「司祭とはこうあるべき」として示したのは「他者の痛みとその痛みをどう癒すかを最大の関心事にする人」「人生とかかわりを自分の考えや生き方に反映させる人」などだ。聖職者からよく聞こえてくるフランシスコに関する批判に対して、教皇はそれらを評価しないし、気にしていない、それよりも、「司祭が直面する誘惑が何かを、教皇が明確に示してくれる」ことに逆に感謝すべきだ、と師は言う。

 「教皇はあとどのくらい教皇でいられるのか」という問いに対しては、「分からないし、教皇ご自身もお分かりにならないだろう」というのが、師の答えだ。教会の現状を考えると、この件についての教皇の考えはまだ固まっていない、と見ている。教皇と同い歳の師が自身の総長辞任について話した時、教皇は「私自身も、前教皇ベネディクト16世のような生前退位を考えています」と語ったが、そう語って数か月後、教会改革への頑強な抵抗に直面し、教皇は「『教会で進んでいる変化が逆戻りしないよう、私を受け入れてくれてください』と神に願った」と師に打ち明けたという。「別の言葉で言えば『私たちも教皇も、神の手のうちにいる』のです、と師は説明した。

 ニコラス師は、教皇にまつわる、多少込み入ってはいるが愉快な逸話を紹介している。教皇がブエノスアイレスの枢機卿だった時、「ボスニアの首都サラエボでの凍てつく寒さの中でのクリスマスの聖祭」で「誰かが小さなブランデーグラスを皆に回し、 聖祭を暖かく楽しいものとした」という話だ。

 師によれば、教皇に選ばれた時、フランシスコは「この人物の教皇庁の施物担当への任命がすぐに行われるよう願い、また、貧しい人々の近くにいられるようにローマに住むよう彼に勧めた」と回想したという。〝この人物〟とは、教皇の施物係として任命された、ポーランドのコンラート・ クライエフスキ大司教に違いない。〝ドン・コラッド〟として名をはせていた大司教は任命当時、すでにローマにおり、1999年から祭式担当の長を務めていた。師は回想録で「教皇の記憶は80歳台のものであり、思い違いがあるのは当たり前、と読者は受け止めるべきだ。話の辻褄が合わなかったり、疑問を感じたりしたら、彼の真意を良く考え、確認し、そして許すことが必要」と言っている。

(翻訳・「カトリック・あい」海老澤猛)

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2017年5月21日