(2026.9.25 バチカン放送)
フランス訪問初日の25日午後、教皇レオ14世は、パリの国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)本部を訪問され、加盟国代表とお会いになった。
講話の中で教皇は、「言語と文化が出会い、人類家族全体が関わる計画のために協力し合う場所」であるユネスコを訪れた喜びを語り、「正義、法の支配、人権及び基本的自由に対する普遍的な尊重を助長するために教育、科学及び文化を通じて諸国民の間の協力を促進することによって、平和及び安全に貢献する」(参照 ユネスコ憲章・第一条1)同機関の目的を思い起こされた。
そして、ユネスコにおける教皇庁の常駐オブザーバーとしての参加から、2027年で75周年を迎えることに言及。 聖ヨハネ・パウロ2世が1980年のユネスコ訪問で述べた「人間が真に人間らしい生活を送ることができるのは、文化のおかげである」という言葉をレオ14世は繰り返しつつ、この「文化」という言葉は、人間が自らのあらゆる行動に意味を与える生き方を示すもの、と指摘。同機関が「人類が自らその歴史と未来について考察する場所」であることを願われた。
続けて教皇は、「今、人類であることの意味自体が、本質的な問いとして突きつけられています… あらゆる知識、芸術、宗教の統合点に触れるこの問題に、どの時代の人も向き合うように求められてきましたが、21世紀においても、人間とは何者なのか、人間として生きるとはどういうことなのかを、私たちは当然のこととして理解している、とは言えません」と指摘。
この問題を見つめるにあたって教皇は、「まず人間とは、受胎され、生まれる存在であり、こうしたことから、人間であるとは、何よりも子であるということ。私たちは誰も子となることを選んだわけでも、誰もが自分でいつどこで生まれるかを決めたわけでもない。この事実は、生物学的な側面だけでなく、倫理的な側面も含む一つの真理を、すなわち、子である限り、私たちは皆、兄弟姉妹である、ということを明らかにしています」と説かれた。
次に、教皇は「私たちは皆、裸で、何も持たない状態で生まれてくるが、それをよく知っているはずなのに、年を重ねるにつれて忘れてしまう危険性がある… その記憶喪失の結果として、貧しい人々が、人間性を軽んじられたり、搾取されたりして苦しむことになるのです」とされ、「共通の人間性を思い出すことは、たとえ多くの悪や不正によって傷ついてはいても、それが素晴らしいもの、可能性に満ちたものであると認識することです」と強調。
その一方で、「最も恐ろしい人間の業とは、戦争であることを認識すべきです」とされ、戦争において、科学そのものが、破壊と殺戮という非人間的な意志に奉仕するために利用されることを深く憂慮された。
そのうえで、教皇は『ユネスコ憲章』の前文にある「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という言葉を引用され、「これらの言葉が、前世紀の最も破滅的な悲劇、第二次世界大戦の直後に書かれたものであること」に注意を促された。
そして「人類は、科学の進歩が分別を失うと、破壊的な武器になり得ること、文化がイデオロギーに屈すると、欺瞞とプロパガンダになり得ること、教育が真理を放棄すると、良心を操る道具に堕落することを知った。そして、ユネスコを創始した国々は、条約は必要でも、それ自体では十分ではなく、平和を維持するためには、平和の文化と共通の取り組みが必要であることを理解したのです」と振り返られた。
「平和は条約のみでは築けず、対立する勢力間の妥協策によって築くものでもない。真の平和は、単なる契約ではなく、正義の徳から、不安定な利害の均衡ではなく、正義の意志から生まれる。事実、正義の意志を持つ者だけが、他者の中に兄弟姉妹を、自分と同じ人間を見出すことができるのです」と訴えられた。
科学界と教育界が今日直面する課題の中で、教皇は特に広大なテクノロジー分野で生じる問題を提起され、「この分野における人間の努力は、新しい技術を支配や不正義の新たな道具とぜず、常に人類の利益のために役立たせるものとなるべきです」とされ、「近年、一部の人工システムに人間の思考能力である『知能』という名称が与えられる一方で、私たちの思考や人間関係が、非人間化の過程によって貧しくされる危険性が出ている」と指摘。
計算システムに「知能」が授けられる一方で、人間の尊厳は認識されず、人生は効率性という基準で評価され、生産的でないという判断のもとに、拒絶され、捨て去られる恐れがあることを危惧された。
教皇は、聖書に見られる「バベルの塔」と「聖霊降臨」の二つのイメージを対比。「バベルの塔は、支配によって押し付けられた統一を象徴し(参照 創世記11章4節)、この建造物は、権力が抑圧すればするほど脆弱化し、その非人間的な側面を露わにすることになる」とされ、「今日、バベルの塔の誘惑は、兄弟愛を欠いたグローバリゼーション、貪欲な金融植民地主義、イデオロギーの強要、そして人間生活を取引に矮小化するあらゆる『絆のない接触』の中に再び現れています。科学そのものが権力の手段に陥る時、もはや人間性を高める役割を果たさず、その努力の成果を貶めかねません」と警告。
そのうえで、「こうした文化的な腐敗は、聖霊降臨によって贖われる、と教皇は説き、そこですべての人にもたらされる平和のメッセージは、イエスの復活、すなわち死に対するいのちの勝利、世界に希望を与える救いを告げ、聖霊降臨の日、広場は人間に対するあらゆる侵害をいやす平和が祝われる場所となるのです」と強調された。
そして「バベルの塔の傲慢さではなく、聖霊降臨の平和が、あらゆる民族間の交わりを可能にする… それぞれの文化は、平和とすべての人の幸福を求める時に、その最高の知恵を実現し、人間性の真の意味を証しします」と話された。
講話の最後に教皇は、「ユネスコは各国間の文化対話による相互理解の促進を通して、希望を体現している… 教育こそが相互の恐怖を克服する手段であり、科学はすべての人間の生活に貢献し、未来に実りをもたらすものと信じる、その信頼こそが、他者の幸福のための奉仕の希望の源泉となり、偉大なる人間性への一貫した献身こそが平和を花開かせるものとなるのです」と出席者たちを励まされた。
(編集「カトリック・あい」)