スペイン訪問中の教皇レオ14世は9日夜、バルセロナのルイス・コンパニス・オリンピックスタジアムで行われた若者との祈りの集いで、参加者たちに「自らの内なる渇きを受け入れ、苦しみや精神疾患の中でも神の臨在を信じ、赦しを一時的な行為ではなく、癒しと和解への段階的な旅路として捉えるように」と呼びかけれらた。
この集いで、教皇は、参加した若者たちからの、回心、メンタルヘルス、苦しみ、暴力、そして赦しに触れた3つの証言に応えた。
成功と承認を追い求めてもなお感じた空虚さについて語った、洗礼を受けたばかりの若者フェランに対し、教皇は、「そのような不安は恐れるべきものではなく、受け入れるべきもの。私たちは無限のために造られているのです。だからこそ、あらゆる有限な地平、あらゆる一歩、あらゆる達成は―私たちを満足させつつも―同時に私たちを前進させ、探し続けるよう招かれる」と答えられた。
そして教皇は、自身が「利益と成果への偶像崇拝」や「自己イメージの崇拝」と呼ぶものに対して警告を発せられ、それらを「良心を麻痺させ、ある種の社会像に順応させるために設計された麻酔薬」と指摘されたうえで、「絶え間ない気晴らしの文化の中で、若者たちに沈黙と内面性を育むように。内面を見つめなさい。生活のペースや外部からの誘惑に圧倒されないように努めなさい。沈黙の瞬間を大切にし、例えば毎日数分間立ち止まって福音書を読み、神と語り合うようにしなさい」と勧められた。
闇の中の神
2番目の証言は、カルミナという若い女性からで、彼女はうつ病との闘いや過去の自殺未遂について率直に語った。闇が絶対的であるように思える時、神はどこにいるのかと問いかけ、彼女は人生における「二度目のチャンス」を受けたと述べた。
その勇気を讃えながら、教皇は、自らを先進的だと考える社会において、「精神の健康がますます脅かされています。これは、人々を健全なバランスを損なうような圧力や期待、緊張にさらす、ある種の『進歩』という概念に、根本的な欠陥があることを示す兆候です」と語られた。
そして、キリストの受難について考察され、「イエス自身が経験した苦悩、見捨てられ、そして苦しみ」について言及。「神の御子は、人類のすべての苦悩、孤独、そして苦しみを、自らの肉体に引き受けられた。あの暗黒の時間、十字架上で死の床にあったとき、イエスは私たちの痛みを分かち合い、憐れみ深い神の御姿を私たちに示されたのです」と指摘。
教皇は、「苦しみによって神が不在であるかのように思えてしまうことがある」と認めつつも、「十字架は異なる物語を語っています。イエスの十字架は、神が私たちを見捨てないこと、神が私たちのそばにいて、痛みと極度の孤独の瞬間に私たちと共に十字架にかかっていることを告げているのです」と強調。
同時に、教皇はキリスト教徒に対し、「苦しみについて単純化した説明をすること」に注意するよう促され、「私たちは痛みを精神論的に解釈し、表面的に『神の御心』や神の不可解な計画のせいにしてはならない。神は苦しみを望んでおられない。神は私たちと共にその苦しみを背負ってくださるのです」と語られた。
旅としての赦し
3番目、最後の証言は、セシリアという名の若い女性から寄せられた。彼女は、家庭内暴力、依存症、そして家族との離別によって彩られた幼少期を振り返った。カトリックのケアセンターで受けた支援を通じて信仰を見出した彼女は、「母親を殺害しようとした父親をどう赦せばよいか、そしてどうすれば神と和解できるのか」と問いかけた。
教皇レオはまず、彼女がしばしば自問していた「神はどこにおられたのか」という問いに向き合われ、「私たちの責任に委ねられたことを、神のせいにすることはできない。神が天上から自動的に私たちの必要に応えてくださったり、奇跡的に悪の発生を防いでくださったりすると想像してはなりません」とされたうえで、「暴力的な状況は、社会が自らを省みるきっかけとなるべきです。もし暴力があり、もし利己主義が蔓延し、もし家族間の愛さえ憎しみに変わるなら、私たちは社会の仕組み、個人主義の文化、そして暴力の誘惑について問わなければならない―しかし、神についてではありません」と忠告。
赦しについて、教皇は「単一の行為ではなく、段階的なプロセスです。私たちは、内なる傷を癒やす悪に対する強力な治療薬である『赦し』を、一つのプロセスや旅路の一部として捉えることを学ばなければなりません」と語られた。
深く傷ついた人々にとって赦しがどれほど困難であるかを認めつつ、彼は、赦しはしばしば、人間の心の傷ついた部分を癒やすよう神に祈ることから始まるのだと強調した。「私たちは小さな一歩を踏み出し、赦しへと進んでいく」と彼は述べた。「過去との和解は段階的なものだ」。
また教皇は、特に暴力が振るわれた場合、赦しとは必ずしも以前の関係を修復することを意味するわけではないと明確にした。「その人に対して心を開いた態度を保ち、あらゆる形の憎しみや復讐を拒絶し、可能な限り関係を修復するよう努め、そしておそらくその人のために祈ることはできる」と彼は述べた。
講話と質疑応答の締めくくりとして、教皇は、辛い記憶を抱える人々に希望を失わないよう励まされ、「神が憎しみをゆっくりと慈悲と憐れみへと変えてくださることを信じます」と語られた。