・(読者からの投稿)「司教も司教団も”シノドスの道”への教皇の思いを理解しているのか」

 「カトリックあい」の記事(日本司教団のシノドス報告書)を読みました。私も同感です。日本の司教団は、教皇フランシスコの意向を真摯に受け止めることができず、期限内に報告書を提出することを優先したとしか思えません。この記事を教区内の司祭・信徒に紹介していますが、賛同する方が少なくありません。それは、日本の教区の、そして日本の司教団の”シノドスの道”の取り組みに、心ある聖職者や信徒たちの中に疑問を感じる人がいる、ということでしょう

*”報告書”に対して信徒から「小教区の声もろくろく聴かずに作った」と批判の声

 私が所属する教区の場合、司教協議会が教区からの報告書提出期限を延ばした後も、小教区からの提出期限をそのままにし、担当者チーム(4名の司祭と1名の終身助祭)で、十分に検討もしないまま、担当司祭が一人で教区の報告書を作りました。内容は8月号の教区報に載せていますが、「小教区の声もろくろく聴かずに作ったものは読む気がしない」と感じる聖職者や信徒が私の周りにもいます。

 司教は、こうした声に対して、「取りまとめ者を責めないでほしい。私の意向に沿ったものだ。とりあえず期限内に文書は司教協議会に提出して、今秋から教区の問題にしっかり取り組むつもりだ」と言っているようですが、これに対しては、すぐにこうした批判の声が上がっています。

 「それはおかしい。バチカンは教皇フランシスコの意向を受け、『今の教会に欠けているのはシノダリティ(共働性)だ、”シノドスの道”を、まず地方教会レベルで時間を十分取って聖職者も信徒も互いに耳を傾け合い、シノダリティを皆のものとするように』と指示したはずだ。聖職者も信徒も教会や信仰について思ったことを述べ合い、それにシノドス担当者は耳を傾け、それをもとにさらに対話を続けるまたさらに皆で対話することを通して、少しずつ”シノダルな教会”になっていく、その努力をするのが本筋ではないか」。

 

*シノドス事務局の真意は「質問に対する”報告書”を出せばいい」ではない

 つまり”シノドスの道”の小教区から教区に至る実践によって、聖職者も信徒も、”シノダルな教会”とは何かについての認識を深め、体験せねばならなかったのです。小教区に、あるいは教区に、ただ質問票を配って、回収し、まとめの文書を提出して終わりではないーそのように、バチカンのシノドス事務局が世界の教区あてに送った準備文書にも、手引書にも書かれています。

 司教は、先に述べたように、報告書はとりあえずまとめたもの、秋から教区の問題にしっかり取り組むつもりだ、と言っているようですが、私たち信徒には、これからどう進めるのかを含めて、何の言葉もありません。日本の教会や私たちの教区をめぐる問題に対して危機感が全く感じられません。

 バチカンのシノドス事務局が、”シノドスの道”の歩みのために作成した「準備書」「手引き」「2015教皇演説」についての共通理解が、私たちの教区では、司教、司祭、そして信徒の間でもなされないまま、(「耳を傾け合う」には程遠い)”意見聴取”が行われました。昨年10月の教区評議会で配られた資料でも、説明が不充分でした。教区から小教区に送られた質問書の様式変更(10項目を7項目に変更)についても納得できる説明がなされず、担当チームの任命も本人の承諾なしに当日行うなど、急いでやろうとしている印象を持ちました。歩みの工程表も作成されずに、「締切日に意見票を提出することだけが、小教区から教区に至る”シノドスの道”への参加」という印象でした。

 

*”道”の真の狙いは「信徒の声に耳を傾け、共に歩む」こと

 

 これでは、教区の責任者や”シノドスの道”担当者が、「信徒の声に耳を傾け、共に歩む」という”シノドスの道”の本来の歩み方を理解しているとは言い難い。小教区から教区に締切日までに報告書を出し、教区は司教協議会に締め切り日までに報告書を出す」ことを第一義と考えていた、と思わざるを得ない。それがとても残念です。

 教皇が願われている”シノドスの道”からはずれたまま、聖職者が中心となって、今までと同じような教会運営を続けるなら、教会の成長はないでしょう。現場の信徒の声を聴き、それを吸い上げて、活かすことに努めない限り、早晩、教会は消滅します。司教にも、司祭にも、そして信徒にもまず、求められているのは、これまでの教区の取り組み、現状を真摯に反省し、どこに問題があるのか、なぜそうなったのか、”不都合な真実”を包み隠すことなく、対等な立場で、率直に、耳を傾け合うことです。そして、それこそ、教皇が”シノドスの道”で私たちに求めておられることではないでしょうか。

 このような問題意識をもつ司祭や信徒は私の周りにも少なくありません。その方々と力を合わせ、”シノドスの道”を一歩でも前に進んで行こうと思います。その際、教区を超えた連帯も大きな力と思います。

(鹿児島教区のある信徒)

 

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2022年9月3日