A Catholic politician sees hope in synodal process
(2022.2.12 La Croix Florence Chatel | France)
フランスのカトリック教会は、独立委員会による聖職者の性的虐待の深刻な実態が明らかにされたことで、大きな動揺を続けているが、そうした中で、パリ郊外の人口約6万1000人の小都市、クリシー・ラ・ガレンヌの副市長、Alice LeMoal氏は、教皇フランシスコの提唱で世界中で始まっている”シノドスの道”に希望を見ている。
Le Moalはカトリック教徒で、親欧州を標榜する中道政党、民主主義運動(MoDem)のメンバーだ。クリシー・ラ・ガレンヌ市は、17世紀に聖ビンセンシオ・ア・パウロ(1660年)は小教区の司祭を務め、後にこの市で最も重要な教会の建設を監督した、という歴史を持つ。
今日では、フランスの世界的化粧品メーカーや文具メーカー、ソニーのフランス現地法人などが本社を置くなど、経済的には恵まれているが、社会的な問題もあり、副市長は、困難を抱える人々を助ける仕事の支えになっているのは「自分のカトリックの信仰。人々の暮らしの具体的な解決策を一緒に模索しています」と語る。
LaCroixは、 LeMoal副市長の仕事、信仰、そして、シノドス的教会野あり方などについて聞いた。
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La Croix:フランスの教会における聖職者などの性的虐待に関する独立委員会(CIASE)の報告について、あなたはソーシャルメディアで見解を出されました。政治活動の中で、信仰を肯定するようになったきっかけは何ですか?
Alice Le Moal:私は弁護士を含むカトリック教徒の友人と定期的に会い、信仰、社会、自分の信条など関係について意見を交換し、考えています。CIASEの報告書が出された時、私たちが最初に、司教や司祭たちから聞いた反応が”気まずさ”だったことに驚きました。感情の高まりを期待していたのに、ある種の”主知主義”を耳にしたのです。私たちは信徒として、一般の人々に、起きた出来事を案じていることを表明したかったのです。
性的虐待の被害者たちの苦しみと、それをもたらした組織としての教会の性質に、大きなショックを受けました。苦しんでいる教会が私たちの教会でもあることを示すために、ハッシュタグ#AussimonEgliseを付けてTwitterにメッセージを投稿しました。このことが物事をどのように変えたか、を伝えたかったのです。私たちの対応は、自然に起こったものでしたが、子供の頃からの信仰と教会文化の習慣が元になってもいました。
La Croix:このような対応への人々の反応はどのようなものでしたか?
La Croix:好ましいものでした。信徒たちが、少しは自由に声を上げられるようになったー「教会の中で何が機能していなかったのか、何を改めるべきか、について自分の考えを持つことができた」と。私たちは(注⁂政治家という)専門的な仕事をしているので、教会活動への奉仕にそれを生かすことができる。教会の統治や一般信徒の参加のあり方などを考えるうえで貢献することができる。
選挙で選ばれた公務員として、私は選挙民である市民の意見をひんぱんに聴き、政策決定に反映するようにしていますが、教会には、そのような「聴く」用意が出来ていないように思います。一般の信徒は日曜日のミサに出て、付随的に小教区の活動に関わりを持ちますが、自分たちの教会の外の社会での経験は脇に置いておくことが”期待”されているのです。
La Croix:フランスの社会とカトリック教会の関係、そして”シノドスの道”をどのように見ていますか?
Alice Le Moal:教会がフランス社会にどういう見方をしているかと言えば、「礼儀正しい無関心」あるいは「煩わしい思い」ということでしょう。特に、独立委員会の報告書が出た後は、教会は、社会の声に耳を傾けようとしなくなっています。
もっとも、環境回勅「Laudato si’」のような教皇メッセージは、カトリック教会共同体を超えて、社会に影響を与えている。バチカンのシノドス事務局が昨秋発表した”シノドスの道”の準備書面では、この回勅に言及し、(注:”シノドスの道”を共に歩む中で、「貧しい人々と地球の叫びに耳を傾け、この時代に遭っても聖霊が蒔き続けている希望と未来の種を認識するように」と呼びかけています。
教会は、宝物を“保管庫”ーこの社会教説ーから取り出すために、”シノドスの道”を活用することができるでしょう。ボルドー政治学院の学生だった時、「物財の普遍的用途性」あるいは「貧しい者への優先的選択」のような根幹とともにある、教会の社会教説を見つけました。それが私の専門的、政治的な関わりの起訴になっています。自分の信仰と社会における私の立ち位置をそろえるのに役立っています。
今朝、仕事に出る時、私の頭にはマタイ福音書の25章が浮かびました。キリスト教の信仰は、未亡人と孤児、麻痺している人、風俗関係者、そして公務員に会う際に、キリストに倣うことを思い起こさせます… 選挙で選ばれた公務員としての私の仕事は、私の信仰をより生き生きと、より具体的なものにします。信仰に実体を与え、動かします。私にとって、主日のミサで受ける霊的栄養と、公益への関心の間を行き来する必要があります。
当然ながら、私たち皆に、矛盾やパラドックスがあります。それでも、私は、構造を変えられるという希望をもって、日々の活動の中で自分自身が変えられるようにしています。自分の子供の世話をしたくない、あるいはできなくなった親たちに会い、望まれずに捨てられた赤ちゃんを見つめます。私は悪の神秘とその悪の根源に向き合っています。
La Croix:性と家庭についてとても道徳的な言説を唱えている教会は、どのようにして、このような弱い人々に手を差し伸べることができるのでしょうか?
Alice Le Moal:この”シノドスの道”を歩む機会に、私たちは、自分が住む社会の脆弱な人々の声にもっと注意深く耳を傾け、人々の生活への具体的な対応策を共に模索するように促されています。私が先に取り上げた聖書のメッセージに戻る必要がありますー「あなたは、自分の兄弟に何をしたのか?’」