・”シノドスの道”の歩みが、”失望”のまま終わらないためにーフランスの宗教社会学者が論考

(2023.5.29  カトリック・あい)

 教皇フランシスコが、カトリック教会を、司教、司祭、一般信徒、教会を構成するすべての人が互いに耳を傾け合い、synodal(共働する)教会となるために2021年秋に始められた”synodal path(シノドスの道)”の歩みは、世界の小教区、信者のグループから始まって、教区レベル、国レベル、大陸レベルと進み、今年と来年のそれぞれ10月に予定される、一般信徒も議決権を持って参加する世界代表司教会議(シノドス)で当面のゴールを迎える。

 だが、これまでの歩みを見ると、日本を含むアジア地域をはじめ、教会を構成するすべての人が互いに耳を傾け合うには程遠い状態が続いており、教皇の思いとはかけ離れているように思われる。

 そうした中で、フランスの哲学者で宗教社会学者のジャン・ルイ・シュレゲル氏が、5月25日付のカトリックの有力オンライン情報誌LaCroixインターナショナルに、現在世界のカトリック教会で進められている”シノドスの道”についての論考を寄せた。以下のその要約を掲載する。

 全文詳細はhttps://international.la-croix.com/news/religion/synod-preparations-show-the-church-is-fracturing-perhaps-even-imploding/17864に。

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 多くの人は、この10月にローマで一回目の「synodality」をテーマにした世界代表司教会議の行方に懸念を持っている。 教皇フランシスコが会議の総括者に任命したジャン=クロード・オロリッシュ枢機卿とシノドス事務局長のマリオ・グレッグ枢機卿、そして事務局次長のシスター・ナタリー・ベカーが成果に前向きな発言をしているにもかかわらず、である。

 そして、この懸念には多くの理由がある。 まず第一に、これまで開かれた”シノドスの道”の歩みに関係する様々な会合がもたらした「失望」が挙げられる。私たちは今、重要なのはその「結果」ではなく、「行事そのもの」であるという司教たちの発言も聞いている。そのために、この前例のない”シノドスの道”の歩みに、世界中のかなりの数のカトリック教徒を動員し、「共に歩む」ようにと招くことになるだろう。期待値を下げるような発言は、「失望」を事前に防ぐためではないだろうか。

 

 

*教会の信頼回復のために緊急に取り組むべき課題

 

  世界中のカトリック教徒は、共通する主張と大陸によって異なる主張を通して教会改革への願望を表明してきた。 その内容を読むと、どの課題が冷静に対処され、どの課題が世界代表司教会議の議題選定に困難をもたらすかを見極めるために、高位聖職者である必要がないことが分かる。

 たとえ答えが単純でなくても、人は常に意見を交わすことが出来る―社会で軽視されている人々(同性愛者たち、一夫多妻主義者たち、若者たち、女性たち…)の排除、外国人に対する寛容、貧困者を優先する活動の復活、経済植民地主義、 気候変動による新たな不平等、階層的な教会とsynodal(共働的)な教会の間の、あるいはローマ本部(バチカン)とあらゆる種類の周辺地域の間のギャップ、そして世俗化の拡大とそれがもたらしている影響、などだ。

 だが、司祭の役割と地位(つまり、強制的な独身制)、教会における女性の位置(司祭職、助祭職からの排除)、そして教会の権力/権威の行使、となると、話は別になるだろう。 さらに、性的虐待の組織的要因に関する教義的、司牧的な問題などは、教会が信頼を回復するために、緊急かつ迅速な対処が求められる課題だ。

 フランス司教協議会(CEF)が3月末にルルドで開いた総会では、「教会における性的虐待に関する独立委員会(CIASE)」の報告書を受けて設置された作業部会の提案が審議された。この問題への 司教たちの極めて慎重な反応がバチカンが今後踏み込もうとする”予兆”だとすれば、今後の展開をあまり楽観視することはできないだろう。

*”反抗する教会”を厳しく批判することが好ましいのか

 ドイツのカトリック教徒たちがたどっている”シノドスの道”の歩み方は、世界の教会関係者から大きな関心を持って見られている。聖職者と一般信徒が同数で構成される教会会議の十分に根拠のあるすべての決定に、反対するバチカンの厳しい態度も、好ましい前兆とは言えない。 教皇フランシスコは、ドイツにはすでに「非常に優れたプロテスタント教会」があり、第二のプロテスタント(ローマの権威に反抗する)教会は必要ありません、と皮肉を込めて批判している。

 だが、私の知る限り、数多くの聖職者による性的虐待の暴露で失墜した教会の信頼を取り戻すことを直接の動機として始った、ドイツの”シノドスの道”の歩みが、教皇の権威や教皇に対する忠誠に疑問を投げかけたことは一度もなかった。

 

*危機を直視することが、教会に利益をもたらす

 世界代表司教会議の準備段階で表面化し、緊急に対処すべき問題、つまりカトリック教会が今、分裂状態にあり、内部崩壊の危機さえあることを直視するのが、私たちの利益につながるだろう。”シノドスの道”の歩みの過程を伝えるべき多くの司祭たちは、歩みへの参加を放棄したり、歩みの開始や促進に何も努力して来なかった。40歳から45歳以下の一般信徒はほとんど、あるいはまったく歩みに参加していまい。

 わずかに声を上げた若い人たちは一番保守的な態度を取っている。教会の草の根レベルでの意見の交換、伝統至上主義者の目には進歩的過ぎると映る声に対して嫌悪と拒絶を、ソーシャルネットワークや自分のホームページで表明していることは言うまでもない。そして、”伝統的”とされる人々は、「(教会の仕組みやルールの)改革」という言葉そのものを”攻撃的”と見なし、個人的な回心、個々の過ち、祈りと崇敬をさらに強くすることの緊急性だけを信奉している。このようにして「 第二バチカン公会議」を過去に追いやる人々の動きは、”シノドスの道”のプログラムを提示する人々と違って、自身の目的に司祭や若者を引き込むという点で順調に進んでいる。

*「分断化し、多極化した教会」が真に話し合うべき課題は

 

 また、フランスでの”シノドスの道”の歩みは、教皇フランシスコがドイツの”シノドスの道”の歩みを批判したのと同じ”エリート主義”的要素によって支配されてきた、とも指摘された。 “シノドスの道”の歩みに参加した人々のほとんどは、熱心な教区民、神学を学んだり特別な訓練を受けた教会関係者や活動家、カトリックのメディア関係者などだった。歩みに参加した人々は、フランスでも他の国と同じように、教会の”公会議”世代を構成する中流および中流階級のカトリック信者であり、”伝統派” からあまり愛されていない意欲的で教養のあるグループである。

 こうして私たちはスペクトルの対極にある 2 つのグループの前にいることに気づく。最近のさまざまな出来事によって大きく分断され、「多極化した教会」(バチカンのシノドス事務局次長のシスター・ナタリー・ベカーの言葉)は、内部で和解できるのだろうか? 予測するのは難しい。

 なぜなら、私たちは現在、教会、典礼、司祭職、信仰と道徳、現代世界におけるキリスト教徒の生活、そして、宗教と”聖なる者”の意味をめぐって根本的に対立し、平行線をたどる未来像を扱っているからだが、これこそまさに、”シノドスの道”の歩みの中で私たちが話し合うべきことではないだろうか。

(筆者のジャン=ルイ・シュレーゲルは、フランスの著名なカトリック哲学者、宗教社会学者。 数多くの書籍や記事の編集者兼著者でもある)

 

(まとめ「カトリック・あい」南條俊二)

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2023年5月29日