・「神と人への奉仕の中に一致を 見出す」オロリッシュ枢機卿、”シノドス”を語る(VN)

Cardinal Jean-Claude Hollerich, SJCardinal Jean-Claude Hollerich, SJ  (Archeveche de Luxembourg / SCP)

 インタビューでのオロリッシュ枢機卿との一問一答は以下の通り。

*10月のシノドスで一般信徒など”司教以外”の参加者が議決権を持つ理由

問: 今年 10 月のシノドス(世界代表司教会議)の通常総会には、司祭、男女修道者、女性や若者を含む一般信徒など、かなりの数の議決権をもつ「非司教」が参加することになりました。この意義はどこにあるのですか?

答: 過去にも、議決権を持つ参加者がおり、特に新しいことではありません。 議決権を持つ女性はいませんでしたが、司教以外の人がいました。 変わるのは、”小さなグループ”が大きくなる、ことです。

 司教は常に担当教会の司牧者であり、シノドスは司教の「シノドス」のままです。 人々から分離された機能を司教に見ることはできません。 私はルクセンブルグの大司教です。ローマにいるときはルクセンブルクの教会が恋しいです。大聖堂の 1 列目、2 列目、3 列目にいる人々のことを考えています。毎日会う人々のことを考え、恋しく思います。10月の総会には、一般信徒のごく一部が司牧者である司教と共に出席します。 彼らには特別な使命があり、教区レベル、司教協議会レベル、そして大陸レベルの”シノドスの道”の歩みで、素晴らしい経験を積んでいます。 参加するすべての司教たちがこのような経験をしたわけではありません。 したがって、今総会に参加する新しいメンバーの役割は、”シノドスの道”のこれまでの歩みで経験したことの証人となり、経験していない人に伝えることです。

問: それでも、シノドスは「司教たちの」会議のままなのですか?

答: はい。司教が「多数派」であり、新しい方式を導入した後も、それは変わりません。 さまざまなレベルで始まり、最終的に教皇に到達する識別を行うのは、司教たちの責任です。そして、 シノドスの新しいメンバーは、いわば、神の民の「非司教」部分を代表しています。

問: 神の民の代表と共にある司教会議だと言えるのでしょうか?

答: 司教も、神の民に属しているのです。少なくとも、私は神の民の一員になりたい…… そうでないと気分がすぐれません! 私たちは、新しいメンバーを、これまでの”シノドスの道”の歩みの証人であり記憶として、もっと理解する必要があります。

*10月のシノドス総会の狙いはどこにあるのか?

問: ‘Synod on synodality(シノドスについてのシノドス)”という10月の総会のタイトルは、かなり専門的な表現で、人々の生活とはかけ離れているように感じます。  このタイトルに込められた意図は何でしょうか。

答:総会の狙いは、「どのようにしたら、私たちは福音宣教する教会になることができるか」を共に考えること。タイトルにはその意図が込められています。このことを強調することは重要だと思います。これは”分析”や”瞑想”ではありません。 私たちは、神が今の時代に望んでおられるように教会を生き、世界に、同時代の人々に福音を宣べ伝えるために生きています。それは素晴らしいことです。

 教会の歴史は、常に”シノドス(共働)”でした。 (初代教会最大の説教者と言われる)聖ヨハネ・クリソストムは、「シノドスと教会は同義語である」と言います… 私たちが歩んでいる道、神の民全体の関与は、聖霊が第二バチカン公会議が実行するような方法で私たちを導いていることを示しています 。特に公会議で出された Lumen gentium (教会憲章)がそのことを確認しています。

*総会で問われるのは、「個人主義」が氾濫する現代社会における教会の在り方

 

問: では、10月の総会の中心にあるのは、個々の話題ではなく、この教会の在り方と言えばいいのでしょうか?

答: そうです。「現代の病気への対応」と言ってもいいでしょう。 私たちが生きている超近代、あるいはデジタル時代を特徴付けるのは、日々ますます顕著になっている「個人主義」です。 そして、この個人主義では、人類は存続できません。生き残るためには「共同体」の要素が必要です。それと、社会やメディア、さらにはカトリック教会の現場においてさえも、二極化が進むという現象が見られます。「共に歩む神の民」(の実践)は、このような現代世界の傾向への対応です。

 ここで注意していただきたいのは、私たちがこうした傾向に対応するために「synodality(共働性)」を”発明”したのではない、ということです。今のこの時期に、初代教会が経験していたsynodalityへの欲求に再び火を点けたのは、聖霊です。そうしなければ、人類が危険にさらされるからです。

 

*シノドスで必要なのは論争ではなく、耳を傾け、「霊的対話」をすること

問: 誰もが話し、誰もが論争に巻き込まれている今の時代にあって、教皇フランシスコは「互いに耳を傾けること」の重要性をしばしば強調されていますが、実際に「耳を傾ける人」はほとんどいないようです…

答: 私が教区司教として、話を聞いている時に気が変わることがありますが、それは私にとって良いことです。 私が担当するルクセンブルク教区は大きくありません。私の国、ルクセンブルクの人口は66 万人。多かれ少なかれ同じことを、時には同じ場所で、同じ教授の下で学んだ側近が、司教にはいます。 彼らは同じように考えます。

 でも、神の民のすべてにとっては、明白でないこともある。 その意味で、開放性、他者の声を聞く方法を知っていることは良いことです。また、人々が司教たちの話を聞くのもよいことです。なぜなら、司教たちには耳を傾ける役割だけでなく、答えを提供し、人々の羊飼いになる役割もあるからです。

 私たちには、多数による決定に全員が従う”シノドス議会主義”はありません。 「シノドス」は議会ではありません。 私たちは神の意志を識別し、聖霊に導かれることを望んでいます。

問: では、シノドスにおいて、決定に至るプロセスはどのようなものですか?

答: これは「霊的なプロセス」です。 それが、私たちがこの霊的な対話-聖霊においてなされる対話をする理由です。共通の結論に達するために、反対の姿勢を取るのでなく、耳を傾け、対話に入る方法です。 このプロセスで常に回心が必要なのは明らかです。回心せねばならないのは司教であり、一般の信徒です。

問: 教会においてさえも、特定の結果を得るために「数を数えたい」という政治的なメンタリティ―に直面することがあります。 それと「霊的プロセス」の違いはどこにあるのでしょう?

答:教会における”議会主義”は、プロテスタントの兄弟たちのsynodalityに属するものです。 私たちはカトリックのsynodalityを実践せねなりません。 私たちは、聖職、司教の共同性、教会に対する責任、ペテロの優位性を定めています。 これらすべては、synodalityによって根絶されることがありません。というよりも、synodalityは、司教たちの共同性と教皇の優位性が行使される中で、神の意志を共に求めることを視野に入れたものです。

 ですから、「ここにこういう問題があります。それについて 2 つの立場があり、過半数の支持を受けた人が勝ち、それが行われます」と言うようなものではありません。 それでは教会は破壊されてしまいます。 私たちはそうなるのを望んでいません。私 たちは教会共同体として共に歩む必要があります。

 

 

*「共に歩む」とは具体的にどういうことか?

問: 「共に歩む」とは具体的にどういうことでしょうか?

答: 私たちが歩くとき、キリストが中心です。 右に人がいて、左に人がいて、もっと前を歩く人がいて、時間がかかって後ろにいる人がいて… そうやって、「共に歩く」のは普通のことです。 教会の中に緊張があるのは正常、ということを学ばねばなりません。すべての人が、すべての大陸で、すべての問題について同じように考えるわけではない。 ですから、異なる文化を持つ人に対しても、敬意を持って耳を傾け、神の意志を求め、共に進むべき道を決めることが重要です。

 私を左側に「置く」人が何人かいるから、左側を歩いているとしましょう。 キリストを中心に歩いていて、左側から見ると、キリストだけではなく、人々が右側を歩いているのも見えます。 彼らを見ないでキリストを見ることはできません。つまり、右側を歩いている人たちも、私の共同体の一員です。 「共に歩まねばならない」ということです。 右側を歩く人も、前に進む人も、後ろを歩く人も、同じ経験をしてもらいたい…。キリストが真に中心であり、聖霊が道具であり、死んでよみがえられた主が中心におられるのを保証するものであるなら、私たちは皆、宣教する弟子です。

問: それでも、私たちは、組織や戦略など他のことに忙しかったり、気を取られたりしているように思われることもありますね。

答: 教会は、組織や戦略について話すのにいつも忙しくすることはできません。 試合をせず、ルールだけ話しているサッカークラブがあるとすれば、おかしいと思いませんか? そのようなクラブに入ったり、応援したりする人は多くないでしょう! 教会についても同じことが言えます。私たちの信仰は、教会の内外で奉仕することによって生きている。 神への奉仕と人々への奉仕の中で生きているのです。

 

 

*大陸レベル会合で気付いたことは、地域による「違い」

問: シノドスの大陸レベルの歩みに参加して気付いたことは?

答: とても素晴らしかったです。さまざまな国の司教協議会が、さまざまな大陸のレベルの会合に提案をしました。相違もありました。たとえば、ほとんどの大陸レベルの会合で、「テント」のイメージを気に入りましたが、アフリカではそうではありませんでした。なぜなら、彼らにとってテントのイメージは、「難民のテント」であり、「悲惨と貧困のテント」だったからです。彼らは、「神の家族」のイメージを好みます。「家族は広げられるが、テントは広げられない」というのです。

 それを知って、私は、 1 つのイメージだけでなく、さまざまなイメージを示す必要があることに気付きました。 「テント」のイメージを愛する人は「神の家族」のイメージから何かを学ぶことができる、と確信しています。 大陸レベルの会合に出席するの重要なことでした。私が出席したのは、話すためではなく、影響を与えるためではなく、耳を傾け、多様性を理解するためです。10月のシノドス総会でも、そうする必要があるでしょう。

 

問: 7つの大陸レベル会合と”デジタル会合”の8 つの最終報告から何が明らかになるでしょうか?

答: ”デジタル シノドス”は素晴らしい体験でした… 8つの文書すべてから浮かびあかったのは、実際に体験されたたこと-人々の喜びです。 欧州やアジアの会合では、集まりが繰り返されるようにしたい、との希望が出されました。欧州の会合について、私は心配していました。(参加国の間に)大きな違いがあったからです。 しかし、ここでも人々は前に進むことを希望しています。違いを抱えながら前進し、共に歩まねばなりません。 8つの最終報告をもとに、聖体拝領について、教会行事への参加について、福音宣教について、何が重要かを考え、10 月のシノドス総会のための準備文書をまとめる必要があります。

問: さまざまな大陸の貢献を引き出すために、どのような工夫をしましたか?

答: グループで、シノドス(共働)的なやり方で。 一人でしたわけではありません。 さまざまな課題に取り組むいくつかのグループがありました-高位聖職者のグループ、叙階された聖職者のグループ、洗礼を受けている信徒のグループ、司教たちのグループなど。共に歩む道で明らかになったすべてを包含するために、教会の教導職、教皇たち、第二バチカン公会議が何を語っているかを熟慮し、これについて大陸レベルの諸会合が何を語らねばならないのかを自らに問い、まとめました。

 

 

 

*10月のシノドスに向けた討議要綱はどのような中身に?

問: Instrumentum Laboris(討議要綱)はどのようなものになりますか?

答: 短いテキストの形になります。 シノドス総会の参加者たちが分かち合い、参加し、それによって自分自身を表現できるように。参加者たちが自由に語ることができるのを望んでいます-「それは捨てましょう」「何か他のことをしましょう」という風に。シノドス総会は今年10月、さらに来年10月に予定されており、急ぐ必要はありません。無理な妥協をしてはなりません。 今日の世界で、神が教会に求めておられることを真に理解するための時間が、私たちにはあります。

問: 具体的に、今から 9 月までの間に何がありますか?

答: 討議要綱が世界のシノドス総会の参加者たちに示されます。要綱に盛り込むべき新しい要素が多いので、やるべきことがまだたくさんあると思います。 そして、まだ定かでないのは、すべてのことがシノドス評議会と教皇に従う必要があり、私たち―総会の報告者、シノドス事務局長、特別秘書役の判断もそれに従わねばならないだろう、ということについてです。

 司教たちなしでも、司教たちに反対しても、synodality(共働性)はない。そして、教皇なしでも、教皇に反対しても、です。すべてのことは、教皇の承認、祝福を得るために低産される必要があります。そうしなければ、私たちは職務を続けることができない。 私たちはカトリック教徒であり、カトリック教徒であり続けたいと思っているのです!

 

*これまで”シノドスの道”に参加できなかった人たちに

問: あなたはさまざまな大陸レベル会合に参加しておられますが、 「生ぬるい」反応や抵抗にお遭いになったことはありましたか?

答: 参加していて、 2 つの誘惑に気付きました。 1つは、すべてを「古いパターンに同化する誘惑」です。 私が「右翼」と呼んでいる誘惑です。私たちには、これまでしてきた事に固執し、新しい事について考えたり、思い悩んだりしたくない、という傾向があります。

 もう一つ、「左翼」の誘惑もあります。それは、「教会で重要とみなされる問題はすべてシノドスで話し合わなければ、という誘惑」です。 でも、これは不可能です。 シノドスには、synodaliry(共働性)というテーマが設定されています。それが私たちの課題―synodality、聖体祭儀、参加、宣教の使命、です。シノドス総会は、これらに焦点を当てます。 他の課題の重要性に異議を唱えるつもりはありません。教皇が選択した方法で、それらを熟考できるようにされます。それでも、シノドス総会のテーマがsynodalityであることに変わりはありません。

問:これまでの” シノドスの道”の歩みで、教区レベルで直接関わることがなく、そうする機会がなかった人にどのように対処することができるでしょう?

答: まず第一に、私は彼らに祈ってもらいます。神の意志を行うためには、たくさん祈らなければならないからです。 教会全体の祈りの支えが必要です。そして、彼らに、「自分の心の中でシノドスを生きようとするように」とお願いしたいと思います。仕事でも教会でも、彼らの祈りは抽象的なままではあってはなりません。

 シノドスの祈りに参加することは重要です。 シノドス事務局長のマリオ・グレック枢機卿は、私が美しいと思うことを言いました- イエスのなさり方に倣いましょう、教会を見る時、イエスの存在を認めましょう-これは非常に重要なことです。そうしなければ、人々が私たちの中にイエスを認めなければ、どうして福音を宣べ伝えることができるでしょう? そして、そのためには、回心が必要です。 回心なくしてsynodalityはあり得ない。回心は、右派、左派、そして中道派、すべての人に求められます。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2023年4月28日