・「様々な困難の中で”シノドスの道”を共に歩もう」菊地FABC事務局長・大司教が開会ミサ

*”連帯”は生きる希望を生み出す

  2 つ目の経験は、1987 年から 1994 年までガーナ南部の村で教区司祭として過ごした時のこと。 貧困経済と深刻な干ばつで地元の農家が家族を養うことができなくなっていたが、「人々は幸せそうに暮らしているように見えた。特に日曜日のミサのために教会に来たときにそうだ」ということに気づいた。特に歌と踊り、人々の笑顔が印象に残っているが、彼らに「あらゆる困難にもかかわらず、どうしてこんなに幸せになれるのですか」と尋ねると、「自分たちはガーナマジックを持っている」と答えた。「 誰かが助けに来てくれる。 誰かが自分のことをいつも気にかけてくれる。 それが、彼らの言う『マジック』だったのです」。

 これら 2 つの経験から、大司教は次のように結論付けたー「”無関心”は助けを必要としている人々を殺すかもしれないが、”連帯”は生きる希望を生み出すのです」。

*”2月”に始まり今も危機が続くミャンマー、ウクライナの平和を祈ろう

 さらに菊地大司教は、(一昨年と昨年の)それぞれ2 月に始まり、今も続いている 2 つの危機を思い起した。「 2 年前、アジアの仲間であるミャンマーの平和と安定が奪われた。そこに平和な国を再建するには、さらに祈りが必要です。そして、ちょうど1年前に、ウクライナの危機が始まりました。 ウクライナの人々とこの戦争に関わったすべての人々を思い起し、平和を祈るべきです」と述べ、「”無関心”は絶望を生み、”連帯”は生きる希望を生むことを忘れてはなりません」と強調した。

 

 

*希望を生み出す中心

 新型コロナ大感染と二つの武力紛争の両方によって、「私たちは、光のない暗闇の中をさまようことを余儀なくされ、次に何が起こるかについて、誰も確信を持つことができません… しかし”無関心”が人を殺す可能性がある… 生きる希望を生むために”連帯”が必要です」と大司教は繰り返した。

 そして「私たちは生きることを願っています。 『希望を生み出す中心に立つこと』、決して『絶望や悲しみの源にならないこと』ーこれが教会の使命です。 私たちは、命の福音、希望の福音を持っており、希望の源でなければなりません・・・私たちは”シノドスの道”を共働して共に歩む者です」と訴えた。

 最後に、大司教は出席者に次のように勧めて説教を締めくったー「慈しみ深い御父に、聖霊を送ってくださるよう願いましょう。そうすれば、私たちは、神の民となるための神の道を見い出すことができ、シノドスの道を連帯して歩むことができるようになるでしょう」と。

 

 

*「神の光」に伴われて

 ミサの終わりに、その日の3人のモデレーターの1人であるジョイ・カンデラリオ氏は、アジアのさまざまな宗教が「光の祭典」を祝うため、3日間の集会中に「光のシンボル」が代表者に同行すると説明しました。 12 の小グループのそれぞれの代表者がテーブルにろうそくを持ってくるように求め、「神の光が、私たちの心を温め、アジアの様々に異なる国から来てそれぞれのテーブルを囲む代表たちが小さなsynodal(共働的な)共同体を作ることができるように、そして、アジアのさまざまな状況、文化、課題の中で、神の意志を識別するを助けてくれるようにすること」が目的だ、と説明。そして次のように祈ったー「この数日の会議の間に、神の光が、新しい”シノドスの道”を発見する力を私たちに与えてくれますように」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2023年2月24日