(評論)シノドス総会で女性助祭の叙階問題は…神学者たちはまだバチカンの”検閲”に遭っている(La Croix)

(2024.10.25  La Croix  Luca Badini Confalonieri)

    シノダリティ(共働性)に関する世界代表司教会議(シノドス)総会の第2会期が27日に閉幕するが、女性助祭の叙階を含むいくつかのトピックについての判断は最終文書から除外されることになった。

 カトリッWomen from religious movements fighting for the ordination of women in Roman Catholic Church attendク教会学の専門家であるルカ・バディーニ・コンファロニエリは、「教皇の教えに対する神学者たちの批判が、教会の権威者たちから、いまだに疑惑の目で見られていること」に遺憾の意を表明した。

 特定の教皇の教えをめぐる議論は、カトリック内では禁止されたままだ。それには今、女性助祭の叙階というおなじみのターゲットが含まれている。

 女性助祭の叙階というテーマを、 教皇フランシスコは、今シノドス総会の議題から一方的に削除した。 カトリック神学者にとって、そのような表現の自由の制限は、高位聖職者がこれまで長い間、彼らの学問の自由を制限してきたため、あまりにも”身近”なものになってはいる。

 バチカンは昨年、道徳神学者であるマーティン・リントナー神父があるカトリックの研究所の部長に選任されることに対して、拒否権を行使した。Servite の会員の52歳のリントナー神父は穏健派として知られ、さまざまな神学の専門家集団を率いてきた。

 彼の何が拒否権行使の理由にされたのか?避妊と同性愛への支持を公にしたからか。それとも…。欧州カトリック神学協会とカトリック神学協会国際ネットワークの会長を務めるリントナーは昨年7月、カトリック神学者に対するバチカンの検閲の多くのケースを目の当たりしている、と批判した。

 カトリック神学者たちに対するバチカンの検閲は、何十年もの間、よく知られた”秘密”だ。神学者たちのキャリアに 永続的な損害 をもたらすため、多くの人が沈黙を守っていたが、それを破った、とみなされたのか。

 私は、Wijngaards Institute for Catholic Research(カトリックの現代神学における論争的なテーマに関する研究を行うイギリスの「進歩的な」シンクタンク)の調査研究部長を務めているが、私自身にもそのような経験がある。

 私たちが避妊や同性婚などの倫理的問題に関する声明を出すにあたって、カトリックの学者たちに共同署名を呼びかけた際、彼らは関心を示したものの、所属するカトリック大学の非難を恐れて署名に応じようとせず、署名に応じた学者たちも、”雇用者”から圧力を受けて、後になって自分の名前を署名簿から削除するよう求めたきた。

  リントナーは声明で「これは単に 個々の問題ではなく、制度的な問題だ」と指摘しているが、それは正しい。教会法によれば、カトリック教徒は、たとえそれが教義と関係なく、誤りでなくとも、すべての教皇や司教の教えに従う義務があり、公けに批判することは避けねばならない(752~754条)としている。それには、避妊、婚前交渉、同性愛の禁止、離婚と再婚、そして女性助祭の叙階など、議論になっているほとんどのテーマが含まれる。

 公けの場で批判することも教会法違反であり、職を失うなどの罰則を受ける可能性がある(教会法 1365条、1371条、1373条)。さらに、近代主義危機の時と同様に、カトリックの神学者たちは、「忠誠の誓い」を立て、これらの教えに決して異議を唱えないことを誓わねばならない。これは教会法上の「教えの義務」を得るための前提条件である(教会法 229 条3項、812条 Ad tuendam fidem、1998)。教会当局は、この義務を付与または撤回する、ほぼ完全な裁量権を持ち、正当化や控訴手続きを提供する義務はない。

 さらに、カトリックの「反体制派」を裁くために用いられる教会法上の裁判は、基本的な国際公正裁判基準を満たしていない。教義裁判は秘密裏に行われ(世界人権宣言第10条および第11条に違反している)、被告は証人に質問できず、検察が裁判官を務めることが多く、事実上、上訴権はない。

 

 

 今年1月、ドイツのボーフムにある応用司牧研究センターによる学術調査で、「位階的統制が、カトリック神学に悪影響を及ぼしている」という実証的証拠が示された。この調査では、教える許可(nihil obstat)を得るために、カトリック神学者のほぼ3分の1が「教会の教え」に沿うように研究を調整し、41%が若い研究者にnihil obstatを危険にさらす可能性のあるトピックを避けるよう助言し、8.7%が私生活の側面(同性関係、離婚、再婚など)を秘密にしていることがわかった。驚くべきことに、若いカトリック神学者は年長者よりも”自己検閲”をする傾向がある。

 これは、多くのカトリック神学者がparrhesia(包み隠さず話すこと)、つまり大胆にその使命を遂行できる、ということを否定するものではない。結局のところ、調査では、約60%が「研究を制限する必要性を感じていない」ことが分かった。しかし、この学問の自由は、現在のシステムにもかかわらず、存在しているのであって、現在のシステムの”おかげ”で生じるのではない。

 

 問題を解決するには、「nihil obstat 」(教会に対する攻撃的なものを含まない、と判断するカトリック教会の公式の検閲官によって使われる用語。 権威筋の承認)の制度の単なる改革では十分ではないだろう。より深い問題は、「カトリック神学者の学問の自由が依然として制限されるべきかどうか」だ。第二バチカン公会議は、位階制的統制と検閲はカトリック教徒を「混乱」から守り、「純粋に」教義を受け入れるために必要だ、という議論を脇に置いた。

 公会議は、まず、良心の自由の権利は「真理を探求し、それに従う義務を果たさない人々の間でも」存続することを確認した (「信教の自由に関する宣言」2項参照)。「良心の自由を尊重する」という、この義務に対する「宗教上の例外」を避けるため、信仰を広めることはいかなる「強制の兆候」も正当化できない、とし、それに反対することは「権利の濫用であり、他者の権利の侵害とみなされるべきである」と付け加えた(「信教の自由に関する宣言」 4項参照)。さらに、洗礼を受けたすべての人は「啓示された真理の神学的精緻化においても当然の自由を保持する」(「エキュメニズムに関する教令」4項参照)。

 最後に、教義上の「純粋さ」を守るために必要だ、という司教の検閲の正当化は、経験的、論理的、神学的に欠陥があり、「教義上の純粋さ」は常に絶対確実ではない教えの中に見出されると仮定している。教義を除くほぼすべての位階制的教えを構成するこれらの教えは、本質的に誤りやすく、したがって潜在的に欠陥がある。その結果、公開討論や公開批判さえも、神学的な理解を深めるために不可欠であるため、許可され、奨励されるべきである。第2バチカン公会議が指摘したように、この成長はすべてのカトリック教徒の識別力を通じて起こる(「神の啓示に関する教義憲章」8項参照)。

 位階的統制と神学的な検閲の残りの正当性は、教会法が現在求めているように、主にカトリック教徒に「服従」を課すことによって、教皇と教皇の教えを、批判から守ることである。バチカンの検閲が、最も論争の多い教皇の教え、つまり教会の統治(女性の叙階を含む)と性倫理に関係する教えに焦点を合わせる傾向があるのは、偶然ではない。

 これらの問題に信憑性を結び付けることによって(時には信者の信念と専門家の助言の両方に反して、例えば「人工的な」避妊を禁止したパウロ6世の回勅『Humanae vitae』のように)、これらの分野における教皇の教えについては、それに異議を唱える神学や聖書の研究を、良く言えば「無視」し、悪く言えば「検閲」する傾向がある。

 

 教会法が位階的な教えに対する公けの批判を罰しているの現状をそのままにして、教会は「会議」や「相互傾聴」について語ることができるのだろうか?この義務付けを撤廃するために教会法の改正は、すべてのカトリック教徒、特に神学者にとって緊急の課題である。

 カトリック教会の神学は、聖公会やルーテル教会(教会指導者が管理していない)と同じ学問の自由を享受し、その価値は受容によって認識されるべきである。第2バチカン公会議は、古代の「神学」を再確認した。教会の同意が教義の規範であるという信念(「教会憲章」12項)。これが真実であれば、「良い神学」が学界や信者に受け入れられる一方で、「質の悪い神学」は、学術的な神学者、司教、教皇のいずれによるものであっても、受け入れられない、と考えられる。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。
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2024年10月26日