(2025.4.10 La Croix Massimo Faggioli
時代の兆し―2025年から2028年の”シノドスの道”の旅を承認された教皇フランシスコは、現在の世界的な政治危機に対する教会の対応を示し、独裁専制主義に異議を唱え、意思の疎通、一致、そして福音宣教の”生命線”としてのシノダリティ(共働性)を提示している。
ベテランのバチカン特派員を含む多くのカトリック信者を驚かせたのは、教皇が3月11日、バチカンのシノドス事務局による(”シノドスの道”の)これまでの成果の実施する段階に入ることを、承認された、というニュースだった。
この「synodality(共働性)」に関する”シノドスの道”の新たな段階は、2028年10月の最終的な「教会会議」までの3年間の実施段階と規定されている。教皇が 5週間にわたる入院中に判断され、発表されたこの決定は、教会の観点から見て非常に重要である。 次期教皇選挙の課題と後継者に関するメッセージという意味で、教会政治の観点からも重大な決定だ。
それはまた、現代の世界におけるシノドス(教会会議)のプロセスの価値を理解する上でも、非常に重要な意味を持っている。2013年のフランシスコの教皇就任に始まるシノドス(共働性)を念頭に置いたカトリック教会の刷新と、世界で多くの民主的・立憲的システムの危機が加速していることとの間には、ほぼ完璧なほど時系列的な重なりがある。
それは宗教と深く関わる世界的な危機であり、例えば、米国でドナルド・トランプに、あるいはイタリアでジョルジャ・メローニに投票したカトリック教徒の数といった問題よりも、はるかに深いレベルでの問題だ。
4月1日、欧州史を専門とする米国の歴史学者ティモシー・スナイダー氏が、ニューヨーク公共図書館でのロバート・B・シルバース記念講演会で、「新しい異教主義―私たちの政治を理解するための枠組み」と題する講演を行った。
彼は講演の中で、「新しいものへの執着が非常に古いパターンから目をそらすような現代は、キリスト教ではなく、はるかに古い異教的なものに根ざした政治的宗教として理解するのが最も適切である」と論じている。(これは、1月にイタリア語で出版された著書で私がトランプと米国のカトリシズムについて述べた内容と類似した主張だ)。
新しい異教の要素
スナイダーは、この新しい異教の要素を、現在の政治を考えるうえで5つ指摘している。まず1つ目は「言語」だ。私たちは、複雑な文章を読んだり理解したりする能力が低下しているため、読み書きのできない人々になりつつある。これは単に個人の問題ではなく、私たちと私たち自身の間でコミュニケーションが取れなくなっているという、深刻な問題だ。
2つ目は「神託」。私たちは、隠された知識の源から語られる神託の時代に生きている。そしてもちろん、真の権力の源が見えないことが、陰謀論を煽り、真実や事実が存在するという考えそのものへの不信感を煽っている。
3つ目は、「犠牲を求める政治力学」。寡頭制(米国、ロシア、およびその間の多くの国々における”デジタルおよび炭化水素エリート”)に支配された疑似ポピュリズムは、自らが耐えることを正当化するために、他者に目に見える苦痛を押し付けようとする。移民政策や強制送還、ビザやグリーンカードを持つ学生の路上拉致といった新たな暴力の表出は、英雄政治を崇拝するために犠牲が必要だ、という典型的な苦痛の光景である。移民政策の施行は、今や私たちがお互いを憎み合うように仕向けるショーとなっている。
4つ目は「カリスマ性」。カリスマに基づく政治は、多くの国々における強権者の台頭とともに、法律に基づく国家および制度構築のプロセスを覆すものだ。この新しい異教主義は、政治、社会、文化、そして宗教の制度を破壊し、作り直すというプロジェクトである。
5つ目は「価値観」である。私たちのヒーローは、富の概念を蓄財と考える億万長者であり、それは私たちが共同体の一員として生きているという概念を否定することを意味する。また、富は不滅であるという信念から、富は死後も持ち運べるという考え方でもある。しかし、その不滅性を保つことは、脅威の源である人々から離れていればこそ可能なのだ。
*”シノドスの道”は教会に命を与えるコミュニケーションである
シノダリティ(共働性)のための教会会議は、政治システムではない。そして、教皇フランシスコがしばしば私たちに思い出させてくれたように、「議会」ではない。しかし、これは、教会の神学と精神性が今日、政治と法制度の歪められ、米国による「兄弟愛の」プロジェクト、つまり進行中の人間性の変革プロジェクトに対する暗黙の回答でもある。
”シノドスの道”は、聖書と祈りから出発し、教会における言語と命を与えるコミュニケーションを回復することを目的とした運動だ。インターネットの神託の力とデジタル(教会)政治へのその影響力を拒絶するものだ。
イエスは、異教の神殿の神託とは対極にあり、曖昧な答えを返すものではない。”シノドスの道”は、「私たち対彼ら」という政治、最終的には、恐怖と憎悪の政治の名のもとに共同体メンバーを犠牲的なスケープゴートにするという結果を招くことに対する強力な批判だ。カトリックの伝統的機関に新たな生命を吹き込むことを目的とし、教会の運動と機関を共に保つ新たな方法を想像することを目的としている。なぜなら、それらもまた、カリスマ的な「シーザー主義」や独裁専制主義的な権力形態への回帰によって危機にさらされているからだ。
最後に、”シノドスの道”は、人間としての死すべき命に意味を与える真の価値を指し示している。すなわち、神の似姿として創造された私たちが、「神の被造物であるこの地球という惑星上で、ひとつの家族として生きる」ための命である。
”シノドスの道”は、世界が新たな1939年の奈落へと落ちていくのを食い止めるための努力において、カトリック教会が貢献しうる多くの可能性のうちのひとつである。
2025年から2028年にかけての”シノドスの道”の歩みについては、まだわからないことがたくさんある。教皇の役割、2021年から2024年の世界代表司教会議に至る歩みに加わわらなかった現地教会からの反応、そして次の教皇選挙への影響などだ。
だが、カトリック教会が内部の相違や極端化に対処するためにシノドスプロセスを導入した例は、ポピュリズムとポスト民主主義の時代の英雄たちが提示したモデルとは大きく異なる。”シノドスの道”は、政治における新たな異教主義への対応という意味でも、福音宣教の道だ。
スナイダーが別の最近の講演で述べたように、2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降の世界の歴史の瞬間は、第二次世界大戦をまだ食い止めることが可能だった1938年の欧州のようだ。”シノドスの道”は、世界が新たな1939年の奈落に落ちるのを食い止めるための取り組みにおいて、カトリック教会が貢献できる多くの可能性の一部なのだ。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=「シノドス」「シノダリティ」の用語は、教皇フランシスコがそのプロセルを始めた2021年当初から、その意味、定義も含めて使い方に混乱が続いています。これはシノドス事務局が、用語の明確な定義をしないまま、世界の司教団もそれに対して意見しないままにしてしまったことによりますが、世界の信者たちの間に、この運動がいまだに浸透しない一因にもなっています。「カトリック・あい」では、当初からその問題を日本の司教団のリーダーに対して指摘してきましたが、対応がされていません。そこで「カトリック・あい」では、教皇が願われる「教会におけるシノダリティ(共働性)の確立」を目指す取り組み全体を”シノドスの道”あるいは、その歩み、とし、「シノドス」そのものは本来の意味、つまり「世界代表司教会議」と明確に区別してきました。この翻訳でも、それを踏襲しています。ただし、3月のバチカン発表の2028年までの新たな歩みの仕上げとなる会議は、これもまだ定義は明確でなく「教会会議」とされているので、本稿の翻訳では、こちらを使っています)
(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。