(2024.10・27 Crux Editor John L. Allen Jr.) (Credit: Vatican Media.)
ローマ 発– 26日夜に第2会期の会合が閉幕した教皇フランシスコの「シノダリティ(共働性)に関する世界代表司教会議(シノドス)総会に対する当初からの最も執拗な非難の1つは「進歩的な意見が多数を占め、世界のカトリックの意見の全体を代表していない」という印象を与えている、というものだった。
その典型的な例を挙げると、批評家は、総会の公式代表者の中に女性聖職者やLGBTQ+の支援を主張する人が多数含まれていたが、伝統的なラテン語ミサの信奉者はおらず、著名な”プロライフ派”はほとんどいなかった、という指摘だ。(注目すべきことに、51ページの最終文書には「中絶」という言葉が一度も出てこない。)
26日夜に採択された最終文書の賛否を表面的に見ると、”偽りの一致”の印象を与える可能性がある。155の項目のほとんどは、投票した355人の参加者の圧倒的
多数によって採択され、典型的な投票結果は賛成352対反対3、あるいは賛成350対反対5だった。
*ほとんどの項目の採決で反対票は一桁だったが、「女性助祭」の検討継続に反対が97票
賛成票が300票を下回った唯一のケースは、女性助祭に関する第60項だったが、反対票が97票だったとしても、必ずしも保守派の反対意見の表れとは言えない。「女性が助祭職に就くかどうかという問題は未解決のままである。この判断は継続する必要がある」という文言を考えてみよう。
これは、率直に「ノー」と答えることを好む保守派を不快にさせたかもしれないが、同様に、すべての議論に不満を抱き、引き金を引く時が来たと信じているリベラル派を苛立たせたかもしれない。
シノドス総会の左派的な精神は、おそらく24日に最も明確になった―バチカン教理省のフェルナンデス長官が、女性の役割について議論するために約100人の参加者と公開会議を開催した時だ。これには、長官が以前に「助祭職について前向きな決定を下す余地はまだない」と述べたことが含まれていた。
はっきり言って長官が伝統主義者というイメージを持たれることはまずない。彼は2016年の教皇フランシスコの使徒的勧告「愛の喜び」のゴーストライターで、離婚したカトリック教徒や民事再婚したカトリック教徒に聖体拝領への慎重な扉を開いた。昨年12月に同性愛関係にある人々の祝福を認める文書「Fiducia Supplicans」の公式起草者でもある。
*「女性叙階問題は”成熟”していない」と主張する教理省長官は「自分は十分進歩的」と
だが、長官は、21日の1時間半にわたる議論のほとんどを「自分は十分に進歩的だ」とシノドス総会の反乱分子を説得することに費やさざるを得なかった。(この議論の内容は、シノドス総会内部の議論に関する情報が一般に遮断されていたにもかかわらず、バチカンが音声録音を公開したため、知られている。)
議論中、彼は合計12の質問に答えたが、そのほとんどすべてが程度の差こそあれ批判的なものだった。たとえば、ある質問者は、「教皇がシノドス総会で提起されたデリケートな問題を検討するために設置した10の研究グループのうち、女性助祭を含む聖職を扱うグループだけがバチカンの教理省に委託されているのはなぜか」と問いかけ、これがあまり「シノダル(共働的)」な判断でないことをほのめかした。
別の質問者は、「女性助祭の問題を解決するには”成熟”していない」という、長官の繰り返しの発言について、嘲笑的に質問した。「果物の場合、成熟度は色、香り、質感を見て判断しますが、教会にとっての判断基準は何でしょう。明確な基準がなければ、私たちは一生、これ(”成熟”していない、として議論)を続けることになるかもしれません」と。(この発言は、セッション中のされた3回の拍手のうちの1回を引き起こした。)
また別の質問者は、「国際神学委員会による1997年の調査結果は、女性助祭の考えに好意的だったが、公表されなかった」と指摘し、「同様のことが現在起こっているのではないか、という疑惑がある」と述べた。
最後の質問者は、教皇が最近、女性に侍者、朗読者、教理教師の職を開放することを決定したことを挙げ、「自分が数十年前に教会で働き始めた時、すでに現地の教会共同体で女性がそのような役割を担当していた」とし、「教皇とバチカンが、(女性助祭の問題でも)50年遅れていることを認識するのに、私たちはどれくらい待たなければならないのだろうか」と疑問を呈した。
長官は、この会議全体を通して、「自分が過去の典型的なバチカン当局者ではないこと」を皆に保証しようと、やや守勢に立っているように見えた。「私は、教会で中世にとらわれていることで有名ではありません」と強調。「聖霊が私たちをどこに導くのかを見るために、私は心を開いているので、安心してください」と。
*今シノドス総会への本当の疑問は「一見偏った会議が、基本的に慎重で非革命的な結果をもたらしたのか」
これらすべてを考慮すると、2024年のシノドス総会に関する本当の疑問は、「このように一見偏った会議が、それでも基本的に慎重で非革命的な結果をもたらしたかどうか」ということかも知れない。最終文書を検証すると、ほとんどの点で「革新」と「継続性」のバランスを取るために全力を尽くしているようだが、実際には、どの面でも急進的な変化を支持してはいない。実際、教皇が”シノドスの道”を3年前に始めた時に、多くの人が予想した”地震”は、今総会で、小さな揺れに終わった。
1つの説明は、「今シノドス総会第2会期で、より保守的な少数派が実力以上の力を発揮したこと」、もう1つの説明は、「昨年の第1会議で勃発した議論で、参加者が全般的に疲れ果て、『平和的な雰囲気で終わらせたい』という願望があったかも知れないこと」だ。だが、実際に今回のシノドス総会第2会期を”ソフトランディング”に導いたのは、教皇フランシスコであり、論争の的になっているほとんどの問題を議論のテーブルから外し、「目的地」ではなく「旅」に焦点を当てたい、とのシグナルを総会参加者たちに送ったのだ、と言わざるを得ない。
*教皇は、”突破口”を回避、“内戦”が2025年聖年に影を落とすのを望まなかったか
教皇はまた、過去のシノドスとは異なり、「今回は結論を出すため使徒的勧告を発出せず、最終文書が閉会の幕引きとして単独で出されるだろう」と26日の夜に述べた。このようにして、教皇は、シノドス総会には”突破口”が得られないと失望した”活動家”たちが、『教皇から”突破口”を得られる」と期待する可能性を回避した。
教皇がこの道を選んだ理由については、さまざまな説明が可能である。おそらく、分裂の危険性が現実にあるように見えるドイツのシノドスの例が教訓となった、あるいは、2025年の聖年に、”カトリック内戦”の物語が影を落とすことを望まなかったのだろう。
理由が何であれ、教皇はシノドス総会の結末を仕組んだ。それは誰の想像力もかき立てないかもしれないが、多くの新たな亀裂を生み出すこともないだろう。言い換えれば、教会の保守派は、シノドス総会の会場で十分に代表としての機能を発揮できなかったかも知れないが、シノドスの”創設者”の計算には、入っていたように見える。
*それでも、分裂、二極化の時代に、大規模な協議で何とか全員をまとめたのは「小さな奇跡」以上…