(2024.10.4 Vatican News Salvatore Cernuzio )
シノドス広報が4日夕行った記者説明によると、アッシジの聖フランシスコの祝日を迎えた同日、シノドス総会第2会期の会議は、全体会合で5 つの言語別グループからこれまでの報告を聞き、「カリスマと聖職」「典礼」「文化や宗教との対話」などのテーマについて 30 名以上の講演者と公開討論を行った。
4日のパウロ6世ホールでの全体会合は朝、教皇フランシスコとフランシスコの名を持つすべての人々への祝い挨拶で始まった。 351 名のメンバーが出席して、5 つの言語別グループの報告を聞いた。
言語別グループの共通のテーマとなったのは、「シノダリティ(共働性)を”テクニック”ではなく”スタイル”として受け止めること」「教会における女性と信徒の役割、教会の規定に従っていないために疎外感を感じている人々の声に積極的に耳を傾けること」など。記者会見に出席した会合参加者たちは、「孤児の世界で、教会は家族のいない人々の家族を代表することができる」という考えについても熟考した、と指摘した。
*「すべてのカリスマが教会の聖職で表現される必要はない」
記者会見は、パオロ・ルッフィーニ広報省長官とシーラ・ピレス総会情報委員長および事務局長による、この日の会合のハイライトの説明で始まり、「教会はキリストの体であり、一つの体に多くの聖職とカリスマがあるというイメージが何度も思い起こされた」とし、その文脈で、教会における信徒、特に「女性の役割」というテーマについて意見交換がなされた。そして、「すべてのカリスマが重要だが、すべてのカリスマが教会の聖職で表現される必要はない」とうことも強調された。
*「教会における女性の役割と貢献」
会合では、一部のグループから、検討課題が「イデオロギー的かつ偏見的」なアプローチで、「真の教会の識別」ではなく流行の傾向やイデオロギーの結果として提起されていないかどうか、を検討すべき、だとの主張があった。
「女性と聖職の秘跡の問題に関して、一部の会合出席者は「慰めの奉仕」などの奉仕の可能性についてより深く研究する可能性を挙げ、これまで女性が教会内で果たし、これからも果たし続ける重要な貢献を思い起こすことの重要性を強調した、という。
また、出席者からは、洗礼を受けたすべての人の「平等な尊厳と共同責任」が強調された。「教会生活の意思決定プロセスに一般信徒、特に女性と若者を含めることについて考えるための基礎」との考えからだ。
「男女の関係」という文脈では、一部のグループから「特定の立場の背後にある恐れや不安を特定する必要性」が指摘された。その理由を「教会におけるこうした恐れが、女性に対する無知と軽蔑の態度につながっている。そうした恐れを特定することで、教会の識別の取り組みをさらに進めることができる」と説明があった。
*「”西洋言語の産物”であるいくつかの定式を改めてほしい」
言語別グループのいくつかは、第2会期準備要綱では、信徒や家族の「家庭教会」についてほとんど触れられていない、との指摘があった。また、「それぞれの現地の教会は、地域の文化によって形成されながらも、それ自身であり続ける。現地の教会と文化の関係もさらに探究する必要がある」とし、関連して、言語の問題にも触れられ、「欧州中心主義と西洋の視点の産物であるいくつかの定式」を変更するように、との要求が出された。
そして、「人生は理論よりも大切であり、司牧の経験と現実から始めること」「戦争、暴力、虐待に引き裂かれた貧しい人々の顔を見ること」の2つの呼びかけがあった。
*「女性の叙階を求める声が上がっている、女性を関係の作業グルーに参加を」
5つの言語グループの発表の後、希望者による発言の場がもたれ、 36 人が意見発表を行い、「一般信徒の重要性」「教会における女性の役割」などに言及。ある発言者は、「女性を”慰め役”としてしか見なさず、説教したり組織を率いたりできる人として見ない」という考えを「欠点」と表現した。
また別の発言者は、世界中で教会共同体を率い、宣教活動に携わる人々の中に女性がいることを挙げ、「女性の中には、神から(司祭や助祭として)叙階を受けるよう召されていると感じ、教会に叙階を求める人もいる」と指摘。女性を聖職とカリスマに関する作業グループに参加させ、総会での協議に助言や識別の材料を提供できるように、との要求も出された。
*「疎外を感じている人にもっと耳を傾ける
発言者たちから、シノドスの精神性、積極的な傾聴、親密さ、偏見のない支援、自分と異なると感じる人々、心地よく感じない人々に対しても支援することの重要性が繰り返し述べられた。一部の発言者からは、「神の民を一つにする」ために、「他の文化、哲学、宗教とのさらなる対話」の必要が主張され、「他者」を尊重し、認識する必要性が強調された。
「傾聴」に関しては、「テントの空間を広げよう」というテーマにヒントを得て、総会参加者に対し、「貧困や苦しみの中にある人々、離婚した人々、疎外された人々、いわゆる『LGBTQ+』コミュニティにいて、社会や教会から疎外されていると感じている人々に、もっと深く耳を傾けるように」との主張がされた。
*典礼における「空間の拡大」
発言者の中には、「聖職者主義」の問題に触れ、「教会には主人も従属者もいません。主はただ一人、そして私たちはみな兄弟です」と訴えるこえもあった。
ルフィーニ長官は、典礼の「繰り返され、祝われる」テーマに言及し、それが「シノドスの鏡」となり得る、と語り、「シノドス総会参加者による次回の共同典礼で、”テントのスペース”を広げること」を提案した。
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4日の記者会見には、総会に参加しているラバト(モロッコ)大司教で北アフリカ地域司教協議会(CERNA)会長のクリストバル・ロペス・ロメロ枢機卿、オセアニア・カトリック司教協議会連盟(FCBCO)会長のアントニー・ランダッツォ司教、ナンテール(フランス)のマチュー・ルージェ司教、ニカラグア出身でソーシャルメディアとデジタル福音伝道の専門家のシスター、シスキア・ルシア・ヴァラダレス・パグアガ修道女の4人が出席した。
*「これまでの小教区、教区、国、大陸レベルの”シノドスの道”の経験は」ロメロ枢機卿
4人は、小教区、教区、国家、大陸というそれぞれのレベルで歩んできた”シノドスの道”の経験を語った。
ロペス・ロメロ枢機卿は、アフリカでの「シノダリティ(共働性)に関する交流と考察の運動を生み出した一人の修道女」の経験と、「一人で多くの司教会議よりも多くのことを成し遂げた」経験を振り返り、モロッコでのさまざまな会合について、「キリスト教徒自身が、100か国以上に属する自分たちが誰なのかを発見することができた。並外れた豊かさを経験したが、、生きた交わりにはいくつかの困難もあった」と語った。
ルージェ司教はナンテールでの「シノダリティ(共働性)の実践」について語ったうえで、バチカンでのこの大規模な集まりにもっと焦点を当てたい、とし、「私たちは再び会えてとても嬉しく思っている。昨年10月の総会第1会期には、誰もが疑問と不安を抱えてやって来たが、聖霊における対話という方法で、私たちは深い霊的体験をし、それを各教区で共有しようとしました」と述べた。また、教皇フランシスコの「シノドスは、”議会”ではない」という言葉を取り上げ、「昨年は教皇はこの言葉を2回。今年は1回だけですが、それは、私たちが理解していると思われたからです」と語った。
*「オセアニア諸国の豊富な資源を手に入れようとする先進国の貪欲さを非難」ランダッツォ司教
ランダッツォ司教の発言で、それまでの欧州中心から、オセアニアの広大な地域に焦点が移った。
オセアニアは地球の大部分を占めているが、教皇が最近訪問したパプアニューギニア、ソロモン諸島、して時には見捨てられたような感覚に苦しむ太平洋のさまざまな群島などを考えると「脆弱」だ。そうした中にあって、教皇が先日の東アジア・オセアニア歴訪でPNGの首都ポートモレスビーに到着された際、人々が幸せそうにしているのを見ての大きな喜び、教皇が「地球上で最も脆弱な地域」の1つを訪れる時間を見つけてくださったことへの感激を語った。
また、この地域は豊富な資源に恵まれているが、先進国は、それを得るために貧しく脆弱な国々に自分たちに有利の合意や妥協を求める先進国の「貪欲さ」を批判。「コミュニティ全体の苦しみにつながる天然資源の破壊がなされている」と訴えた。また「海面上昇により故郷を離れざるを得ず、より安定した国へと移ろうとする住民たち」がいることも指摘した。
そして、「オセアニアの人々にとって、シノダリティ(共働性)の概念は新しいものではない。何千年も前から知っていて実践してきたもの。『皆で集まり、敬意を持って、互いに耳を傾ける』ということです。海、森林、漁業について、そして信仰についても語ります」とし、「豊かな西洋文化が抱える問題が、世界の他の国々が直面している深刻な問題よりも注目されている」ことに不満を述べた。
さらに、記者からの質問に答える形で、「教会が企業の組織モデルを受け入れる傾向」を嘆き、ビジネスマンの間で使われる「ネットワーキング」などの言葉に不満を表明した。そして、「教会の言語は『交わり』、つまり『共にいる』ことの言語であるべきだ。教会の一部の人々は『洗練』されることに強すぎる関心を持ち、人々を排除する危険を冒している」ことを批判した。
*「教会の本当の”スキャンダル”は女性の排除」
関連して、ランダッツォ司教は、数十年にわたって議論されてきた女性の(司祭、助祭の)叙任の問題を挙げ、「西洋の少数派が。この問題に執着している。だが、本当の”スキャンダル”は、女性が教会に無視されていることにある。そして、さらに悪いことに、疎外され、家庭内暴力の被害者となり、職場環境から排除されることもある。これは福音に対する”スキャンダル”だ!」と強調した。
*「デジタル宣教への取り組みは緊急課題」シスター・シスキア
シスター・シスキアは、新技術と人工知能の時代の今、「デジタル宣教」への取り組みが教会の緊急課題となっていることを強調。「世界の人口の65%が”デジタル・ストリート”を頻繁に訪れています。物理的な貧困はソーシャル・メディアにも見られます」と指摘した。
そして、”シノドスの道”の歩みが始まってから、世界の司教協議会の中に、「独自のオフィスを設け、宣教師との会議を組織し、デジタル宣教師の経験が共有する」動きが出ているとし、そのような宣教師は、「ウェブの”ストリート”で、真理を求め、傷つきながらこの世を歩んでいる疎外された人々に寄り添い、傍にいようとする人々」と述べた。
また彼女がしている仕事は、教皇から“Samaritanear”という造語をもって個人的に与えられた。つまり、「デジタルの道を歩んでいる人々に手を差し伸べる”善きサマリア人”になること、つまり『福音の価値を再発見したいと希望する人々』、『イエスの名前を聞いたことがない人々』に手を差し伸べることにある、と説明した。
*「私たちの教会は西洋化されすぎ、だが、アフリカの人も自慢すべきでない」ロメロ枢機卿
ロメロ枢機卿はまた、”シノドスの道”を歩む旅の豊かさについて語り、「このシノドスは非常に充実している。私たちの教会はまだまだ、欧州化、西洋化されすぎている。私たちに必要なのは、互いに助け合いながらこの旅を生きること。そうすれば、教会は、今よりもっとカトリック的、普遍的なものになるでしょう」と期待を表明。
この点について、枢機卿は、多くの召命と受洗者を出したあるアフリカ人司教の例を挙げ、「彼は、自分に教訓を与えようとした欧州の司教を非難した… 私たち欧州人がもっと謙虚さを学ばねばならないのは当然だが、アフリカ人も自慢すべきではない。成功は数に左右されるものではないからです。私たちは福音を生きるために互いに助け合わねばなりません」と指摘。
さらに、「前進、後退、出会い、衝突はあるでしょうが、忍耐をする成熟さが必要です。早く進む人は、遅く進む人を待つことです」としたうえで、「問題が存在するのは良いことです。問題に対処し、覆い隠さないようにすべきです」と語った。
*「教理省文書「Fiducia supplicans」も”シノドスの道”を歩むべきだった」
「同性関係」にある人々に祝福を与える可能性を示したバチカンの教義声明「Fiducia supplicans」がアフリカ教会内部から反対を受けているが、ロメロ枢機卿は、「この文書は、(作成に当たって)”シノドスの道”を歩むべきだった」と述べた。
そして、「この文書はシノドス事務局からではなく、教理省から出されたもの」と指摘し、「自分の属する司教協議会が他のアフリカの司教協議会と異なる結論に達した… アフリカ大陸を代表した他の国々が、アフリカの全ての司教協議会に相談することなく決定を下した。そのことを私たちに謝罪した」とし、「これもシノダリティ(共働性)だが、そのことを学ぶのは、容易ではない」と強調した。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)