汎アフリカ・カトリック神学・司牧者ネットワーク(PACTPAN)とアフリカ・マダガスカル主要指導者会議(COMSAM)が共同でこのほど開いた会議で、神学者たちは、アフリカのさまざまな状況で直面する課題を理解することの重要性を強調。
彼らは8月30日のオンラインイベントで、「アフリカの教会とより広いアフリカ社会で共同責任を受け入れるためには、教会と国家の共通利益のために共に働き、実りある旅をするために、まず、アフリカの様々な状況の中で、私たちが直面する課題を理解する必要がある」と訴えた。
そして、「私たちは、これまで、時として『共に働き、歩んでこなかった』という悲しい現実を否定することはできない」と述べ、その「現実」の元が、”ポストコロニアル国家”にある、と指摘した。
さらに、「アフリカの指導者たちは、残念ながら、公共の利益を損ない、排除につながり、平和と社会的結束の価値をゴミ箱に捨てる『今こそ食べる時だ』という考え方に導かれている」と批判。
「私たちは、アフリカの教会において、私たちの教区、宗教共同体、教会機関における部族主義、セクショナリズム、氏族主義、外国人嫌悪のスキャンダルによって、いまだに重荷を負っている。こうした否定的な傾向は、多くの教会の環境で共同責任を実施することを困難にしている」と訴えた。
一方で、この会議に出席した聖職者の1人、カメルーンのクンボ教区長、ジョージ・ンクオ司教は、「アフリカの教会におけるシノダリティの感覚の限界は、”ポストコロニアル国家”の遺産だけに原因を求めることはできません」とし、「確かに貪欲と部族主義の問題はあるが、その責任をすべて”ポストコロニアル国家”に帰すべきではない。たとえ政府がそれを促進する上で極めて重要な役割を果たしている、としても、私たちは皆、自分たちの苦悩に責任があります」と強調した。
また、ナイジェリアのベヌエ州にあるマクルディ・カトリック教区のコミュニケーション・ディレクター兼総括司牧者のモーゼス・ロラプウ神父はCRUXの取材に答え、「アフリカの政治家や神学者にとって、貪欲、部族主義、汚職の政治の原因としてポストコロニアル国家を指摘する誘惑が常にある」ことを認め、「私たちは独立を手にしている。もしそうした問題が植民地主義の産物なら、自分たちの努力で、これらの悪徳をなくすことができたでしょう」と指摘。
そして、「貪欲、汚職、部族主義は普遍的な傾向であり、アフリカに限ったものではありません。ですから、アフリカも、それらに苦しめられている他の人々がしてきたように、これらの悪徳に取り組むことができるのです… 欧州諸国は持続可能な成長のために、そうした取り組みができた。政治的意志と道徳的な勇気があれば、アフリカも同じことができるのです」と強調した。
そのうえで、ロラプウ神父は、「アフリカの”シノドス教会”実現への障害は、植民地主義の遺産と結びついているだけでなく、文化的および言語的多様性、家父長制のイデオロギー、および社会経済的現実の働きでもあります」とし、「アフリカ人の豊かな文化遺産と言語の多様性は、アフリカのシノドス教会にとって依然として”脅威”であり、シノダリティ(共働性)ではなくコミュニケーションの障壁となっている… これはナイジェリアの教会に影響を及ぼし、一部の地域では”部族教会”に矮小化されています」と指摘した。
さらに続けて、「アフリカは”家父長制社会”であり、教会もそう。ですから、教会の指導者の多くは、アフリカのほとんどの地域で女性が”多数派”であるにもかかわらず、彼女たちの声を教会の活動に反映させることも、リーダーシップを与えることも望まない、トラウマを負った避難民や、他の社会経済的現実によって非人間化された人々は、人間以下の状況で生活しており、真のシノダリティを経験できる状態には至っていません」と訴えた。
ザンビアのマシュー・チャールズワース神父も同意見だ。
「『家父長制の文化』と『聖職者主義」、そして特に『位階制主義』が、一般信徒の賜物を認識し、聖霊が彼らに語りかけることを妨げ、第二バチカン公会議が主張し、聖職者を一般信徒の奉仕者と見なすことを妨げています… 貪欲、部族主義、腐敗はアフリカの問題であり、ヒエラルキーの相対的な沈黙によって助けられるのではなく、公益のために働く代わりに一党の機嫌を取る一部のヒエラルキーの厚かましい党派心によって、一般信徒を裏切っている」と、CRUXに語った。
そして、こうした問題は「シノダリティを実行するために必要な焦点と作業から注意をそらし、現実的な危険をもたらします。基本的には『意志があるところには道がある』という格言は真実でなければならず、シノダリティを実行する方法が見つからないなら、それは、教会のさまざまなレベルで意志がないためであり、真の障害は、それを実行する義務を負う人々の中に見出されるでしょう」と指摘。
そのうえで、「私の経験では、霊についての真の会話がなされるところには、恵み、回心、協力、そして教会としてのシノダリティへの興奮があります」と述べた。
カメルーンのクジョージ・ンクオ司教は、「(シノダリティは)私たちがアフリカで持っているコミュニティと連帯の感覚を求めています。人々は大きな帰属意識を持っており、善良な心を持つ権威者の話を聞く準備ができています」と語っている。