Pope Francis during his encounter with Jesuits in Jakarta, in Indonesia, on Sep. 4, 2014. (Credit: Vatican Media.)
(2024.9.26 Crux Managing Editor Charles Collins)

シノダリティ(共働性)に関する世界代表司教会議(シノドス)総会の第二会期が10月初めに始まる数週間前、アジア・オセアニア4か国を歴訪された教皇フランシスコは、現地のイエズス会の聖職者たちに語りかけた。その内容は、今秋発行されたイエズス会の学術・神学誌La Civiltà Cattolicaに、掲載されている。
9月11日、シンガポールに到着した日、教皇は、ご自身が所属されるイエズス会のメンバーと会われた際、1人がシノダリティ(共働性)の視点から見た将来の教会についてのビジョンについて尋ねた。
これに対して教皇は「私たちの世界代表司教会議(シノドス)総会はシノダリティ(共働性)に関するものです」と前置きされ、「シノドスは、聖パウロ6世教皇の洞察から生まれました。西方教会はシノダリティの側面を失っていましたが、東方教会はそれを保持していたからです。聖パウロ6世は第二バチカン公会議の終わりにシノドス事務局を創設し、すべての司教が対話のシノドス的側面を持つようにしました」と語られた。
そして、「2001年、私はシノドスに出席していました。資料を集め、整理しました。事務局が資料に目を通し、さまざまなグループの投票で承認されたあれやこれやの項目を削除するよう指示しました。適切ではないと思われるものがあったからです。シノドスの会議とは何かが理解されていませんでした… もう1つの問題は、決議が必要な時に投票できるのは司教だけか、司祭、信徒、女性も投票できるのか、ということでした。今回の総会では、初めて女性が投票できるようになりました。これは何を意味するのでしょうか。それは、シノダリティを実現するための進展があったということです」と説明された。
「これは主からの恵みです。なぜなら、シノダリティは、普遍教会のレベルだけでなく、地方教会、小教区、教育機関でも実現されねばならないからです。シノダリティはあらゆるレベルで教会にとって価値あるものです。そして、このことは、別のこと、つまり識別する能力が関係しています。シノドスは教会の恵みです。”民主主義”とは別のものであり、識別が伴わねばなりません」と彼は言いました。
何人かの評論家は、「シノダリティに関するシノドス」はフランシスコが教皇に選出される前に語った「自己言及的な」教会の象徴であると見なされるのではないか、との懸念を表明している。教皇に選出される前に、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿は、2013年に「教会は自己中心性と『神学的なナルシシズム』に苦しんでいる」と述べていた。そして、他の枢機卿たちを前にした講話で、「教会は、地理的な周縁だけでなく、実存的な周縁、つまり罪、苦痛、不正、宗教に対する無知と無関心、知的潮流、そしてあらゆる悲惨さの謎に向かう必要がある」と述べていた。
10月のシノドス総会第二会期に向けて検討されていた課題には、司教協議会の権限強化、女性の神学校へのさらなるアクセスの許可、バチカンに「傾聴と寄り添いの省」を新設、などが含まれていると指摘する評論家もいる。一方で、教皇は、女性の助祭叙階や同性愛者の何らかの形での承認など、物議を醸す問題を総会の議題から外されたようだが、多くの評論家は、総会では、発展途上国の教会が直面している現実の問題よりも、西欧社会の問題に焦点が当てられる、と見ている。
東南アジア・オセアニア4か国歴訪の際、教皇は9月4日にジャカルタでインドネシアのイエズス会士たちと会合された際、シノダリティについて直接には言及されなかったが、キリスト教徒の迫害など、発展途上国のカトリック教徒が総会でもっと議論すべき課題のいくつかに触れた。
そして、信仰のために迫害されている人々へのアドバイスを尋ねられた教皇は、パキスタンでほぼ10年間投獄されていたアシア・ビビの事件を思い起され、「キリスト教徒の道は常に『殉教』、つまり『証しの道』であると私は思います。人は慎重さと勇気を持って証しする必要があります。慎重さと勇気の2つの要素は連動しており、各人が自分の道を見つける必要があります」と彼は述べた。ビビについて、教皇は彼女の娘に会ったこと、そして娘がこっそり彼女に聖体拝領を届けたことに触れ、「彼女は長年にわたって勇敢に証しをしてきました。勇敢な慎重さで前進しましょう!慎重さは、常に勇気があるときにリスクを負います。そして臆病な慎重さは心が狭いのです」と述べた。
教皇はまた、「聖書には聖霊が「騒動」を引き起こす、と書かれています… 皆さんイエズス会士は、もっと声を上げてほしい」と求め、「これが重要な問題に対処する方法です。イエズス会は最も困難な場所、行動するのが最も容易でない場所にいなければならないことを忘れてはなりません。それが神のより大きな栄光のために『さらに上を行く』私たちのやり方なのです」と強調。
「聖霊に導かれて”良い音”を奏でるために、私たちは祈らねばなりません。たくさん祈らねばなりません」と繰り返された。そして、1965年から1983年までイエズス会を率い、1991年に亡くなったペドロ・アルペ元総長について言及。「アルペ神父は、イエズス会が難民とともに働くことを望んでいました。これは国境での困難な使徒職です。そして、何よりもまず祈り、もっと祈りを、と彼らに求めることで、このことを表現しました」と教皇は述べた。
「彼がバンコクで行った最後の演説は、イエズス会に宛てた遺言でした。『祈りの中でのみ、社会の不正義に対処する力と霊感が得られる』と彼は言いました。フランシスコ・ザビエル、マテオ・リッチ、その他多くのイエズス会士の人生も見てください。彼らは祈りの精神のおかげで前進することができたのです」と教皇は付け加えた。
また、9月10日に東ティモールでイエズス会士に語った際、教皇は「聖職者主義」に警告を発した。これは、「シノダリテイに関するシノドス」の第一会期で提起された問題事項だ。「聖職者主義はどこにでも存在します… バチカンには強い聖職者文化があり、私たちは今、それをゆっくりと変えようとしている。聖職者主義は、悪魔が使う最も巧妙な手段の一つです」と教皇は言明。
さらに、「聖職者主義は、聖職者の間に存在する世俗性の最も高い形です。聖職者文化は世俗的な文化です。だからこそ、聖イグナチオは世俗性、世の精神を究明することを強く主張しました。なぜなら、私たちの罪、特に第一線にある者にとって、知的世俗性、政治的世俗性の中に罪があるからです」とされ、「私の見方では、私たち司祭にとって、この精神的な世俗性は、克服するのが最も難しい病気です」と警告された。
また教皇は、「教会が守るべき課題は、常に神の民から離れないこと。同時に”教会のイデオロギー”から離れねばならない。これが私が皆さんに託す課題です。最も貴重な財産である人々から、目を背けないでください」と念を押された。
このように9月にアジアのイエズス会士たちに教皇が語られた言葉は、10月に開かれるシノドス総会第二会期の参加者にも向けられているのかもしれない。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
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