☩「福音の喜びを分かち合いながら、前進する教会であるように」教皇、シノドス総会閉幕ミサで

(2024.10.27  Vatican News  Thaddeus Jones)

     約1か月にわたった世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会第2会期の閉会を記念して、教皇フランシスコが27日、聖ペトロ大聖堂でミサを司式。3年前に教区、国、大陸レベルで始まり、昨年10月の総会第1会期、そして今回の第2会期で最高潮に達した”Synod on Synodality”で「私たちが共に歩んできた旅」ができたことを主に感謝しされた。

 聖ペトロの椅子とベルニーニの天蓋が、この祝典のビデオ報道で大きく取り上げられたが、教皇は、この椅子が「愛、団結、慈悲、そして使徒ペトロへのイエスの命令に従った奉仕への呼びかけ」を表し、天蓋が「聖霊の栄光」を私たちが再発見するのを助け、「大聖堂全体の真の焦点」であることを思い起こされた。

*私たちの「盲目」が、世界の問題の緊急性を理解しない「閉じこもる教会」をもたらす

 ミサ中の説教で、教皇は、今読まれたマルコ福音書(10章46∼52節)に描かれた、「目が見えるようになりたい」と主に叫ぶ盲人のバルティマイを思い起こされた。「あなたの信仰があなたを救った」というイエスの言葉で視力を取り戻したバルティマイは、喜びにあふれてイエスの後を追う旅に出る…。

 教皇は、バルティマイが、私たち全員が持つ「内なる盲目」を象徴しており、「人生のダイナミズム」や希望を阻む原因になっている、とされ、「これは教会にも影響を与え、主の存在を認識できず、現実の課題に立ち向かう準備ができておらず、時には、私たちに叫び求める多くの人々の問いかけに適切に答えることができなくなる可能性をもたらします」と警告。

 そして、「現代の女性や男性が提起する問い、現代の課題、福音宣教の緊急性、人類を苦しめる多くの傷を前に、私たちは無気力でいることはできません」と言明されたうえで、「『現実の”周り”に閉じこもる教会』『動かない教会』は盲目のままでいる危険があり、そうした教会は、世界の多くの問題に司牧的対応をすることの緊急性を理解できない」と注意を与えられた。

*必要とされているのは「世界の叫びを聞き、奉仕に手を汚す教会」だ

 さらに教皇は、教会は、バルティマイのように「主が通り過ぎておられる」ことを思い起すことで、「主の声を聞き、主を探し求め、福音の力によって目覚めさせられた救いの喜びを感じる弟子たちの共同体となることができる。福音の喜びを求め、信仰を再発見したいと願う、あるいは苦しみ、貧困、疎外によって後退する世界中のすべての男女の叫びを取り上げることで、それを行うのです」と説かれ、さらに「必要とされているのは、『座り込み、敗北主義的な教会』ではなく、『世界の叫びを聞き、奉仕に手を汚す教会』なのです」とミサに参加する枢機卿、司教たちに訴えられた。

 「バルティマイが信仰と希望をもって主に叫んだように、私たちも同じように、人生における神の働きを認識し、神に従うことを決意しましょう」と呼びかけられた教皇は、「弱さや惰性によって後退したときはいつでも、主と福音に戻り、立ち上がって道を進み続ける強さと勇気を見つけることができますように」と願われ、「主が通り過ぎるとき、私たちは何度も主の呼びかけに耳を傾ける必要があります。そうすれば、私たちは立ち直り、主が私たちの盲目を癒すことができます。そして、もう一度主に従い、主とともに道を歩むことができるのです」とミサ参加者たちを励まされた。

 福音書には、目が見えるようになったバルティマイが「道を進まれるイエスに従った」と記されている。教皇は、このバルティマイの行為が「主が私たちを呼び、惰性や転倒を助け、視力を回復させて『福音の光の中で、世界の不安や苦しみを認識できるようにするシノダル(共働的)教会のイメージを示しています」とされたうえで、「決して独りで歩いたり、世俗的な基準に従って歩んだりせず、主に従い、主と共に一緒に旅をすることを忘れないようにしましょう」と促された。

*主の呼びかけを聞いて、勇気を出し、福音の喜びを世界の街に運べるように

 そして教皇は、私たちが「立ち上がる教会…沈黙する教会ではなく、人類の叫びを受け入れる教会」である必要があり、「福音の光を他の人々にもたらすキリストによって啓発」される必要があることを強調された。「必要とされているのは、『静的な教会』ではなく、『主と共に世界の街を歩く宣教的な教会』です。」

 説教の最後に、教皇は、これまでの”シノドスの旅”に改めて感謝され、「私たちが、自信を持って、共に旅を続けられるように」、そして「バルティマイのように、私たちも主の呼びかけを聞いて勇気を奮い起し、自分の盲目を主に委ね、立ち上がって、福音の喜びを世界の街に運ぶことができますように」と祈られた。

 「これがシノダル(共働的)な教会です。聖霊の賜物を最優先する共同体であり、聖霊は、私たち皆をキリストの兄弟姉妹にし、キリストのもとに引き上げるのです」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2024年10月28日