*福音を宣べ伝えるために根を下ろし、巡礼の旅に出るための「多面的な贈り物」
教皇は、最終文書を『多面的な贈り物』と表現し、「教会の指針として、また一致と共通の使命の象徴として機能します」と述べられた。
そして、この文書が、総会に参加した司教たちに拠っていること、”シノダル(共働的)な旅”を歩むにあたっての、それぞれの司教の存在を評価し、「私はローマ司教として、神の教会を世界代表司教会議に招集するにあたって、あなた方すべて―司教たちとシノダルな旅の証人である皆さん―が必要であることを認識していました。ありがとうございます!」と教皇は叫ばれた。
さらに、聴き手としての自分の役割を認識した教皇は、自分自身、そして各司教たちに、「ローマの司教もまた、毎日自分に語りかける『兄弟姉妹を肯定しなさい…私の羊を養いなさい』という御言葉に応えられるように、聴くことを実践する必要があります」と言明。この「聴く」という行為は、「教会の調和、聖バシレイオスと第二バチカン公会議が思い描いた調和を育むために、欠かすことができません」と説かれた。
*調和を守り、堅苦しさを取り除く
教皇はまた、教会を「聖餐のようだ」とする第二バチカン公会議で概説された「調和」を教会が体現する必要性を強調。「教会は、『すでに食卓を用意し、(食事をする人たちを)待っておられる神」のしるしであり、道具なのです」と語られた。
「神の恵みは、一人ひとりの心にささやかれる愛の言葉。 教会は、このささやきを妨げず、増幅し、壁を建てず、扉を開くように求められています」とされた教皇は、「慈悲深い神の手を縛って宝物を横取りする”恵みの自動販売機”のように振舞ってはなりません」と警告され、開かれた心と謙虚さを求められた。
そして、決して「堅苦しく」ならないように、と読者に求めた、辺境の神秘家マドレーヌ・デルブレルの詩のいくつかを読み上げ、それを「祈り」と表現し、「恵みの腕の中で踊る」ような信仰を求め、「教会が率直に、喜びをもって、神の慈悲を信頼して使命を全うする」よう呼びかけられた。「なぜなら、指導者のような表情であなたに仕えること、教授のような態度であなたに会うこと、スポーツマンのような規則をもってあなたに近づくこと、年を重ねた結婚生活で(夫婦が互いを)愛するようにあなたを愛することなど、いつも話しをする人々に、あなたはうんざりしている、と思うからです」。
*崩壊した世界における平和の証人
教皇は、”崩壊した世界”における平和の担い手としての教会の役割を強調し、「戦争が続く現代、私たちは、互いの違いを(認め合い)共存して生きる方法を学ぶことによっても、平和の証人にならねばなりません」と述べ、暴力、貧困、苦しみに傷ついた地域の司教たちの多様な経験を認識したうえで、「傾聴と和解を通じて、積極的に平和の構築」に努めるよう、すべての人に促された。
*教皇の使徒的勧告は発出せず、最終文書は即公開
教皇はまた、「今シノドス総会後に使徒的勧告を出さないことを選択しました」と言われ、「最終文書は、すぐにすべての人に公開されます… この文書にはすでに、特定の大陸と状況における教会の使命の指針となり得る非常に具体的な指示が含まれている。文書で示された共通の経験が、神の民に奉仕する具体的な行動を促すことを確信しています」と述べられた。
*聖霊が息づく教会
講話の終わりに教皇は、「聖霊は、あらゆる文化、課題、希望を越えて教会を一致させる力」であることを、総会参加者たちに思い起こさせ、謙虚に耳を傾け、祈り、行動する教会として聖霊の賜物を世界にもたらすよう、奨励された。
「聖霊は、この学びにおいて私たちを呼び、支えてくれます。私たちはそれを回心のプロセスとして理解する必要があります」と述べ、”シノドダル(共働的)な旅”は「(今シノドス総会が)終着点ではなく、継続的な回心のプロセスです」と付け加えられた。
そして最後に、教皇は「聖霊が息づく場所はあるが、すべての場所に息づく聖霊はただ一つだけだ」とい詩人デルブレルの言葉の引用で、講話を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)