(評論)「性虐待被害者のための祈りと償いの日」―「祈り」で済ませてはならない

(2022.3.17 カトリック・あい)

  18日は今回で6回目となる日本のカトリック教会の「性虐待被害者のための祈りと償いの日」だ。だが、中央協議会のホームページを検索して出てくるのは、司教協議会会長名の2月17日付けの「性虐待被害者のための祈りと償いの日」への参加呼びかけのみだ。東京教区では、菊地大司教が20日に東京カテドラル・関口教会で、祈りと償いのミサを奉げるが、その他の教区の対応は、中央協議会のページを見る限り判然としない。

  

*司教協議会会長の呼びかけは出されているが…

 中央協議会の担当部門と思しき「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」のページには、「祈りと償いの日」がスタートした2017年当時に作成したのと同じ文面のリーフレット配布の告知があるだけだ。各教区の関連行事予定を調べると、なんと2018年3月の札幌、仙台、名古屋、長崎のものがいまだに載せられたままになっているだけで、今年の予定のまとめは皆無である。

  司教協議会会長名の呼びかけでは「私たち聖職者がこのような罪を繰り返すことのないように、信仰における決意を新たにし、愛のうちに祈り、行動したいと思います」とし、「四旬節第二金曜日に、またはその近くの主日に、教皇様の意向に合わせ、司教団とともに、祈りをささげてくださいますようにお願いいたします」としているが、この呼びかけが全国の司教、司祭、そして信徒にどこまで届いているのか。疑問を持たざるを得ない。

 だが、日本の教会が置かれている状況は、このような無関心のまま、「祈りと償いの日」を、祈りだけで“やり過ごせる”環境にはない。

 

*長崎教区は損害賠償命令に、仙台教区は和解調停勧告”に速やかに応える必要

  具体的に言えば、聖職者の性的虐待に関する民事訴訟が、確認されているだけで長崎教区、仙台教区の二件があり、それらへの、両教区の速やかな対応が求められる。

 長崎では、2月22日に長崎地方裁判所で「2018年に司祭からわいせつ行為を受けたことで発症したPTSD(心的外傷後ストレス障害)を、高見大司教(当時)の不用意な発言でさらに悪化させ、精神的な苦痛を受けた」とする原告の訴えを認め、長崎教区に賠償を命じる判決が出された。

 だが、この判決を受け入れるのか、不当として上告するのか、1か月近く経った今も、新しく大司教に就任した後任の教区長から判断が出たとは聞いていない。

  仙台地方裁判所では、やはり司祭から性的虐待を受けたとする被害者が仙台教区を訴えている裁判が、今月初めに最終段階を迎え、担当裁判官から、原告、被告双方に和解調停に応じるよう提案がされたという。原告側は調停に応じる意向を表明しているというが、仙台教区は、3月19日に新司教が叙階されるまで、司教空席であるためか、まだ判断は出ていないようだ。

  いずれの件も、原告となった女性たちは、教区側から訴えをまともに受け入れてもらえず、長い間苦しんだ末に、周囲の教会関係者からの無言の圧力や、冷たい視線を浴びながら、やむを得ずの提訴となった、といわれている。教区が被告となった裁判をこれ以上長引かせ、被害を訴えている信徒を、これ以上苦しめてはならない。

 司教協議会会長のメッセージにある「無関心や隠蔽も含め、教会の罪を認めるとともに、被害を受けられた方々が神の慈しみの手による癒やしに包まれますように、ともに祈ります。同時に、私たち聖職者がこのような罪を繰り返すことのないように、信仰における決意を新たにし、愛のうちに祈り、行動したい」という思いを、関係司教たちが本心から共有するのであれば、早急に、判決、あるいは和解調停を受け入れ、関係者による被害者への心からの謝罪、賠償、そして、今後の責任あるケアを決断すべきだろう。

 長崎、仙台両教区長はいずれも、新任。長崎は2月に大司教着座式を終えたばかり、仙台は19日に司教叙階式予定だが、過去のしがらみを断ち切り、多くの心ある信徒の信頼を回復するためにも、早急な判断が求められる。

 

*司教団にも具体的な取り組みが求められている

  日本の教会としても、目に見える具体的な対応が求められる。

 司教協議会会長の呼びかけでは「残念ながら模範であるはずの聖職者が、命の尊厳をないがしろにする行為、とりわけ性虐待という人間の尊厳を辱め蹂躙する行為におよんだ事例が、世界各地で多数報告されています。…日本の教会も例外ではありません…。日本の司教団は2002年以来、ガイドラインの制定や、「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」の設置など、対応にあたってきました」としている。

 

*「”対応”してきた」と胸を張って言えるのか

  だが、果たして2002年以来、本当に具体的な目に見える対応をしてきたのだろうか。ガイドラインを作り、「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」を設置し、さらに『未成年者と弱い立場におかれている成人の保護のためのガイドライン』を作成した、というが、先に述べたような長崎、仙台両教区に代表されるような対応を見ると、“仏作って魂入れず”の感を否めない。

  

*「聖職者の性的虐待問題の責任者」が見えない

  それが端的に表れているのは、誰が聖職者による性的虐待問題への対応にあたるか、という司教団の中の責任体制だ。中央協議会のホームページで、司教協議会の担当部署を見ると、司教協議会の中の社会司教委員会(委員長:勝谷太治・札幌教区司教)、副委員長:成井大介・新潟教区司教))のもとに、「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」が置かれ、責任司教はヨゼフ・アベイヤ福岡教区司教、担当司教は松浦悟郎・名古屋教区司教と、この2人の分担は不明だが、少なくとも二人の司教が担当になっている。だが、どのような役割、責務があるか判然としない。

 

*司教協議会の”デスク”のHPに書かれているのは…

  さらに、「デスク」のページを開いて活動状況を調べると、3月16日現在で、見るべきものは、「2022年度『性虐待被害者のための祈りと償いの日』に関する日本カトリック司教協議会会長(菊地 功大司教)の呼びかけのみ。あとは、「2021年 性虐待被害者のための祈りと償いの日 (2021年3月5日) にあたり 動画」「司教協議会は2020年5月に、毎年9月1日から10月4日までを『すべてのいのちを守るための月間」と定めました」「2019年・・・・」と過去のものをそのまま残しているだけだ。

 極めつきは、「休業延長のお知らせ カトリック中央協議会は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、4月19日まで休業期間を延長いたします。 再開日あらためてお知らせいたします」という告示だ。今年のことかと思い、もう一度読みなおすと「2020年4月7日最終更新日」とある。なんと二年前の連絡が消去もせずに残されているのだ。コロナだから、何もしなくていい、ということなのだろうか。

 中央協議会や各教区に、デスクは作られ、電話番号などはHPに出ているが、どれほど機能しているのか、現況の活動、成果の説明はなく、判断のしようがない。それどころか、長崎教区などでの、性的虐待についての訴えへの対応について関係者の話を聴くと、「加害者を守るための部署になっている」との批判さえあるほどだ。

 

*”ガイドライン”には見直すべき点が多い

  『未成年者と弱い立場におかれている成人の保護のためのガイドライン』にも、幾つか首をかしげたくなる点がある。まず、名称が「未成年者と弱い立場におかれている成人の保護のためのガイドライン」となっているが、司教協議会での担当と思しき部署「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」の名称との間に、大きなずれがある。「未成年イコール子ども」なのか?「弱い立場に置かれている成人イコール女性」なのか?そうではなかろう。

 また、「弱い立場に置かれている成人」とは誰を指すのか、ガイドラインを読んでも、非健常者を指すのか、健常者でも”伝統的価値観“の教会で”司祭の権威“に抵抗できないと考えて泣き寝入りする人まで対象とするのか、判然としない。仮に、健常者の成人が性的虐待を受けた場合、このデスクが受け付けられるのか。実際、長崎教区も、仙台教区も被害を訴えているのは、被害当時、成人女性の健常者だった。欧米人の場合、幼児や年少者に対する聖職者の性的虐待が目立つが、日本の場合、むしろ成人女性が被害に遭うケースが多いのではなかろうか。

 筆者が耳にしている性的不適切行為を働いた別の二人の司祭の場合も、被害者は成人女性だ。

 そもそも、成人の健常者は、「ガイドライン」や「デスク」の権利擁護の対象とならない、というのは、おかしな話だ。未成年は論外だが、年齢、性別に関係なく、誰に対しても聖職者による性的虐待は厳しく罰せられるべきだし、それを隠蔽したり、見て見ぬふりをしたりするような高位聖職者も責任を問われるべきではないか。

 「未成年者と弱い立場におかれている成人の保護のためのガイドライン」という名称自体、「聖職者による性的虐待に厳しく対応し、再発を防ぐ」という明確な意志の表明には、ほど遠い。

 さらに、このガイドラインでは、肝心の「監査」についての記述に「日本カトリック司教協議会は、各教区における本ガイドラインの遵守状況を確認し、監査結果を公表する」とあるが、「監査」を具体的に、何を、誰が、どの組織が監査するのか、どのような頻度でするのか、結果の公表をするのかしないのか、指摘された問題への対応はどこがするのか、問題の責任者の処遇はどうするのか、など肝心の点が不明だ。

 また、このガイドラインは昨年12月に作成された、と会長のメッセージは説明しているが、ガイドラインの本文を見ると、「2021年2月17日の司教協議会総会で承認された」とある。なぜ、司教協議会総会で承認されたものが、10か月も公表されなかったのか。しかも、3月16日の時点でも、このガイドラインは、小教区レベルには全く周知徹底していない。

 ガイドラインの末尾に「今後も、よりふさわしい制度とするために、常に見直しと整備を続けて参ります」とあるが、以上のような問題を真摯に受け止め、早急に見直し、さらに具体的で、説得力のある肉付けをしてもらいたい。

 

*司教団として最優先すべきは、明確な役割、権限をもつ性的虐待問題担当部署の設置、担当司教の選任

  3月11日にHPに掲載された会報3月号によると、司教協議会は今年1月13日に開いた定例常任司教委員会で、「聖職者による性虐待問題に取り組むための体制について 子どもと女性の権利擁護のためのデスクからの提案である『未成年者と弱い立場におかれている成人 を保護するためのガイドライン』推進のために司教協議会会長を責任者として修道会・宣教会との連携、神学校での養成、司祭生涯養成、教区間などの横断的なつながりを推進する組織を作ることを承認し、今後組織体制を整えていくことを申し合わせた」とある。

 だが、それよりも先に手を付けるべきは、「聖職者による性虐待問題に取り組むための体制」を抜本的に見直し、外部からもはっきり認識されるような名称の部署の新設、その役割、権限を明確にする規定を作ったうえで、そのトップとしての責任司教を決めることだ。司教協議会の核となる体制が明確さを欠いたまま、会長を責任者とした外部組織との連携、教区館などの横断的つながりなどは、とても実のある形では進められまい。

 

*公正な調査、提言能力のある独立委員会の設置も必要だ

  さらに、大事なのは、フランスやドイツなど欧州各国で相次いで実績を挙げている、司教協議会から独立した調査、提言能力を持つ法律などの専門家による独立調査委員会の設置だ。司教協議会や教区の性的虐待相談窓口にもたらされた訴えを独立委員会の公正な調査に委ねることができれば、調査への信頼度も増す。

 

*不完全な”アンケート調査”から二年、何がなされたのか

  司教協議会では2019年6月から「聖職者による未成年者への性虐待の対応に関するアンケート」を開始したが、”後処理”に時間がかかり、翌2020年4月になってその結果をまとめ、発表したが、その内容は、2020年2月末日の時点で、全16教区ならびに全40の男子修道会・宣教会、55の女子修道会・宣教会から得た回答では、1950年代から2010年代に「聖職者より性虐待を受けた」とされる訴えは16件、加害聖職者は、教区司祭7名、修道会・宣教会司祭8名、他1名は不明。加害を認めたものが4件、否認が5件、不明が7件。加害聖職者の措置(事件発覚時)は、職務停止は2件に過ぎず、退会も1件のみ。異動で済ましたものが8件(国内外含)、ほか5件は不明という内容。強制調査権も何もない、ただ報告を受動的に受け取る”アンケート“の弱さが露呈した。

 この発表文では「本調査によって訴えが上がってこなかった教区・修道会・宣教会においても、『被害がない』という短絡的な捉え方をするべきではない。被害者が安心して声を上げられる環境かどうかを見直し、教会全体として、性虐待・性暴力根絶に向けた、たゆまぬ努力が必要である」と述べられているが、具体的にどのような行程表を作り、形だけでない内実を伴った取り組みをしようとしているのか、各教区に何を期待するのか、明確な説明は皆無だった。

 アンケート結果の発表から2年も経って、出てきたのは「ガイドライン」だけ。「被害者が安心して声を上げられる環境かどうかを見直し、教会全体として、性虐待・性暴力根絶に向けた、たゆまぬ努力」がされてきたとはとても言えない。

 

*これ以上の司教団の”不作為”があってはならない

  ちょうどこの数年は、高見・長崎大司教が司教協議会会長を務めていた時期と重なる。信徒に性的虐待をしたとされる聖職者、そして彼を監督、指導すべき立場にあり、いったんは和解しようとした被害者を心無い言動によって傷つけて裁判となり、裁判所から教区に損害賠償命令を出されるに至った。

 そうした事情にコロナ禍での教会指導者たちの動きの鈍さが重なって、このような結果となった、とも考えられるが、長崎、仙台両教区における裁判に代表されるように、対応次第で教会に対する信頼を大きく損ないかねない事態も起きている。コロナ禍を理由にした、これ以上の“不作為”があってはならない。

 

*司教団の新体制に、祈りと”有言実行”を期待する

  「世界中の教会に多くの(聖職者による性的虐待の)被害者がおられるといわれます。無関心や隠蔽も含め、教会の罪を認めるとともに、被害を受けられた方々が神の慈しみの手による癒やしに包まれますように、ともに祈ります。同時に、私たち聖職者がこのような罪を繰り返すことのないように、信仰における決意を新たにし、愛のうちに祈り、行動したいと思います」。

 2月に司教協議会の会長に就任した菊地・東京大司教は、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」への参加呼びかけを、このように結んでいる。新会長と日本の司教全員が共に「信仰における決意を新たにし、愛のうちに祈り、行動」、実績を示すことを望んでやまない。

 

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

・・・この評論へのご意見、ご感想をお待ちしています。「カトリック・あい」トップページの「読者の声」をご利用ください。

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2022年3月17日