・教皇、性的虐待隠ぺいのポーランド司教の辞表を受理(La Croix)・日本では?

(2021.5.14  La Croix International staff | Poland)

   教皇フランシスコは12日付けで、ポーランドのビドゴシュチ教区長、ヤン・ティラワ司教に対する教区司祭の性的虐待を隠蔽した訴えに関するバチカンの調査を終え、同司教から辞表を受理した。

 ポーランド駐在のバチカン大使が同日発表した声明によると、バチカン主導して行われた調査の結果、72歳になるティワラ司教が「聖職者による未成年者に対する性的虐待を適切に処理できなかった」と判断されたとしている。

 さらに声明は「正式な報告に続いて、教皇フランシスコの自発教令『Vos estis lux mundi(あなた方は世の光)』に従い、司教の過失に関する手続きを行った」と声明は述べた。2019年に発出されたこの自発教令は、性的虐待を犯した聖職者に司牧を続けさせる司教あるいは修道会会長に説明責任を求める規範と手続きを定めたもの。

 そして「この手続きを完了した後、教区を管理する上での他の困難も考慮に入れ、司教は教皇に辞表を提出した」と声明は経過を説明している。

 教皇は2019年5月に自発教令『Vos estis lux mundi(あなた方は世の光)』を発出、司祭の性的虐待に対して司教や修道会会長の説明責任を求める規範を明確にしているが、その規範適用のポーランド教会高位聖職者だ一号だ。

 ティラワ司教の弁護人、エドマンド・ドベッキ氏は12日、ポーランドの日刊紙Gazeta Wyborczaに、「ポーランドの国会議員や抗議者からの声を受けて、司教はしばらくの間、役務を退くことを考えている」と語った。同紙によると、抗議者たちは司教の住居前で最近まで数回、デモを繰り返している。

 司教は、2004年からポーランド北部のビドゴシュチ教区長を務めてきたが、昨年2月、管轄の教区司祭の一人の性的虐待嗜好を擁護した、として訴えられた。司教は、問題の司祭、パベル・カニアが他の教区で少年を誘惑し、自身のパソコンに児童ポルノ画像を蓄積した容疑で警察に逮捕された後も、擁護し続けた。逮捕以前には、その司祭を信徒の司牧から外すことせず、何度も他教区へ転出させることを繰り返した。司祭は逮捕、起訴され、2015年に7年間の懲役刑に処せられている。

 司祭から性的虐待を受け、訴えていた元祭壇奉仕者の少年は、裁判所での和解のための公聴会で、ティラワ司教に会い、8万ドル相当の損害賠償を受けた。

 同司教は、教皇が発出した自発教令によるルール適用の最初のポーランド教会の高位聖職者となったが、教皇は、それ以前にも、未成年に対する性的虐待で告発された司祭の犯罪を隠蔽したことが明らかになったポーランドの司教2人に厳しい措置を取っている。この2人は、グダニスク教区のSławojLeszekGłódź司教とカリシュ教区のEdward Janiak司教で、昨年3月に引退していたが、2人とも教区長を務めていた教区内への居住継続、教区内での公けの典礼参加を禁じられた。2013年に引退した82歳のビェルスコ・ジヴィツエ教区のTadeusz Rakoczy司教も、この自発教令による新しい手続きの下で調査を受けることになった。

 ポーランドの司教団は2019年に、聖職者による性的虐待についての報告をまとめているが、それによれば、 1990年から2018年までの発生件数は382件、被害者は624人に上っている。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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日本でも、司祭の性的虐待で長崎大司教区などで裁判続く

(2021.5.17 カトリック・あい)

 日本でも、司祭による信徒への性的虐待事件は、欧米に比べれば件数は少ないものの発生しており、教区が訴えられたのは、カトリック長崎大司教区と仙台教区で確認されている。だが、高位聖職者が何らかの責任を取った、あるいは取ろうとている、という話は聞かない。

 すでに、75歳の”司教定年”に達し、他にも教区資金の不正運用が問題にされている長崎大司教は、辞任しても責任を取ったことにならない、責任を持って対処するのが、自らの使命、という、どこかの国の政治家や企業経営者が地位に留まる“言い訳”につかる論法を使っていることを耳にしたことがある。

 長崎大司教区では、「教区司祭から性被害を受け、教区の事後対応でさらに心的外傷後ストレス障害(PTSD)が悪化した」として、長崎県内の女性信徒が大司教区に550万円の損害賠償を求める訴えを起こしており、先週5月11日には長崎地裁で第三回の口頭弁論が行われ、女性側は書面で「大司教区は被害を認め示談したにもかかわらず、女性の名誉を侵害しないようにする注意義務を負った」と主張した。

 訴状などによると、2018年に教区司祭からわいせつ行為を受けた女性に対し、大司教区は翌2019年に賠償金を支払った。だが、高見三明・長崎大司教がその後の内部の会議で「(女性を)『被害者』と言えば誤解を招くので『被害を受けたと思っている人』など別の表現が望ましい」などと発言したとする議事録が別の神父らに配布された。

 女性側代理人によると、大司教区側はこれまで、高見大司教の発言について、「示談の事実を知らない知人記者の言葉を紹介したにすぎない」と主張しているが、女性側は11日の口頭弁論で、大司教区の注意義務を踏まえ「仮に発言を引用しただけでも違法性がある」と反論した、と現地の長崎新聞は報じている。

 

 

彼は1948年11月4日にKuźniceŚwidnickie [1](現在のBoguszów-Gorce)[2]で生まれました。1966年に彼はバウブジフの中等学校第3校を卒業し、中等学校を卒業する試験の証明書を取得しました。1966年から1973年にかけて、彼はヴロツワフのメトロポリタン高等神学校で哲学と神学を学び、1967年から1969年にシュチェチン-ポドユヒでの彼の基本的な兵役の期間中中断しました。は1973年にヴロツワフの神学部で神学修士号を取得ました彼は1973年5月26日に聖大聖堂で司祭に叙階されました枢機卿によるヴロツワフの洗礼者ヨハネ地元の大司教、BolesławKominek。1974年から1980年にかけて、彼はルブリン カトリック大学の神学部で研究を続け、1976年に学士号を取得し、1980年に聖体に関するWojciechNowopolczykを教える論文に基づいて博士号を取得しました。1985年から1986年にかけて、彼はパーダーボルンで奨学金を受けていました[1]

1973年から1974年にかけて、彼は聖教区で牧師および教職員として働きました。スタニスラウスとセント。シュフィドニツァのワクワフ[3]。1988年から1993年にかけて、彼はヴロツワフのコーパスクリスティ教区教区司祭 であり[1]、2001年には最初に管理者であり、次にヴロツワフの聖霊教区の教区司祭でした[4]

1980年から1985年にかけて、彼はヴロツワフのメトロポリタン高等神学校の司祭でした[5]。1980年に彼はヴロツワフの神学部の教義学部で講師になり[5]、そこで教義学科の助教授に就任[1]、1981年から1988年に秘書を務めた[5]。彼はColloquiumSalutisの編集委員会に参加しました[1]

1988年9月24日に、教皇ヨハネ・パウロIIは、彼に任命さの補佐司教 ヴロツワフの大司教区[3]の参照名ばかり ノヴァSinna [6] 彼は1988年11月5日に聖大聖堂で司教叙階されました。ヴロツワフの洗礼者ヨハネ。それらは、ヴロツワフのメトロポリタン大司教であるヘンリーク・グルビノヴィッチ枢機卿によって提供され、ヴロツワフの補佐司教であるタデウシュ・リバクアダム・ディツコフスキーヨゼフ・パズドゥルの支援を受けました[1]。司教の叫びとして、彼は「Crux ave spes unica」という言葉を採用しました(こんにちは、クロス、唯一の希望[7]。1989年に彼は大司教区の司教総代理に任命され[1]。彼は平信徒と若者の牧会に携わり、宗教出版物の検閲者[3]と教会会議を支持する審査官[1]でもありました。彼はに属していた司祭の協議会consultorsの協議会。1989年に彼は大聖堂の章の正典になりました。彼はヴロツワフ教会会議の主委員会の委員長であり、ヴロツワフで開催された国際聖体大会の組織委員会の事務局長でした[3]

2004年2月24日、ヨハネパウロ2世の決定により、彼は2004年3月25日に新しく設立されたビドゴシュチュ主教区の教区主教の事務所に異動しました[8] [9]アングルビドゴシチの大聖堂、彼は教会法教区を引き継いだ、その間は、2004年3月28日に行われた[10] 。2021年5月12日ポーランド教皇庁は、自発教Vos estis lux mundiに従って、聖座に通知しました。彼に従属する何人かの牧師による未成年者の不利益のために性的虐待の事件を実施する際に報告された階層の過失に関する手続きを実施した。取り決めの結果、彼は辞任し、教皇フランシスコに受け入れられた[11] [12]

ポーランド司教会議の一環として彼は「Iustitia et Pax」委員会、文化遺産保護評議会[1]、社会コミュニケーション評議会[3]のメンバーになりました。彼はまた、オーストリアの司教会議との接触のためのポーランドの司教会議の代表、ラジオとテレビのニエポカラヌフのためのポーランドの司教会議の助手としての地位を占めました。さらに、彼はカトリック情報局のプログラム委員会とオポカ財団の監査役会に加わりました。ポーランドの監督制を代表して、彼は中央ヨーロッパのカトリックデーの組織委員会のメンバーにもなりました[3]

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2021年5月17日