・バチカンは、性的虐待の”刑事裁判”で枢機卿を調べられるか?(Crux)

(2021.2.26 Crux Editor John L. Allen Jr.)

Will the Vatican investigate a cardinal implicated in its own abuse trial?

2016年2月10日の灰の水曜日のミサで、教皇フランシスコの頭に灰をしるすアンジェロ・コマストリ枢機卿 (Credit: L’osservatore Romano/Pool Photo via AP.)

*原告側証人が聖ペトロ大聖堂首席司祭だった枢機卿の「不作為」を証言

 ローマ発–2月24日、バチカンで現在進行中の異例の性的虐待に関する裁判が波乱含みの展開を見せた。それは、教皇フランシスコが手を付けたバチカン改革が実際にいかに深刻であるかを語る多くのものを含んでいるのかも知れない。

 24日の公判では、3人が原告側の証人として立ち、「前週の20日に聖ペトロ大聖堂首席司祭、同大聖堂管理局責任者およびバチカン市国教皇代理を辞任したばかりのアンジェロ・コマストリ枢機卿が、バチカン敷地内にある小神学校で起きた性的虐待の被害者からの告発を知りながら、何も対応しなかった」と証言したのだ。

*バチカンにある小神学校で10年前に起きた性的虐待

 この証言の真偽は厳密に検討する必要があるが、メリットは批判的に検討されなければならないが、少なくとも、それはコマストリ枢機卿を取り調べる根拠になり、結果は今後の展開によるとしても、過失を成立要件とする刑法上の罪に問われることになり得る。

 そしてこれは、単にコマストリ枢機卿の聖職者としての地位に関わる教会法上の裁判ではない。裁判で取り上げられている犯罪はバチカンそのものの中でなされたものであり、仮に枢機卿が誤ったことをしたということであれば、それは、バチカン自身の法制度で、私人同士の法的紛争を裁く「民事訴訟」を扱う、ということになる。

 これまで、バチカンの法廷で高位聖職者が刑事犯として起訴されたことはなく、多くのバチカン関係者は、バチカンの法制度が枢機卿のような高位の人物の行為を公判であからさまにするのを防ぐように作られているのかどうか、疑いの目で見ている。コマストリ枢機卿について何の反応もなければ、その印象は変わらないが、制度が機能すれば、多くの関係者は、ついに真の改革がなされた、と結論付けるだろう。

 要するに、この事件の核心は、当時、バチカンの敷地内にある聖ピオ十世小神学校の生徒で、現在は司祭になっているガブリエレ・マルティネリが、実名が公表されない「LG」というイニシアルの生徒を性的に虐待した、という告発にある。2人は、起訴の対象となっている2007年から2012年に、いずれも未成年で、「LG」は容疑者よりも一歳、年下だった。もう一人の被告は、性的虐待があったとされる時期に小神学校の校長を務めていたエンリコ・ラディス神父で、その性的虐待の事実を隠ぺいした罪に問われている。

 聖ピオ十世の小神学校はバチカン関係者の間ではよく知られている。バチカン市国の中にあり、聖ペトロ大聖堂での教皇ミサで祭壇奉仕する少年たちはこの学校の生徒だからだ。

*被告の現司祭は虐待を否認するが、起こるべくして起きた校内の実態

 この性的虐待は2017年に、以前、前教皇ベネディクト16世の時代にバチカンの機密漏洩を暴いたことのあるイタリアのジャーナリストが「Peccato Originale(原罪)」という、この事件の告発本を出したことで、明るみに出た。

 バチカンの裁判所は、すでにマルティネリ自身から話を聞いているが、彼は性的虐待について強く否定し、小神学校関係者の”進歩派”と”保守派”の内部争いが、自分が被疑者にされた背景にあることを示唆している。

 24日の公判では、検察側の4人の証言が行われ、問題とされている年の小神学校での生活について好ましいとは言い難い内容を語った。

 証人の一人、小神学校で2010年から1年間を過ごしたアレッサンドロ・フラミニオ・オッタヴィアーニ氏は、同性愛についての冗談や言及、同性愛の傾向があると思われる特定の生徒たちに女性のあだ名をつけたり、同性愛者と見なされる「バチカンの枢機卿や司教たち」を軽蔑するような話をしたりするなど、「心理的な圧力に満ちた、不健全な環境」に囲まれていた、と述べた。

 2009年にわずか1か月で神学校を去ったクリスチャン・ギレス・ドンヒ氏は、ローマ教皇庁の関係者に関するものを含めた「とても酷いうわさ話」や、身体的な外見や女性のような特徴を持つ生徒を笑いものにするなど、「耐え難い」経験をした、と話した。

 マルティネリの告発者「LG」に対する性的虐待を直接目撃したする者は、証人4人の中にいなかったが、彼らは皆、マルティネリは「同性愛的な振る舞い」をし、それが生徒たちの間で嘲笑的な話題になっていたことや、彼が生徒たちに性的に不適切な接し方をしたり、陰部に触れるなどの振る舞いをしたりするのを目撃したことを、宣べたてた。

 また、マルティネリが、自分がラディス校長のお気に入りだったのをいいことに同僚の生徒たちの間で権力をふるい、神父が小神学校の活動の様々な分野の運営を彼に任せたことから、”小さな司令官”と呼ばれていた、と語る証人もいた。

*「枢機卿は、被害者の訴えを知っていた」と3人が証言

 一連の証言で特に注目を引いたのは、4人のうち次の3人が、「コマストリ枢機卿は、小神学校に関する問題、特に、マルティネリとLGに関する訴えも知っていた」と証言したことだ。

・ドンヒ氏は、コマストリ枢機卿が、ラディス校長を辞めさせようとする動きを「理由にしている内容は嘘だ」として制止し、そのような枢機卿の振る舞いに驚いた、と小神学校を管轄するコモ教区の幹部から告げられた、と語った。

・オッタヴィアーニ氏は、マルティネリに対する訴えをコマストリ枢機卿に知らせた後、ヤルツェンボウスキーが枢機卿の事務所を去るのを見た、と述べた。

・聖ペトロ大聖堂で聖歌隊の指導者を務め、小神学校の生徒と頻繁に付き合いのあるピエール・ポール神父は、聖ペトロ大聖堂の首席司祭だったコマストリ枢機卿の補佐役を務めたヴィットリオ・ランツァーニ神父が、「カミルとL.G.について知っていた」と述べた。

 コマストリ枢機卿が24日の公判の4日前に聖ペトロ大聖堂首席司祭などの役職を解かれたことを考えると、教皇フランシスコは何が起きるかを事前に知っておられて、そうなさったと考える誘惑にかられるが、いずれにせよ、法的な対応なしの、公式な説明なしの辞職は、教皇とその側近たちが言明している教皇による改革の核心にある「完全な透明性と説明責任の遵守」からほど遠いものだ。

*そして、”ボール”はバチカンのコートにある

 公平のために言うと、コマストリ枢機卿がこの小神学校にいかなる責任を負っていたのか、まったくはっきりしない。小神学校は、 “Opera Don Folci”と呼ばれる修道会を創設したジョバンニ・フォルチというイタリア・コモ出身の司祭によって始められたのだが、修道会、教区、バチカンの三者が、この小神学校の管理運営についてどのように関与するのか、あいまいだ。

 25日の証言で、現在、コモ教区長を務めるオスカー・カントーニ司教は、2017年にコマストリ枢機卿と会った際、枢機卿は「バチカンは聖ペトロ大聖堂での生徒たちの奉仕のみに責任を持ち、小神学校の内部的な運営には責任がない」と語っていた、と述べた。

 現在までのところ、我々が手にしているのは、コマストリ枢機卿あるいはその部下が性的虐待の訴えについて知っていた、とする3人の、裏付けのない証言だけ。枢機卿が正確に何を知っていたのか、その情報をもとにどうしたのか、は明らかにされないままだ。

 これはまさに、バチカンの司法当局によって正式に取り調べることで対処べき問題だ。

 結局のところ、バチカンは、透明性の公約にいさかかの面目を施すために「マルティネリ裁判」の完全公開に踏み切ったのだ。だが、その代償として、バチカンは、裁判の過程でもたらされる情報をもとに行動すると、実際に見られねばならない。たとえそれが、「枢機卿に至る道」に見えるとしてもだ。

 今、ボールはバチカンのコートにある。そして、今後の展開は、バチカンがどう対応するかに、かかっているのだ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2021年3月1日