・カナダ司教団が、聖職者による性的虐待の訴え聞く新制度・・日本の司教団は?

Canada's bishops are helping people report instances of abuseCanada’s bishops are helping people report instances of abuse 

(2021.5.10 Vatican News  Lisa Zengarini) 

 カナダのカトリック司教団が、未成年者や弱い人々を保護する取り組みを強力に進める一環として、信徒たちが聖職者による性的虐待と管轄司教による隠ぺいについての訴えを容易に行うことのできる複数言語による新システムを開始することになった。

 新システムによって、被害者あるいは被害を知った信徒たちは、全国どこからでも、インターネット(BishopReportingSystem.ca)あるいはフリーダイヤル(1-866-892-3737)で訴えをすることができ、機密性の高い安全なプラットフォームClearViewConnectsTMを使用。24時間年中無休で、英語またはフランス語で訴えを受け付ける。

 このシステムは、倫理報告や内部告発のプラットフォームを提供する同国のプロバイダーClearView StrategicPartnersが開発したもの。聖職者によるによる性的虐待、性的違法行為、あるいはそうした報告を受けた管轄の司教の隠蔽についての訴えを受け付け、その内容を、性的虐待問題の責任者に確実に伝えるように設計されている。訴え人は、実名か匿名を選択でき、すべての通信は文書化され、保存される。

*説明責任の強化

 今回の司教団の対応は、教皇フランシスコが2019年に出された使徒的書簡「Vosestis lux mund(あなたは世の光)」を受けたもの。教皇はこの書簡で、全世界のカトリック教区に対して、「(聖職者による性的虐待についての)報告を受けるための、誰もが利用でき、しっかりとして、使いやすいシステム」を一つ以上、導入するように求め、司教が訴えを受けた際の対応についての手順を示していた。

 カナダ・カトリック司教協議会(CCCB)のウェブサイトによると、新報告システムの導入によって、聖職者による性的虐待とその他の性的違法行為について訴えを受け、対応するための既存の手順に追加する形で、カナダの教会指導者たちに、さらなる説明責任をもとめることになる。

 同国の「子供と家族に関する研究センター」のデルフィーヌ・コリン・ベジーナ所長は、今回の司教団の措置について、「被害者優先の対応であり、被害の訴えの開示を妨げる​​複数の障壁を取り除くことを目的としている」とし、「子供や弱い人たちへの虐待を容認しないこと、彼らをそうした被害から守ることを最優先する環境作りに向けた重要な前進」と評価。

 そして、「これまで、聖職者による性的虐待の被害者たちは、黙らせれ、虐待の事実は隠蔽され、虐待の被害者たちの声は聴かれないままにされてきた。今回の司教団の取った措置を歓迎したい。これによって、虐待被害者が癒され、立ち直る機会が増すことを期待します」と希望を表明した。

 カナダの司教団は、今回の新システム導入に当たって、性的虐待の「罪と犯罪」に対処する責任ある姿勢を強調し、「被害者に手を差し伸べ、正義の回復、癒しの促進への道を共に歩む」を約束。改めて、司教、司祭、助祭、修道者、そして信徒たちが被害者にもたらした苦痛について痛悔を表明し、「この報告システムによって、司教たちは誠実に振る舞い、教会法と民法に従って性的虐待の報告に対して説明責任を果たします」と強調している。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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 日本では、数年前に司教団が全国の聖職者による性的虐待に関する調査をしたものの、その内容は、極めて不完全で、結果に対す対応についても、通り一遍のものしかされずに現在に至っている。しかも、司教団のトップを務める大司教が管轄する長崎教区での女性信徒への被害については、訴えられた司祭が、警察から取り調べを受け、虐待容疑で送検されたものの、不起訴処分になったことに安心したのか、その女性を心理的に苦しめる発言をしたために、民事の損害賠償を求める動きになっている。

 仙台教区でも、女性の被害者から訴えが起こされている、と伝えられている。それ以前にも、東京の某修道会の故人となった司祭が、当時少年だった男性を性的虐待を働いたとして、被害者から訴えられているが、これらいずれに対しても、当事者の教区、修道会から明確な謝罪もないまま、「説明責任を果たす」には、ほど遠い状態が続いている。

 コロナ禍が長引く中で、多くの信徒のこの問題への関心も薄らいでいることを”奇貨”として、放置したまま、忘れ去らせようとしているかのようにさえ、見える。だが、このような無責任ともイエス、誠実さを欠いた対応が、教会の指導者たちへの信頼を低下させ、教会離れを加速することになることを、懸念せざるを得ない。

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2021年5月11日