・「被害者への謝罪、そして『命の福音』を言葉と行いで証しする聖職者の義務を再確認」菊地大司教、7日にミサ

(2021.3.5 カトリック・あい)

  3月5日の「性虐待被害者のための祈りと償いの日」に、菊地東京大司教が5日付けの「司教の日記」に以下の言葉を書かれた。

 3月5日は「性虐待被害者のための祈りと償いの日」であります。聖職者による性虐待の罪に赦しを願い、被害を受けられた方々の心の癒しのために祈り、同じ過ちを繰り返さない決意を新たにするために、教皇フランシスコは、全世界の司教団に向けて、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」を設けるように通達されました。

 日本の教会では「四旬節・第二金曜日」と定めました。東京教区では、次の日曜日、四旬節第三主日のミサで、この意向のもとにミサを捧げることにしております。東京カテドラル聖マリア大聖堂では関口教会のミサとして、7日午前10時のミサを、わたしが司式してこの意向を持って共にお祈りいたします。

 教皇ヨハネパウロ二世は、「人間の命を人間自身が自由意思の赴くままに勝手にコントロールできるのだ」という現代社会の思い上がりを戒めながら、そういった現実を「死の文化」とよばれました。そして教会こそは、蔓延する死の文化に対抗して、すべての命を守るため、「命の文化」を実現しなければならない。そう強調された教皇は、回勅「命の福音」の冒頭に、こう記されています。

「命の福音は、イエスのメッセ-ジの中核に位置します。教会は、命の福音を日ごと心を込めて受け止め、あらゆる時代、あらゆる文化の人々への『良い知らせ』として、あくまでも忠実に宣べ伝えなければなりません」

 危機にさらされる命の現状、教皇ヨハネパウロ二世が指摘する「死の文化」が支配する現実の中で、教会こそは、「命の福音」を高く掲げる務めがあることを自覚しなければなりません。

 その教会にあって聖職者には、神の賜物である尊厳ある命を守るために最善を尽くす義務があり、「命の福音」をその言葉と行いを持って証しする義務があります。

 残念ながら、その模範たるべき聖職者が、とりわけ性虐待という他者の人格を辱め人間の尊厳を蹂躙する行為に及び、命の尊厳を貶め、命の危機を生じさせる事例が、世界各地で過去にさかのぼって多数報告されています。また司教を始めとした教区の責任者や、修道会の責任者が、聖職者の加害行為を隠蔽したり、その被害を過小評価した事例も、多数指摘されています。

 日本の教会も例外ではありません。被害を受けられた多くの方々に、心からお詫び申し上げると共に、教会は命の光を生み出す存在となる務めがあることを、改めて心に刻みます。(なお東京教区の対応については、教会の中の性的被害に対応 | カトリック東京大司教区 ウェブサイト (catholic.jp)をご覧ください

(編集「カトリック・あい」)

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2021年3月6日