・「”嘆き”だけでは済まされない、”行動”だ」バチカンの性的虐待問題担当次官、シクルナ大司教

Archbishop Charles Scicluna - archive photoArchbishop Charles Scicluna – archive photo 

 聖職者による性的虐待に関するフランスの独立委員会報告が世界に衝撃を与えているが、バチカン教理省次官でで虐待問題を担当するチャールズ・シクルナ大司教は7日、 Vatican Newsとの会見に応じ、「”嘆き”から、断固かつ積極的な”行動”に移らねばならない」と強調した。

 会見での質疑は以下の通り。

*さらなる行動の覚悟を新たにする機会だ

問:フランスの独立委員会の報告についての意見は?

答:性的虐待の被害に遭われた人たちに哀悼の意を示された教皇フランシスコと同じ気持ちです。まず最初に私たちが関心を向けねばならないのは、この大きな悲劇の無数の被害者たちだからです。

 しかし、それにとどまってはならない。教皇が思い起こされたように、報告書で明らかにされた悲劇は、私たちがこの問題に対処するために、近年、実施した対策に留まらず、さらに多くのことをする、という覚悟を新たにする機会にせねばなりません。

 私は先に、「聖職者による未成年者の性的虐待の蔓延」という極めて悲しむべき現象に関する著作をフランスで出版しましたが、その中で、私たちは”嘆きの精緻化”を図る必要がある、と書いたのです。

 嘆きには段階があります。フランスの教会の場合、最初の段階は、あまりの衝撃に神経が麻痺し、悲劇的な現実を消化することさえできない、という段階です。だが、そこに留まっていてはならない。次の段階ー嘆きから行動へ、新たな決意と信念をもって歩む段階ーに移らねばなりません。これは、教皇が2018年8月に、”神の民”へあてた書簡で、聖パウロの言葉を引用して「私たちの1人が苦しむとき、私たち全員が苦しむ」のだ、とされ、示された取るべき道に沿ったものです。ここには、「連帯」と「対応」の神学がある。虐待、屈辱、さらには組織的隠ぺいのトラウマに苦しんでいる被害者たちが、自分たちの一部であること、と私たちは理解し、より断固とした前向きな方法で行動しなければなりません。

 

*悲劇は、報告書の数字にとどまらない

問:フランスの報告書は、1950年から2020年の間に少なくとも21万6000人が聖職者から性的虐待を受け、小児性愛の犯罪に関与した司祭、修道者は約3,000人に上ることを明らかにしました。あなたの経験から、この数字は驚くべきものでしょうか?

答:このような情報を提供し、調査をしているのは私たちなど、限られています。私たちはうまくやっていると思いますが、この問題に関連する教育的環境の現実や文化的環境に関する他の研究や報告も必要だと考えています。

 報告書が明らかにした数字は確かに、私たちを驚かせました、なぜなら、教皇が言われるように、性的虐待は一件だけでも私たちの手に余るからです。

 ですが、フランスの教会のこの称賛に値する取り組みを実際に報告書にまとめた専門家は、この数字が過去数十年にわたるフランスでの性的虐待の総数の3%に過ぎない、と言っています。つまり、まだ精査されず、公にされない虐待が97%もあることを意味しているのです。

 報告書の内容は、それだけでも間違いなく悲劇的なことではありますが、(注:”氷山の一角”であり)性的虐待が横行するのを止めねばならない、ということを社会全体が認識するプロセスの始まりとなることを期待します。

 

*法制度も、文書も、説教もすでにある、足りないのは理解と実行だ

問:教会として、これまでしてきたこと以上に、何ができると思いますか?

答:新しい法律を作る必要があるか、と尋ねられたら、私は「いいえ」と答えます。文書や説教も十分あります。私たちは行動に移らねばなりません。

 まず、私たちは教会共同体の再構成ー家族、若者だけでなく、神学生や司祭の育成も含めてーに向けた新たな取り組みが必要です。危険な状況を特定したり、誰かを虐待する可能性のある人々を特定したりするには、すべての情報が入手できなければなりません。繰り返しますが、この分野では「養成」が不可欠です。

 次に、虐待の報告を受けた時に、明確な対応をする決意が必要です。まず、誠意を持って行われた被害の訴えを、決して隠蔽しない、と私たちは肝に銘じねばなりません。そして、確実にその訴えを、すでに整えられている法制度に従って、フォローアップ(調査し、その結果を基にした措置を取る)する必要があります。教会の司牧者たちの果たすべき責任について、教皇が希望された新しい教会法の定めがあります。2016年に教皇が出された自発教令「Come una madre amorevole」もあります。

 さらに、2019年に教皇が出された自発教令「Vos estis lux mundi」。被害者の立場で考え、支援を提供する必要性について説いておられるだけでなく、虐待を隠蔽しようとする試みーomertà(注:マフィアの世界で使われる”血の掟”)の試みー非難しておられます。私には、教会法があり、優れた内容であり、問題は、それが十分に理解され、実行されていないことだけだ、と思われます。法制度の実践が求められているのです。

 

*被害者の訴えに公正な対応、対話が必要

問:フランスの独立調査委員会の委員長は、今後、性的虐待の訴えがされた場合、公正な裁判が行われることが慣行となり、被害者に裁判の進展状況が知らされるよう期待する、と述べています。

答:私は、グレゴリアン大学の機関誌「Periodica deReCanonica」に掲載した記事で、同様のことを提案しています。また、教皇庁の未成年者保護委員会主催のセミナーへの招待状をいただきましたが、教会法上の被害者の権利、民法上の対応と教会法上の有益な慣行を提案する比較研究などを目的としています。

 教皇の自発教令「Vosestis lux mundi」は、被害者から性的虐待で訴えられた聖職者に対する捜査が開始された場合、捜査責任者はそれを行う者は被害者の代理者対して、捜査の終結と捜査結果を通知せねばならない、としています。ですから、さらなる制度的、さらなる構造的な、被害者との対話に向けた道を開く小さなしるしが、すでに見えているのです。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年10月9日