(評論)日本の司教団は「木で鼻をくくる」対応しかできないのかー性的被害に関する監査報告

 日本の古来からの慣用句に「木で鼻をくくる」というのがある。昔、鼻水を拭く際に木の端を使うことがよくあったが、木で鼻をこすると痛いため、顔が歪んで不愉快な顔になることから、「無愛想に振る舞う、冷淡にあしらう」という意味になったと言われている。12月27日に日本の司教団が発表した「2023年度日本の教区における性虐待に関する監査報告」の第一印象は、まさにこの慣用句どおりではなかろうか。

 事務的で、形式的で、そもそもこの報告をまとめたのは「未成年者と弱い立場におかれている成人の保護のためのガイドライン運用促進部門」とあるだけで、責任者もスタッフも誰だか分からない。もちろん、この報告に対する司教団のトップ、あるいは保護担当司教のコメントも皆無だ。被害者に対する思いやりも、性的被害を根絶しようとする意気込みも、誠意も全く感じられない。ただの「報告」でしかない。

 その報告内容のわずか数行にも満たない「各教区から提出された確認書」の中身は、2023年3月までに出された性被害の申し立ては2教区、3件とあり、「性虐待の申し立てのあった各教区には、監査役から提出された調査報告書に記載された所見を通知し、ガイドラインに基づいてさらなる対応をするよう求めた」とあるのみ。

 具体的にどの教区でどのような申し立てがあったのか、説明は皆無。「所見の通知」に対して当該教区はどのように対応し、加害者とされている者に対し、申立者に対してどのような措置を取ったのか、それを司教団の運用促進部門はどのような判断をしたのか、など、社会一般の常識からしても当然、明記されてしかるべき内容も全く見られない。

 また、被害申し立てに続く、各教区の性的虐待防止への対応については、日本の全15教区のうち、「教区内における性虐待防止に関する行事・研修会を実施した教区」は6 教区、司祭・修道者の研修を実施した教区」は7教区と半分にも満たない。しかも、具体的な教区名は明らかにされず、各教区に対する取り組み強化の要請もない。

 性的虐待は、ほとんどが”密室”で行われるため、第三者の証言はまず得られない。「証拠物件」も大きなショックを受けた被害者が、保存しておくことは考えられない。したがって、教会を敵に回してまで訴え出ても、適切な対応がどこまで期待できるか不安があり、まして重い財政負担をし、長期にわたって自分を人前にさらすような訴訟は、よほど勇気と犠牲をいとわない被害者でなければ不可能だ。司教団や担当者は、そのことを承知で、対応に手を抜き、バチカンから批判されない程度に、形ばかりを整えておけばいいと考えているのではないか、とさえ思いたくなる。

 

*「監査報告」は何のために、誰のためになされているのか?札幌教区の調査結果とあまりの落差

 

 当該教区も、司教団も、これで説明責任を果たした、と思っているのだろうか。そもそも、この「監査報告」は、何のために発表されたのか。はた目には、「聖職者などによる性的虐待の根絶」をうるさく言ってくるバチカンに対して、「やっています」という言い訳、もっと明確に言えば”アリバイ”作りにしか見えない。

 「カトリック・あい」では、世界の聖職者による性的虐待など教会でのハラスメント行為は、教会への信頼を失墜させるものとして深刻な問題になり続けているが、日本の教会の取り組みは、隠ぺいを容認する従来からの体質もあって緩慢。日本のカトリック教会における性的虐待を含めたハラスメント意識調査の実施は15ある教区の中で、「カトリック・あい」が確認できたのは札幌教区のみだ、と指摘してきた。

 その札幌教区のハラスメント対応デスクは、札幌教区ニュース4月号で、新たな体制づくりと今後の啓発活動のため2023年7月1日から11月30日にかけて教区の全信者を対象とした調査結果の「前編」を公表している。それによれば、「教会内で、いじめ、いやがらせ、ハラスメントがあると思うか」との問いに40.6%が「あると思う」と答え、「人格否定や差別的な言葉による叱責」「悪質な悪口や陰口」「宗教的な経験年数や知識量での叱責や避難」「奉仕の強要」「私生活・プライバシーへの過度の介入」がいずれも20%を超えている。

 さらに、「教会内で、いじめ、いやがらせ、ハラスメントがあると思う」と回答し、事前に用意された選択肢以外に「その他」として、回答者が書き込んだ具体的経験で、「セクシュアル・ハラスメント」として、司祭・聖職者から「セクハラすれすれの行為を受けた」「ハグされる感じで抱かれて嫌な気持ちになった」「子宮摘出手術を受けた信徒に、聖職者が『じゃあ、もう女じゃないんだ』と言った」、信徒からは「教会で手伝いをしている時に、尻をつかまれた」「『元気をもらいたいから』と手を握られた」「酔った勢いで個人的に連絡された」、あるいは「児童に対する性的虐待」として、「少年期から青年期にかけて、聖職者から児童性的虐待を受けた」「体を触る、服の中に手を入れるなど性的行為をされた」や、「児童虐待」として、「侍者教育は児童虐待だった」「暴力を振るわれた」との回答があった。

 日本の教会の聖職者を含めた信者数は、今年8月のカトリック中央協議会発表で外国人も含めて41万8101人、うち札幌教区は1万4331人で、4%にも満たない。その教区でこのような現状であれば、全日本の教区で年間の被害申し立てが2教区、3件といういことは、”安心”していい数字とは思われない。

 

*教区、修道会への訴えもまともな対応なく、裁判に持ち込んでも…

 

 実際、被害者が加害者が関係する教区や修道会に訴えても、何ら適切な対応がなされず、「教会を敵に回してしまうかもしれない」という悲痛な思いのなかで正義を求め、多額の弁護士費用にも甘んじて、裁判に進む例が、「カトリック・あい」で確認しただけで4件ある。

 うち、長崎教区と仙台教区の裁判は、担当判事の指導で和解となったが、教区側は和解金は払ったものの、被害者への精神的ケア、教会に温かく迎える措置もとったとは聞かない。教区として、新たに再発防止の具体的措置を取っているとも聞かない。それどろこか、仙台教区のケースでは、教区側から酷い対応を受けたうえ、和解後にも教会関係者から被害者への心無い言葉が出るなど、二次被害、三次被害に遭い、被害者は「教会に行くのは怖い。一人では行けない」といまだに聖堂に足を踏み入れないでいる、という。

 東京地方裁判所では、2025年1月29日に、司祭から告解を利用した性的虐待を繰り返し受けた女性信徒が、その司祭が所属していた修道会、神言会を訴えた裁判の7回目の審理が予定されているが、原告被害者側は弁護士1人なのに対して、修道会側は加害者とされている人物の代理人も含めて3人の弁護士を立て、飽くまで知らむ存ぜぬ、さらには原告の主張は嘘、そして、加害者とされ、すでに実名が公表されている人物の実名を出さないように、との主張をしている。原告女性は、苦しみを抑えて毎回出廷しているが、被告側は代理人弁護士のみ、当の神言会からは誰も出廷していない。

 また前述の札幌教区でも、帯広教会の主任司祭をしていたパリ外国宣教会の司祭が、外国人男性を繰り返し性的虐待したとして被害者が訴えているが、修道会司祭ということで、教区は、パリの修道会本部などへ問題を指摘しただけで、パリの本部の対応待ち、という状態だという。

 神言会のケースも修道会だから、ということで教区は無反応のように見えるが、司教協議会の会長で東京大司教の菊地枢機卿も、新潟教区の成井司教も神言会のメンバーだ。一般社会的常識からすれば、被害者をこれ以上苦しめないような対応を働きかけて然るべきと思うが、そうした常識は通じないのだろうか。

 

 

*札幌教区のハラスメント調査で明らかになった性的虐待被害者の悲痛な訴え、東京など他教区は調査もしない

 

 前述の札幌教区のハラスメント調査結果では、ハラスメントの中で最もひどい『性的虐待』についての経験も寄せられ、『私(男性)は少年期から青年初期のころ、ある司祭から性的虐待を受けた。自分の中に封印して生きてきたが、辛く耐えられなくなり、限られた何人かに打ち明けた…多くの被害者は教会から離れていると思われるが、教会が本当に被害者に真摯に向き合おうとするなら、被害者の声を聴く努力をしてほしい』『教会で…男性信者からいきなりお尻をつかまれた。男性信者がいきなり女性信者に覆いかぶさるのを見たこともある… 教会が祈りの場であり、神聖なところであることを忘れないでほしい』との訴えもある」と指摘。

 さらに、「二次被害、宗教ハラスメント」について、「傷つく思いをし相手に伝えると、否定される。周りに相談しても否定される。『あなたの思い過ごし、あなたの考えが間違っている、相手を非難している』・・といわれる。奉仕を強要され、断ると、『傲慢』『自信過剰』と非難され、聞き入れてもらえない…信者をやめることができない、という思いに苦しめられる」という悲痛な声もあり、「司祭は、なんでもご注進、ご注進と報告する信徒や役員の告げ口を信じ、自分の目でしっかり見ずに一方的に言葉を発し、対応するのは、すごく危険。司祭や信徒の言葉で教会から離れてしまった方がいるのは事実。心にとめておいてほしい」との批判を込めた、司祭への要望も出されている、と述べている。

 どうして、日本で最大の信徒を抱える東京教区はじめ他の教区は、このような信徒の率直な声を積極的に聴こうとせず、そこから適切な対応を識別し、実行しようとないのか。不思議でならない。日本全体での取り組みができない、というなら、司教協議会の機能を抜本的に高めるよう、必要ならバチカンの担当部署とも協議して改めていくべきではないのか。そうした問題意識も、能力もないのか。

*「教会は、有毒で伝染性のある新たな形の無関心”を身に着けてしまった」

 世界的な有力カトリック・メディアLaCroixは11月の評論で、世界中で収まることのない聖職者による信徒などへの性的虐待、それがもたらす教会への信認低下が続いている現状を述べたうえで、「この長くて多様なリストは、不完全であるがゆえに衝撃的であり、2024年も、ここ数年の状況と特に変わらない。私たちは、ほぼ毎日のように虐待危機に関するニュースを少量ずつ目にしているため、ある種の”危険な免疫”と、”有毒で伝染性のある新たな形の無関心”を身に付けてしまった」と慨嘆。「虐待の根深い問題や広がりを理解し、把握するには、まだ多くのことがなされねばならない。制度としての教会にも、まだ多くのことがなされる必要がある」と訴えている。

*教皇は「正義、癒し、和解に対する教会の関心の表れとして、苦しみを抱えた人々に慰めと援助を提供」を促しているが

 

 教皇フランシスコは11月、バチカン未成年者・弱者保護委員会主催の「欧州のカトリック教会における保護」をテーマにした会合に集まった約25カ国100人の司教、司祭、一般信徒からなる代表たちにメッセージを送られ、虐待被害者保護の効果的で持続可能なプログラムを提供するため、情報を共有し、互いに支え合うことを目的とした 「人々と優れた実践 のネットワークの構築」へ期待を表明され、「正義、癒し、和解に対する教会の関心の表れとして、苦しみを抱えた人々に慰めと援助を提供」する促進策を生み出すよう促された。

 日本の司教団は、このような教皇の声さえも、聴く耳を持たないのだろうか。あるいは、持とうとしないのか。

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

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2024年12月28日