(評論)教皇、東ティモール訪問―司教などの未成年性的虐待スキャンダルに沈黙続ける教会、信者たちにどう対応(LaCroix)

(2024.9.9 La Croix (with AFP)

 東南アジア・オセアニア4か国歴訪中の教皇フランシスコは9日、3番目の訪問国、東ティモールに到着した。カトリック教徒の多いこの国で、教会内の未成年性的虐待スキャンダル依然として強い”沈黙”が敷かれている。聖職者による性的虐待問題が世界的に教会への信頼低下の大きな原因となり続けている中で、教皇はこの国の教会が抱える問題にどのように対応するのだろうか。

 東ティモールのこの痛ましいスキャンダルの中心にあるのは、独立闘争の英雄であるカルロス・ベロ司教をめぐるものだ。同司教は、約20年間にわたって未成年の少年を性的に虐待したとして告発され、2020年にバチカンから秘密裏に制裁を受けた。ベロ司教は、ポルトガルによる4世紀以上の植民地支配とインドネシアによる25年間の占領を経て2002年に独立したこの国で、人権擁護の中心的役割を果たしたとして、1996年にノーベル平和賞を受賞している。

 だが、2022年、オランダの週刊誌による衝撃的な調査で、裏付けとなる関係者の証言をもとに、1980年代から1990年代にかけて10代の若者を虐待し、性的暴行をし、金を払って彼らを沈黙させた、と告発され、バチカンは2年前に司教に課した制裁を公表せざるを得なくなった。LaCroixは、2023年に現地調査を実施し、この新興民主主義国で性的虐待の被害者を取り巻く沈黙を破ることの難しさを明らかにした。

 現在76歳で東ティモールの人々から尊敬されているベロ司教は、健康上の理由で2002年に職務を辞し、現在はポルトガルに住んでいる。強い非難を受けているにもかかわらず、彼は依然として、この国の130万人の住民(98%がカトリック教徒)の間で幅広い支持を得ている。東ティモール全国青年評議会のマリア・ダディ会長はAFP通信に「私たちは彼を失ったように感じています。彼がいなくて寂しい… 彼は東ティモールの戦いに本当に貢献しました」と語る。

 別のケースでは、アメリカ人司祭のリチャード・ダシュバッハが2021年に孤児や恵まれない少女たちを性的に虐待した罪で有罪判決を受け、聖職を剥奪された。だが、 12年の懲役刑を宣告されているにもかかわらず、彼は社会の上層部から支援を受け続けている。2023年、シャナナ・グスマン首相はダシュバッハ刑務所を訪れ、誕生日を祝いケーキを一緒に食べたことで物議を醸した。

 教皇の今回の東ティモールでの公式日程には被害者との面会は含まれておらず、バチカンもこの件についてコメントしていない。だが、2013年の選出以来、聖職者による性的虐待と高位聖職者などによる修文の隠ぺいに対して「ゼロ・トレランス」を誓ってきた教皇は、同国滞在中のスピーチの1つでこの問題に言及する可能性があり、それはこの問題に対する厳しい姿勢を確認するもの、と見なされるだろう。個人的に被害者と面会するかもしれない。

 こうした国内の反応に対して、他の国の被害者団体は厳しい見方をしている。北アイルランドを拠点とするドロモア・サバイバーズ・グループの創設者トニー・グリベン氏は、AFPの取材に「教皇は、東ティモールの信者たちに対して、教会関係者による性的虐待を認めねばならない」、 「東ティモールでベロ司教や他の聖職者から虐待を受けた人々は、問題のある聖職者への教会の継続的な対応の失敗について教皇が公式声明を出すことを期待している」と述べた。

 ただし、グリベン氏は、教皇の面会は被害者にとって「限られた価値」しかなく、2018年のアイルランド訪問時にフランシスコが行った謝罪と似ている、とも指摘する。「あのイベントは教会にとって巧妙に練られた広報活動でした。そして、その後も、アイルランドのカトリック教会では物事はいつも通り続いているのです」と批判している。

 聖職者虐待がもたらしている教会の危機を記録している米国の団体「ビショップ・アカウンタビリティ」は、影響力のある枢機卿に対して、「見捨てられた東ティモールの被害者のために」教皇に介入するよう求める手紙を書いたことを明らかにした。だが、多くの地元住民にとって、この問題は中心的な問題ではない。教皇にベロ司教が会うために、帰国することを許可されることを願う人さえいた。

 「国民として、私たちはベロ司教の不在を非常に残念に思います」と、58歳の学者フランシスコ・アマラル・ダ・シルバ氏は語った。「政府とカトリック教会は彼を招待すべきです」。しかし、首都ディリの住民の中には、彼の名前がこの非常に待ち望まれている訪問と結び付けられるかもしれない、という考えに、明らかに不快感を抱く者もいる。

 今月初め、教皇フランシスコを歓迎する看板の下の壁に描かれたベロ司教の肖像が、数日後に消し去られたのだ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2024年9月10日