(2022.8.2 テレビ長崎)
カトリック長崎大司教区の複数の神父からパワハラを受け、精神的被害を受けたとして、元職員が慰謝料などを求めている裁判が長崎地裁で始まり、 被告の長崎大司教区は事実関係について全面的に争う姿勢を示しました。
訴えを起こしたのは、長崎大司教区で起きた性暴力や人権侵害の相談業務を行っていた長崎県内在住の元職員。 訴状によりますと、元職員は2017年から2020年までに長崎大司教区の複数の神父から業務を批判されたり、辞めさせると怒鳴られ、パワハラ行為によりPTSD ( 心的外傷後ストレス障害)を発症。カトリック長崎大司教区が安全配慮義務を怠ったとして、慰謝料など約5384万円の支払いを求めています。
2日、長崎地裁で行われた第一回口頭弁論で、被告側は全面的に争う姿勢を示しました。 原告側の中鋪美香・弁護士「原告が主張している事実について、ほぼ全面的に否認している状態」とする一方、 被告である長崎大司教区の代理人弁護士は「裁判中なのでコメントは差し控える。これまで通り誠実に対応する」と語っている。次回は10月4日に行われる予定です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
*(カトリック・あい)なお、長崎大司教区がこのほど発表した2021年度決算報告によると、経常支出の部の「諸委員会活動費」にある「子供と女性の人権相談室」の決算額はゼロ、となっている。この決算で見る限り、長崎大司教区では、同室の活動が停止していることになる。
聖職者による未成年など信徒への性的虐待が世界の教会で深刻な問題となり、教皇フランシスコが被害者への救済、発生予防に徹底した対策を世界の全教区に求め、その一環として日本の教会も全教区に窓口である「子供と女性の人権相談室」を設けている。
長崎大司教区は、先日、長崎地方裁判所での性的虐待裁判で賠償金支払い命じる判決を受け、さらに、今回、長崎大司教区で起きた性暴力や人権侵害の相談業務を行っていた元職員を原告とする裁判が始まった。そうした長崎大司教区での「子供と女性の人権相談室」の”支出ゼロ”は、何を物語るのだろうか。
(2022.4.28 カトリック・あい)
教区司祭の女性信者へのわいせつ行為に関連して、長崎地方裁判所から被害女性に対する損害賠償を命じる判決を受けたばかりのカトリック長崎教区が、今度は、この被害女性のケアや教区の2億5000万円にのぼる巨額損失発生問題などの対応に当たっていた同教区事務局の元職員から26日、「複数の司祭からパワハラを受け、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症した」として損害賠償を求める訴えを起こされた。長崎新聞など新聞、テレビ各社が27日までに報じた。
長崎教区は、今回の損害賠償を求める提訴について、報道各社の「訴状が届いていないのでコメントできない」と答えているというが、間違っても”不都合な真実”から目を背け、”嵐”が去るまでだんまりを決めるような無責任な態度は許されまい。
相次ぐ裁判がらみの不祥事に、2月の長崎地裁判決の翌日に着座したばかりの中村倫明・大司教が、どのように原告たちに誠実な対応を示し、大きく低下した信頼の回復に取り組むか注目される。
報道によると、原告の代理人弁護士が26日の提訴後に会見し、原告について、この長崎教区事務局の元職員は、司祭などによる性的虐待や人権侵害などの信徒たちからの相談業務を担当していたが、複数の司祭からパワハラを繰り返し受け、PTSDを発症。2020年6月から休職を余儀なくされ、今年3月に退職したが、現在も就労可能な程度まで回復していない、という。
原告は、弁護士を通じて、「宗教内部の特殊性を背景に、言葉にできないくらいの苦しみがあった。同じ痛みを抱えている人がいると思う。こういう立場になって初めて、被害者がいつもどれだけの思いで相談に来ていたか痛感した。一人でも多くの方々が被害者の方々と歩んでくだされば」と語っている。
また弁護士は会見で、「宗教団体は信徒に対して聖職者に優位性があり、圧倒的な権威を持つ聖職者に盾つくことは難しい」「加害者、被害者双方の当事者がいる組織内で相談業務を担うこと自体が困難で、大司教区は担当者に精神的な圧力がかからないように配慮する義務があった」と説明している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
原告が長崎教区事務局で担当していたのは、司祭などによる性的虐待や人権侵害問題などで、先に長崎地裁が損害賠償を命じる判決を下した裁判の原告女性のケアなどもしていたが、関係者によると、原告がPTSDを発症した主な原因となっているのは、やはり原告が担当させられていた教区会計担当者による2億5000万円に上る教区資金の無断流用、巨額損失発生事件に関係しているようだ。
2019年2月に長崎教区の司祭の多くが参加した会合で、原告は、この無断流用問題の経緯を説明させられが、参加した司祭などから、「自分の思い通りになると思うなよ」「一信者のくせに」と罵声を浴びせられ、ある参加者が元職員を修道者と呼び間違えると、嘲笑さえ起き、精神的に追い込まれ、PTSDを発症した。しかも、こうした対応を問題とする関係者の指摘にも、教区側は聴く耳を持たず、さらにこの会合の議事録として配布された文書には、原告を誹謗中傷するような事実無根の言葉が記載され、心の傷を深めた、という。
今回の提訴と、2月に損害賠償を命じる判決が出た原告のケースに共通するのは、教皇フランシスコが繰り返し、司教や司祭たちに強調されている、弱い人たちの側に立ち、寄り添う心の欠落ではなかろうか。そして教皇が最も嫌われる”聖職者主義”から未だに脱することが出来ずにいる、少なくない司教、司祭の実態ではないだろうか。どこの信徒が好き好んで、自分の属する教会を訴えるだろうか。
訴えるだけでも、大変な勇気と犠牲が伴うし、長期にわたる公判に加わる心理的苦痛は想像を絶する。彼らをそのような事態に追い込む前に、教区司教も、関係司祭も、なぜ、彼らの訴えに真摯に耳を傾け、心から謝罪し、心身のケアに努めようとしなかったのか。
長崎地裁の2月22日の、長崎教区に原告女性に対し損害賠償の支払いを命じる判決が出た後、すでに2か月が経過している。関係者への取材によると、長崎教区はこの判決を不服として控訴することはしない、と裁判所側に伝え、判決が確定している。
だが、当事者の長崎教区からは、この判決に関していまだに、何の発表もなく、長年この問題を追い続けてきたジャーナリストの質問にも応じる気配すらない、という。このような態度からうかがえるのは、原告への思いやりも含めて、何の反省もしていない、ということではないだろうか。これが、”迷える羊たち”の司牧者の態度だろうか。
長崎教区は、今回の損害賠償を求める提訴について、報道各社の「訴状が届いていないのでコメントできない」と答えているというが、これは、2月の長崎地裁の判決が出た時の答えと同じだ。
2月の判決に納得できないのなら、堂々と控訴して、原告の主張に反論すればいいし、判決を受け入れるのなら、公に謝罪し、賠償を行なうだけでなく、長崎教区の信徒としての”復権”を含む心身のケアに努めるべきだろう。今回の提訴についても、教区側が誠実に対応し、過ちを認め、教区事務局への復職、精神的ケアを含め、女性を教会に改めて迎え入れるなどに努めれば、女性に判決までの苦しく長い道のりを歩ませずに済む可能性も生まれるはずだ。
一連の長崎教区の対応は、同教区だけでなく、日本の教会の信頼を大きく傷つけている。真面目に教会を思い、信徒として日々を送っている人の間にも、司教、司祭の振る舞いに疑問をもち、それを見て見ぬふりをする自らの教区の聖職者たちにも批判的な目を向ける動きも出ている。もはや長崎教区だけで済む問題ではなくなっていることを、関係者は強く認識する必要があるだろう。