・「真実の訴えを、信仰の証しとして残したい」ー東京地裁で聖職者による性暴力裁判開始1年、原告被害者が悲痛な訴えー第7回口頭弁論は1月29日、支援集会も

 (2025.1.18 カトリック・あい)

 カトリック信者の女性が、外国人司祭からの性被害を訴えたにもかかわらず適切な対応をとらなかったとして、司祭が所属していたカトリック修道会、神言会(日本管区の本部・名古屋市)を相手取り、損害賠償を求めている裁判の第7回口頭弁論が1月29日午後1時30分から東京地裁第615法廷で開かれる。この裁判が始まったのは昨年1月23日で、今回で一年余となる。

 29日には裁判後、午後2時50分ごろから、原告代理人の秋田弁護士の青山外苑法律事務所(渋谷区神宮前5‐44‐6、電話03-5466-2425, 地下鉄「表参道駅」から徒歩約10分)で、裁判の経過説明と被害者支援集会が予定されているが、裁判開始から一年余となる機会に、原告の田中時枝さんから、支援者あての、現在の思いをつづったメッセージが送られたので、以下に掲載させていただく。

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 +主の平和

 支援者の皆さま

 早いもので裁判が始まってから、すでに1年が経過いたしました。6回の裁判には、傍聴や支援集会へのご参加をいただき、本当にありがとうございます。

 性暴力の裁判は、生皮を剝がされるようなつらい体験です。それでも、人の尊厳を大切に考え、公私ともに誠実に生きておられる方々のお力添えがあることで、何とか乗り越えて来られたのだ、と感謝しております。

 人は予期しない形で、極度のストレスフルな出来事、例えば強姦などの激しい暴力を受けて、長期間、その記憶に怯える状態となり、人生の安定感が失われ、「世界は危険に満ちている」と感じる(前田正治他著『トラウマ臨床と心理教育』=誠信書房刊=より「PTSDの伝え方」)ようになります。

 これは、私に起きたことを的確に表現する専門医の言葉ですが、誰にでも起こり得ることです。実際、米国疾病センター(CDC)による30年にわたる統計調査で、女性の2~3割、男系の1割が性暴力を経験していることが明らかになっています。

 私のように幼少期に性暴力にさらされた者は、「自己愛毀損」(自己愛欲求に伴う不安や他者からの傷つきなどに対して心理的安定を保つ力が損なわれること)の状態にあります。性加害を行う聖職者は、このことをよく知っていて、欺きに利用したのだと、私には分かります。聖職者に「愛」という言葉を「性暴力」にすり替えられると、たやすく長期間の「奴隷状態」に晒されてしまうのです。このようなことから絶望させられた私にとって、混乱とフラッシュバックは生涯続く、と思われます。

 私のこのような苦しみは、すでに12年も続いています。

 「『天におられる私たちの父よ』は、幼児のように親しみを込めて”父ちゃん”と呼ぶこと」と教えられました。それで、心の中で、32年前に亡くなった父に話しかけてみます―「父ちゃん、私は父ちゃんが『死にたくないなあ、誰か代わってくれないかな』と言っていた年齢を越しました。今、私は、死ぬより辛い時間を生きています」と… 涙がとめどなく、あふれてきます。

 私は、父をはじめ、すでに亡くなられた、多くの信頼関係にあった方々に向けて、手紙を書き溜めています。これは、過酷な状況にあっても、本来の信仰のあり方を、それを分かる方々と共に伝えようとしたことを、天国で再会する方々に報告するためです。今も苦しんでおられる多くの方々に対しても、真実の大切さを伝えることも、目的としています。

 「”偉い人”は、何をしても許されるのだ。自分は、そういう国に生きているのだ」と、私は、性被害の当事者として知りました。残念ですが、今、自分がいかに無知であったかも理解しています。

 ”デジタル性暴力”が蔓延する日本の現状を知ったのは、私が、偶然にも国際人権NGOの「Human Rights Now(ヒューマンライツ・ナウ)」に参加しているからです。学ばなければ、自分に何が起きたのか、何に怯えているのかさえも、分かりませんでした。

 聖職者による性暴力で失った、人としての尊厳、人権、信頼感、そして膨大な時間など、取り返しのつかない甚大な被害を受けたことを認めるのは、本当につらい作業です。しかし、見たくない現実を直視することでしか、問題は解決しません。

 聖職者による性暴力は、人を”ガス室”に閉じ込め、生きたまま命を奪う、最も残忍な行為です。絶望のガス室の壁に刻まれた聖家族の姿のように、私も、真実の訴えを、信仰の証しとして、最後に残したいと強く思います。

 田中時枝

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*これまでの経過=「カトリック・あい」

 11月27日の前回、第6回口頭弁論では、被告・神言会の補助参加人となっている加害者とされる男の代理人が新たに「本訴訟において、(補助参加人)は自分の氏名が公表されないよう望んでおり、訴訟記録の閲覧を制限してもらいたい」と申し立てた。性犯罪の被害者が実名で、加害者とされる人物が匿名を求める裁判は、日本ではこれまであまり例がない。しかも、すでに実名が第三者にも明らかにされ、報道もされているにもかかわらず、公判の途中でこのような申し立てをするという、被告側の不誠実を上塗りするような行為の意図を、原告側も測りかねている状態だ。

 裁判は、神言会に所属し、当時、長崎大司教区内の小教区司牧を委嘱されていたチリ人神父が女性信徒に対し不同意性交を強いていたとして、被害信徒が神言会日本管区の監督責任を問い損害賠償を求める訴えを起こしたことから、2024年1月23日から始まった。

 被害者の主婦・田中時枝さんが裁判所に提出した訴状によれば、長崎・西町教会で助任司祭を務めていたB神父は2012年、「ゆるしの秘跡」を受けた田中さんの告解内容を聴くと「やり直さなければだめだ」と性交を迫り、以後約4年間にわたり被害者女性をマインドコントロール下に置いて、不同意強制性交を重ねていた。
マインドコントロールを脱した田中さんは、加害司祭を「不同意強制性交の罪」で刑事告訴したいと考え、まずその司祭を監督・指導する立場にある神言修道会の上長に事情を打ち明け相談した。修道会
側では加害者とされるB神父から事情を聴き、本人を派遣先の長崎から引き上げさせた後、母国に送還したものの、「被害者には謝罪など誠意のある対応を見せず、何の救済措置も取らなかった」という。

 これまでの審理では当初、神言修道会側は準備書面と代理人弁護士の弁明で、「(自会所属・B神父による性虐待という)そんな話は知らない(不知)… 知らなかった事案については監督しようがない」と主張していた。だが、その後、前回審理までに「B神父が不同意性交をした事実はない」と全面否定し、「原告が修道会の監督責任を問うことはできない」と否認に踏み込んだ。

 その一方で神言会は、母国送還から1年も経たないうちにB神父を日本に呼び戻したうえ、本人の司祭職をはく奪して修道会から事実上追放した。そして、第3回審理までの準備書面のやり取りを通じて、B神父(正確には『元神父』)は首都圏で、田中さん以外の女性信者と一緒に暮らしていることが、判明していた。そして第4回目の審理に、B神父が「補助参加人」となり、その代理の弁護士2名が、被告側に加わった。

 これまでの法廷では原告・被告ともに、この被告補助参加人を実名で呼んでおり、傍聴者にもその氏名は知られており、本件の取材に当たる報道機関の間にも、既に広く本名が知れ渡っている。今ごろになって「本名を知られたくない」と申し立てる理由について、代理人弁護士は説明していない。

 11月27日の第6回審理はわずか10分足らずで終わり、その後開かれた原告側の「説明会」では、出席した田中さんの支援者たちから「B神父の申し立ては『裁判公開の原則』にも反する」「身に覚えがないなら、名誉棄損で田中さんを訴えればいい。それをせずに『氏名公表を止めさせたい』と言うのには、知らぬふりをしてこのまま日本に居座りたいという意図があるのではないか」などと、批判の声が相次いだ。

 田中さんの代理人弁護士を務める秋田弁護士は「『神父が与えられた権能(本件の場合は〔ゆるしの秘跡〕)を悪用して女性信徒を性虐待していた』という被害者の訴えを受けながら、ろくに事情聴取もせずにその神父を放置し続けてきた神言会、ひいては日本の教会全体の在り方を問いたい。そこに踏み込んで元を絶たねばなりません」と言明。

 さらに、「修道会上長や教区裁治権者が『神父が勝手にやったこと』という話にして、責任を回避するようなことになれば、(聖職者による性的虐待で苦しむ被害者たちの)現状は何も解決されず、抜本的な教会刷新など期待できません。それでいいのでしょうか」と、問いかけた。

 また、この説明会では、B神父が母国でも「聞き捨てならない行状を残している」という情報も複数出されている。

 

 

 

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2025年1月18日