(2025.6.2 カトリック・あい)
東京在住のカトリックの女性信徒に繰り返し性的暴行をしたとされる会員司祭(当時)が所属していた修道会の神言会日本管区に対して損害賠償を求める裁判の9回目が、6月4日午後4時から、東京地方裁判所第615号法廷で行われる。また、午後4時半からは弁護士会館502AB室で、原告の田中時枝さんと、代理人の秋田一惠弁護士による説明会・支援者集会が開かれる。いずれも、NHKの映像取材が入る予定だ。
東京地裁での神言会日本管区を相手取っての損害賠償請求訴訟の裁判が始まってすでに二年目に入っている。原告の田中さんによると、神言会司祭に性的虐待は2012年に長崎の教会で告解で幼児期に受けた性的暴行について打ち明けたのをきっかけに、4年間にわたって繰り返され、その間に写真やビデオまで撮られ、”脅し”の材料にされた。
だが、裁判では、神言会はその司祭が行った行為に対する責任を認めようとせず、前回の裁判で、被告の神言会の代理人弁護士が準備書面で、司祭の「業務執行性」を取り上げ、読書や散歩など「私生活」は「司祭の業務」から除外される(この司祭=当時=がしたとされる行為についての責任は神言会にない、という意味)と主張していることが明らかになった。
これに対して、原告側弁護士は「司祭は24時間奉仕職を務めるとされているのに、被告に都合のいい解釈をしている。理解不能」と説明を求め、裁判官が被告側の対応を問うたのに対し、被告側弁護士は「特に釈明することはありません」と説明を拒否するにとどまった。
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世界の神言会の会員司祭で最高位聖職者である二人の枢機卿のうちの一人が、カトリック東京教区の菊地功大司教だが、5月6日付けの米国のカトリック・メディアCruxで、インド在住寄稿者に「私は被害者が修道会から正当な扱いを受けていないことを残念に思っており、弱者の尊厳を侵害した司祭に怒りを感じている」と述べた。
以下、記事のまとめ方が、うまく整理されておらず、大司教の答えの内容がバラバラで分かりにくいなので、改めて整理してみると…。
「事件は2012年、私が新潟司教だった時に、長崎大司教区の教会で起きた。その司祭が名古屋教区で神言会の上長から制裁を受けた時も、私はまだ新潟にいた… 私は昨年朝日新聞でこの事件についての記事を読むまで、この事件を全く知らなかった。被害者が誰なのか、どこに住んでおられるのかも、知らなかったし、被害者からも代理人弁護士からも、私に何らかの行動を要求する連絡はなかった」とし「昨年、裁判が提起された後、私は、被害者を知る司祭を通じて支援を提供するために、被害者に会うことを提案したが、被害者に拒否された」と、あたかも被害者側に落ち度があるとも受け取られるような発言。一般論として、「東京大司教区は虐待事件を扱う委員会を設置しており、虐待の申し立てを受けた場合は、必ず委員会に報告する義務がある 」とも述べている。
だが、この裁判の案件については、「神言会に対する裁判は、ローマにある本部に関わるものであり、新潟司教としても東京大司教としても、私には管轄権がない… 外部の人から見れば、教会は一つであるべきで、大司教は教会員全員に対して全能の権力を持つべき存在だろうが、残念ながら、実態はそうではない」と語っている。「管轄権がない」として責任を放棄し、被害者に会って話を聴いてどうするのか、委員会にかける意味があるのか。いったい、大司教として何ができるのか。説得力を欠く。
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