・女性信徒を性的虐待した聖職者が当時所属した神言会の責任を問う裁判第8回ー「読書や散歩など『私生活』は司祭の『業務執行』に含まれず」と被告側が“珍説”

(2025.3.19  カトリック・あい)

 東京在住のカトリックの女性信徒に繰り返し性的暴行をしたとされる会員司祭(当時)が所属していた神言会日本管区に対して損害賠償を求める裁判は2年目に入り、19日午後3時半から東京地裁第615法廷で8回目が開かれた。傍聴には原告の被害女性の支援者など司祭、修道女を含む40人近くが参加、NHKは初めて法廷から支援者集会にいたるカメラ取材を行うなど、関心に広がりを見せた。

 裁判では、被告の神言会の代理人弁護士から出された準備書面で、初めて司祭の「業務執行性」が取り上げられ、司祭としての「業務」は一日24時間制限なくなされるものだが、読書や散歩など「私生活」は除外される(したがって、この司祭=当時=の言われている行為についての責任は神言会にない、と言う意味=「カトリック・あい」)と主張していることが明らかになった。

 これに対して、原告側弁護士は「司祭は24時間奉仕職を務めるとされているのに、被告に都合のいい解釈をしている。理解不能」と説明を求め、裁判官が被告側の対応を問うたのに対し、被告側弁護士は「特に釈明することはありません」と説明を拒否するにとどまった。

 裁判後に説明会・支援者集会に出席した原告側の秋田一惠弁護士は、「修道会がこのようなルール違反*をやっていいものでしょうか。そこまでして、責任を回避したいのでしょうか。神言会の日本の事実上のトップである菊地功・枢機卿にお聞きしてみたい」と訴えた。

 *「カトリック・あい」注=教会法では、「誓約を行う修道者は、公的な誓願をもって従順、貞潔、清貧の三つの福音的勧告を守る義務を引き受ける。そして教会の奉仕職を通して自らを神に奉献し、普遍法と固有法の定める義務および権利を持って修道会に合体される」(サバレーゼ著・田中昇訳=フリー・プレス刊=129ページ)とある。

 裁判が始まって2年目に入った今も、被告側はなお、原告側の訴えに正面から向き合うことなく、責任回避の発言を繰り返していることに対して、批判する声が関係者の間からも強まっており、原告側も,6月4日の次回、7月23日の次々回の裁判で論点を具体的、明確にしたうえ、原告、被告の証人尋問につないでいく意向を示している。また、「被告側からは、反省の『は』の字も聞かれない。今の段階で、(他の性的虐待裁判のように)和解で決着する可能性は全くない」という。

 19日の裁判後に開かれた説明会・支援者集会では、被告の神言会と性的虐待を働いたとされる会員司祭=当時=が謝罪の意向を示さないことに疑問や批判、原告被害者の田中時枝さんを激励する声がが多く出され、イエズス会のフランス・ベルギー管区長がこのほど、性的虐待被害者の会に出席して、自らの会の会員司祭が起こした性的虐待に公に謝罪したことが「カトリック・あい」で報道されたことを取り上げ、「神言会も、このように率直に性的虐待の行為を認め、謝罪するべきではないのか」と神言会に猛省を促す意見も出た。

 日本のカトリック司教団は、3月の日本のカトリック教会の「祈りの意向」を「性虐待被害者のために」とし、21日を「性被害者のための祈りと償いの日」と定めているにもかかわらず、教区レベルでも、小教区レベルでも司祭、信徒たちにほとんど共有されていない。司教団の公式サイトであるカトリック中央協議会ホームページを見ても、司教協議会会長の菊地枢機卿(東京大司教・神言会所属)が2月1日付けで出したメッセージと、3月21日用の「リーフレット」のお知らせだけだ。日本国内で、確認されただけで数人に上る聖職者による性的虐待被害者への具体的な謝罪も、行動もなく、この裁判に対しても”無言”のままだ。

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2025年3月19日