☩教皇、マドリード3日目:「あらゆる教会の刷新は、キリストに倣う心から生まれる」ースペインの司教たちに

Pope Leo meets with the Bishops of SpainPope Leo meets with the Bishops of Spain  (@Vatican Media)
(2026.6.8   Deborah Castellano Lubov) 

  スペイン訪問中の教皇レオ14世は8日午前、マドリードの司教協議会事務所で、司教団と面談。

 「教会の力は、その資源の多さから来るのではなく、その子らの聖性、司牧者たちの交わり、そして御霊に導かれることを受け入れる人々の謙虚で忍耐強い忠実さから来る」と述べ、「キリストを愛し、祈りに根ざした『素朴な司祭たち』にとって、父のような存在となるように」と促された。

 司教たちへの挨拶で、教皇は、多くの困難を抱えた彼らの信仰と献身を励まされ、「あなた方の使命は、一致を守り、対話を育み、分裂を癒やし、あなた方の世話に委ねられた人々の歩みを伴走することにあります」と説かれた。

*主と私たちの深遠な絆が、「多様性における一致を証しすること」と教会に求めている

 そして、「私たちを導くのは主であり、主こそが歴史の主であり、私たち一人ひとりの物語の主」であることを、司教たちに想起させ、「主こそが、”リズム”を決められる方。私たちは主の後を歩みます。いや、一つの体の成員として、主と共に歩むのです」と語られ、「この深遠な絆こそが、『二極化と分裂が深まるこの時代に、多様性の中での一致の証しを示すこと』を教会に求めているのです」と強調。

 スペインの教会に対し、「賜物、カリスマ、感性の豊かさを包み込むことのできる交わりを育むように。この任務において司教の務めが特に重要な意味を持ちます」と念を押された。

*司教たちは、一致を促進し、信徒たちと共に歩み、宣教の活力に貢献するように

 「私たちは、交わりの目に見えるしるしとなるよう召されています。何よりもまず、キリストとの交わりのしるしとして、神の御言葉と教会の生きた伝統に従順であり、受け継いだ信仰を愛をもって守り抜くのです」と司教たちを励まされ、「これには、ペトロの後継者や普遍教会、そして、司祭団や教区共同体そのもの、奉献生活、運動団体、協会、そして共通の善のために聖霊が授けるあらゆる真のカリスマとの交わりを、目に見える形で生きることを必要とします」と説かれた。

 そして教皇は司教たちに対して、「一致を促進し、信徒たちと共に歩み、宣教の活力に貢献するように。内的に平和な教会は、他のキリスト教派や他宗教の兄弟姉妹、信者でない人々、市民当局、そして共通の善のために働くすべての善意の人々に対して、より自由に語りかけることができます。そして、若者、神学生、移民に寄り添うように」と強く促された。

*司教たちの司牧活動を聖母に委ねる

 教皇はさらに、聖ヨハネ・パウロ二世がスペインを「マリアの地」と呼んだことを想起され、聖母マリアを「交わりと希望の母」と呼び、「あなたがた司教たちにとって、マリアは『旅路における最初の伴侶であり、最大の宝』」とされた。

 そして、「マリアは、信者たちに、御言葉をどのように受け入れ、心に留め、弟子たちの歩みを伴走し、教会の旅路の全過程において常に共にいるべきかを示してくださる。そして、私はマリアに、あなたがたの司牧を委ねます。そうすれば、彼女が、あなたがたの世話に委ねられた人々のただ中で、あなたがたを助けてくださるでしょう」と述べられた。

*すべての司教は、司祭たちを守り、育むよう召されている

 また教皇は、今年がスペインの聖職者の守護聖人である「アビラの聖ヨハネ」の司祭叙階500周年にあたることを取り上げ、彼について、聖パウロ6世が「霊的生活の慈愛に満ちた賢明な教師であり、教会生活とキリスト教の慣習の模範的な刷新者」であると同時に「質素な司祭」であると評したことを指摘。

 「この聖なる教会の博士において、教会は、すべての司教が自らの司祭団の中で守り、育むよう召されている司祭の生活を認めています。この文脈において、この旅路における司教たちの最も身近な伴走者こそが、まさに『単純な司祭』―この言葉の最も高貴かつ厳しい意味において―であり、彼らは『キリストを愛し、祈りに根ざし、教会に忠実で、民衆に近く、健全な教義、使徒的熱意、そして司牧的愛を結びつけることができる者たち』です」と強調された。

*司教は、司祭たちと共に歩む父でなければならない

 挨拶の最後に教皇は、司教たち、司祭たちに、「司祭たちは司教の中に、単に『認められた権威者』ではなく、『共に歩む父』を見出し、同僚の司祭たちの中に『出会いに満ちた巡礼の道の、苦難と喜びを分かち合う兄弟』を見出すべきです」と促された。

 また、信徒たちに対しては、「『あらゆる教会の刷新は、キリストに倣う心から生まれる』と説いた聖人の祈りで締めくくりたいと思います。『主よ、もしあなたが私に対し、あなたがなさったことを行えと命じられるなら、あなたの心をお与えください』」。

 そして、「私たちも同様に、『主よ、あなたの心を私たちに与えてください。あなたへと視線を上げ、旅立ち、耳を傾け、見極め、仕え、愛をもって正し、忍耐をもって寄り添い、喜びをもって宣べ伝えることのできる心を』と祈ります。キリストの心を受け入れる教会は、自身を導き、支え、守り、慰める火の柱を携えている。それはあらゆる試練に立ち向かうために必要な糧でです」と述べて説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年6月8日

☩教皇、マドリード3日目:スペイン議会で講話「公正な社会は、あらゆる人間の命、平和、自由を守る」

Pope Leo XIV address the Parliament of Spain in Madrid(写真右:Pope Leo XIV address the Parliament of Spain in Madrid =@Vatican Media)
(2026.6.8  Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

   スペイン訪問中の教皇レオ14世は8日午前、歴代教皇として初めて、マドリードのスペイン議会下院で国会議員たちに講話され、「真に民主的な社会は、思想、良心、宗教の自由を促進しなければならない」「家族を支えることが国家を強固にする」「生命は受胎から自然死に至るまで保護されなければならない」、そして「戦争と再軍備は、社会にとっての失敗だ」と強調された。

*人間の不可侵の尊厳は、『使い捨て文化』によって脅かされかねない

 講話で教皇は、「思想、良心、宗教の自由は、あらゆる真に民主的な社会にとって決定的な問題です」とされた。講話の核心は、「あらゆる真に公正な社会は、人間の不可侵の尊厳の認識に基づいていなければならない」という点にあった。

 そして、「そのような尊厳は国家によるいかなる譲歩よりも先立つものであり、変化する社会的合意や一時的な多数派の気まぐれに従属させることはできないこと」を再確認され、この前提に基づき、社会的共存を法的に組織するという重大な責任を負う人々に対し、「冷静、かつ断固とした言葉を投げかけたい。教皇フランシスコが繰り返し指摘されたように、そうした共存は『使い捨て文化』によって脅かされかねません」と警告された。

*受胎から自然の死に至るまで、生命は守らねばならない

 さらに教皇は、「もしも、生命が根本的な価値として認められなくなり、社会が、まだ生まれていない子供、高齢者、病人、沈黙の中で苦しむ人々、あるいは他者の介護に完全に依存している人々を影に追いやるなら、私たちの社会にどのような未来があるでしょうか」と議員たちに問いかけ、「人間の生命の擁護は、私的な利益の問題でも、特定の信仰上の関心事でもなく、文明の目標です。あらゆる人間の命は、その存在のあらゆる状況において、受胎から自然の死に至るまで認識され、守られなければなりません」と強調。

 「この確信が曇ると、最も弱い立場にある人々が最初の犠牲者となり、法はその最も深い意味、すなわちすべての人々に奉仕し保護するという意味を失います」と警告された。

Pope Leo XIV addressing Parliament

(写真左:スペイン議会下院で講話される教皇=@Vatican Media)

*国家の道徳的偉大さは、脆弱な命に寄り添い、保護し、慈しむ能力に現れる

 また教皇は、「国家の道徳的偉大さは、より大きな脆弱性を抱える命に寄り添い、保護し、慈しむ能力に現れます」とされ、「公益が共有された地平でなくなる時、公的行動は部分的な利益へと分断され、すべての人々に属するものを守ることができなくなる危険性がある」と警告された。

 

 

*家庭は常に「人間性の最初の学校」、教育機関にも決定的な役割

 そして、「家庭が特に重要であり、それは人間社会の最初の現実であり、共同体の自然な基盤でもあります。家庭で世代が交わり、社会に内的な連続性をもたらす生きた記憶が受け継がれる。家庭が支えられているところでは、国家の精神的・社会的安定も強められる。家庭は常に『人間性の最初の学校』であり、他のいかなる場所よりも先に、共存の基礎的なルールや、生命を受け入れ、他者を思いやり、赦し、奉仕し、帰属する方法を学ぶ場です」と指摘。

 「教育機関も、この任務において決定的な役割を果たします。教育機関において、新しい世代が真理を求め愛すること、人生の意味やすべての人の尊厳について問いかけられるようになるのです」と語られた。

*移民・難民問題に、「流入の管理」に留まらない対応が求められている

 続いて教皇は、「平和、安全、そして未来を求めて、すべてを置き去りにせざるを得ない多くの人々の存在」に関心を向け、「移民・難民の悲劇的なドラマは、今日、国家の良心と国際秩序の倫理的基盤に問いかけています」とされ、また、「国籍、民族、宗教、言語的背景、あるいは経済的・社会的状況のために人が差別されるあらゆる事例」を非難し、そのような事態が生じるとき、「『すべての人間の尊厳が等しい』という普遍的原則が深刻に侵害されます」と警告。

 「移民・難民が置かれている状況に対して、人を中心に据え、彼らを故郷を離れざるを得なくさせる原因に対処し、単なる流入の管理にとどまらない対応をすることが、私たちに求められているのです」と言明された。

*社会正義による二つの要請-「安全・合法的な移住経路の提供」と「自国に留まる権利促進」

 

 そして、「社会正義に関する二つの要請が生じます。『安全かつ合法的な経路の提供、敬意を込めた受け入れ、そして真の統合の機会の創出』と『自国に留まる権利を促進』です。このために、平和や安全、尊厳ある生活条件の欠如、経済的不平等、あるいは気候危機の影響によって、誰も故郷を離れることを余儀なくされないよう取り組む必要があります」と指摘。

 「近年、ますます危険なルートが増加していることは、この現実がもたらす莫大な代償を浮き彫りにしています。その代償は、しばしば隠されたり、無視されたりしており、多くの人々が、彼らの絶望を悪用する人身売買業者や密入国斡旋業者の犠牲となっています」と述べられた。

 このため、教皇は、「特に地域的・多国間協力の枠組みの中で、予防、救助活動、および被害者への支援を強化する必要があります。いかなる国も、このような規模の課題に単独で立ち向かうことはできない。移民・難民に対して保護、受け入れ、そして真の統合の機会を保証し得る、調整された、支援的かつ効果的な対応が不可欠です」と強調された。

 

 

*世界は深遠な精神的・文化的危機に直面している

 

 教皇はまた、「世界が深遠な精神的・文化的危機に直面しており、それが暴力、分極化、相互不信といった多様な形で現れています」とされ、「こうした中で、平和は政治的願望であると同時に、それ以上に真の道徳的必要性です… 平和を実現するためには、異なる考えを持つ人々を尊重する公的な議論、出会いのために奉仕する制度、真実と和解を求める歴史的記憶、そして意見の相違があっても市民的な友情と相互尊重を維持できる社会生活が求められています』と言明。

 国際的なレベルで、平和には外交的勇気、倫理的責任、そしてあらゆる民族のアイデンティティへの尊重と、国際法が提供する平和的手段を通じて紛争を解決するという国家の義務に基づいた未来へのビジョンが必要です」と訴えられた。

*目指すべき真の安全保障は、「正義、忍耐強い対話、国際法の尊重、人々の命を優先できる政治」から生まれる

 続けて教皇は、あらゆる戦争を「交渉能力の痛ましい失敗であり、また国家間の正義の絆を認める人類共通の意識の痛ましい失敗でもある」とされ、「武器は一時的な沈黙を強いることはできても、真の永続的な平和を築くことは決してできません。欧州を含む世界各地で、国際情勢の脆弱性に対するほぼ不可避的な対応として、再び軍備増強が提示されている現状へ憂慮すべきこ事態です」と慨嘆。

 目指すべき真の安全保障は、「正義、忍耐強い対話、国際法の尊重、そして戦争から利益を得る利益よりも人々の命を優先できる政治から生まれます」と、政治家としての議員たちを激励された。

*戦争におけるAIと技術への警告

 教皇は、軍事分野における新技術や人工知能(AI)の発達についても、「生と死に関する決定が決して自動化されたシステムに委ねられたり、人間の道徳的責任から切り離されたりすることがないようにするために、厳格な倫理的監視が必要」とされ、「世界の国々、機関は、『条約の尊重、外交行動の透明性、そして武力行使よりも平和の優先』という誠実な意志に基づいた、公正かつ永続的な合意に向けた忍耐強い道として、対話の不可欠な価値を再発見するよう求められています」と訴えられた。

 

 

*「平和」は「言葉」を通じて確立され、守られ、公的責任を担う人々には言葉を守る特別な義務がある

 さらに教皇は、「平和は、単なる政治的、制度的な現実ではなく、恨み、無関心、憎しみが和解へと道を譲る良心の中に生まれる。そして、言葉を通じて確立され、守られるものでもある」とされる一方、「言葉は道を切り開くこともあれば、閉ざすこともある。現実を照らし出すこともあれば、出会いを不可能にするほど歪めることもある。公的責任を担う方々には、『言葉を無力化』するために、言葉を守る特別な義務があります」と議員たちに注意を促された。

 そして、「断固たる姿勢に軽蔑は必要なく、意見の相違は屈辱を意味するものではありません」と付け加えられ、「他者へのこの尊重から、他者の信念、良心、そして神との関係が成熟する場を保護する義務が生まれる。この内面の世界への配慮こそが、あらゆる真に民主的な社会にとって決定的な問題、すなわち思想、良心、信教の自由—個人の最も内密な領域を保護する基本的権利—をより深く理解できるようにします』と説かれた。

*本物の「自由」は、人間の宗教的側面を認め、尊重し、法的に保護する

 教皇はまた、現代国家の基盤となる「自由」について触れ、「それが真に本物であるなら、それは人間の宗教的側面を認め、尊重し、法的に保護します。そして、信仰を理由に、誰に対しても、その人が暮らす社会への貢献を放棄するよう強いることを避ける」とされ、「法的領域と道徳的領域を混同することなく、『自由』には、それ自体に対する完全な理解が必要だということを想起する価値がある。『自由だ』ということは、単に『制約なく生きること』、『多くの選択肢から選ぶことができること』を意味するのではなく、『善を認識し、責任を持ってそれに従うことができること』を意味します」と指摘。

 「したがって、真に自由な社会には、個人、共同体、団体の自由が不当に制限されないよう、公権力の適切な制限も不可欠です。そして、この観点から、世俗秩序の正当な自律性は、決して宗教的現象に対する敵意として解釈されてはならない… 信仰は、特権や強制によって自らを押し付けようとするものではない。だが、それゆえに、あたかも公的生活とは無関係であるかのように、沈黙へと追いやられることもあってはなりません」と言明された。

 

 

*教会にとって特別に重要な、告解の「秘跡の印」*は広範な宗教的自由の枠組みに属する

 この文脈において、教皇は、告解の秘跡の印が「カトリック教会にとって特別な重要性を持ち、それは信仰共同体に対し、生活、組織、内部規律の独自の領域を保障する、より広範な宗教的自由の枠組みに属するもの」とされ、「特定の職業において類例が見られるように、これを法的に保護することは、国際規範でも認められている通り、信者が外部からの圧力を恐れることなく神に心を開くことができる、内面的自由の聖域を守ることです」と指摘された。

*注*司祭(神父)が告解(懺悔・告白)の場で信者から打ち明けられた罪を、いかなる状況下でも絶対に他言してはならないという絶対的な守秘義務。

*スペインの国会議員たちに、「視線を上げ、生身の人間を思い起こそう」

 講話の最後に、教皇は議員たちに対して、「現実から距離を置くためではなく、公的機関のあらゆる決定が生身の人間に関わるものであることを思い起こすために、視線を上げるように。そして、技術的な解決策や立法改革に加え、道徳的な刷新も必要。あらゆる公的決定において、何が懸かっているのかをより深く見つめるように」求められた

 また、スペイン国民全体に対し、「皆さんのルーツを忘れることなく、未来を見据える勇気を失わず、出会いと文化、連帯、そして希望の地であり続けるように」と呼びかけ、「神が地上のすべての国々に、平和を、家族に和合を、良心に安らぎを授け、聖ヤコブの使徒的足跡とピラールの聖母の母なる御臨在に彩られたスペイン王国に、繁栄と平和と正義の日々が訪れますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年6月8日

☩マドリード二日目「分断が進む世界で、希望の絆を紡ぐ『新たな主役』となるように」ー文化、芸術、経済、スポーツ関係者との集い

(2026.6.7  Vatican News   Linda Bordoni)

   スペイン訪問中の教皇レオ14世はマドリード訪問二日目の7日夕、モビスター・アリーナで開かれたイベント、「文化、芸術、経済、スポーツの世界とのネットワークを紡ぐ」に参加。「急速な社会・技術的変化の中で人間を守る」という組織・団体と個人に共通する責任について語られ、分断が進む世界で「連帯と対話、そして希望の絆」を紡ぐ「新たな主役」となるよう呼びかけられた。

 イベントの参加者には、「信仰と芸術的表現の不変の関係」について考察した映画俳優のアントニオ・バンデラス氏、教育・科学界を代表して発言したマドリード・コンプルテンセ大学のホセ・マリア・コエジョ・デ・ポルトガル学長、「人工知能や経済変革がもたらす倫理的課題」について語った企業・労働団体の代表者たち、そしてスポーツを通じて学んだ「回復力」「謙虚さ」「連帯」という価値観を強調した著名なアスリート、テレサ・ペラレス選手とカロリナ・マリン選手がいた。Antonio Banderas addressing the Pope at the event

(写真左:教皇に語りかける映画俳優のアントニオ・バンデラス氏=@Vatican Media)

 

*私たちはどのような遺産を残しているのか?

 彼らの言葉や、著名なダンサー、サラ・バラス氏とそのカンパニーによるフラメンコ公演を聴いた後、教皇は挨拶の冒頭で、スペインの豊かな文化遺産を称賛され、都市や記念碑、大学や教会、音楽、芸術、舞踊、そして食文化など、同国の歴史の至る所に織り込まれた美しさについて語られた。

 そのうえで教皇は、「過去の世代の功績に対する称賛は、必然的にすべての人に関わる問いを提起します―『私たちは未来にどのような遺産を残しているのか、どのような共同体を築いているのか?』と」とされ、「社会が持つ革新とコミュニケーションへの並外れた能力」を認めつつも、「技術的、経済的進歩が人間そのものから切り離されてしまえば、そのより深い目的を見失う危険性があります」と注意された。

 そして、「私たちは”メディアの専門家”や”有能な生産者”としてのリスクを負っていますが、なぜ、どのような目的で、誰と共に、誰のために生産しているのかについては、不確かなままになることがあります」と指摘された。

(写真右:サラ・バラスと彼女のフラメンコ・カンパニー=@Vatican Media) Sara Baras and her flamenco company at the Weaving Networks event in Madrid

*「人間性の専門家」としての教会

 また教皇は、聖パウロ6世と第二バチカン公会議の教えをもとに、現代世界との対話に対する教会の関わりを再確認され、「決定的な問いは、今も変わらない。『真に人間であるとは、どういうことか?』です。歴史を通じて人類に寄り添ってきた教会の数世紀にわたる経験に基づき、キリスト教の信仰が、尊厳と共通善への道を提示するのは、イエス・キリストの中に人間存在の最も深い問いへの答えを見出しているからです」と強調。

 先に出された回勅Magnifica Humanitas』を引用して、「人間こそが、『教会の道』であり、真の包括的発展の中心であり続けます… そして、文化そのものが、人類が、そのアイデンティティを表現し形成する主要な手段の一つである以上、教会は、文化に対して無関心でいることはできません」と言明された。

(写真右:イベントで教皇に語りかけるカロリナ・マリンとテレサ・ペラレス=@Vatican Media)Carolina Marin and Teresa Perales address the Pope at the event

私たちは何を育んでいるのか?

 教皇は続けて、「文化(culture)」と「耕作(cultivation)」という語の語源的なつながりについて考察され、イベント参加者たちに「現代社会が、将来の世代のために、何を蒔いているのかを考えるように」と促された。

 そして、「私たちの社会で、何が繁栄し、何が静かに枯れつつあるのか?」「私たちはどのような価値観を守り、どのような価値観を死なせているのか?」-これらの問いには、「傾聴、尊重、そして出会いに基づいた、誠実かつ継続的な社会的対話が必要です」と説かれた。

 

 

*ネットワークは相互尊重のもとで集うことを必要とする『芸術』

 このイベントの中心的なテーマは、「ネットワークを織りなす」というイメージで表現された。教皇は、これを「人々や組織・団体が相互尊重のもとで集うことを必要とする『芸術』」と形容され、「そのような対話は、常に人間の尊厳を中心に据えねばなりません」とされた。

 そして、「大学は、真理を見捨てることも、労働の現実から孤立することもあってはならない。企業は、従業員を単なる経済的変数に還元してはならない。芸術は、エリートだけの専有物になってはならない。スポーツは娯楽や利益追求に還元されてはならない。技術の進歩は、高齢者や貧しい人々、そして声が届きにくい人々の声に常に耳を傾けなければならないのです」と強調。

 さらに、「コミュニケーションそのものが道徳的責任を伴う。あらゆる表現形式は語りかけ、意味を伝える。それは人を傷つけることも癒やすことも、期待を打ち砕くことも、新たな地平を開くこともできます」と注意された。

 

Pope Leo XIV addresses the public at Madrid's Movistar Arena

*創造主は愛の糸で人間を織られた

 教皇はまた、「キリスト教の視点から言えば、真の対話は、すべての人間の内在的な尊厳を認めることから始まります… 創造主は、愛の糸で人間を織られました。(そうしておられた人間の)尊厳は、制度や政府によって与えられるものではなく、生来のもの、奪うことのできないもの、それゆえに、あらゆる真の社会的関係の基礎を成すものなのです」と説かれた。

(写真右:イベント参加者たちに語りかけるレオ14世教皇=@Vatican Media)

 

*変容をもたらす美

 教皇は、美と芸術的表現の役割にも繰り返し触れられ、信仰は「詩や音楽を生み出し」、「美を生み出す」というベネディクト16世の言葉を引用し、「人々を内面から変える体験―歌、詩、教会、声、視線、あるいは友人同士で楽しむ遊びさえも―」について語られた。

 教皇は、聖週間の『サエタ』*からロペ・デ・ベガ**、アビラの聖テレサ、十字架の聖ヨハネ、カルデロン・デ・ラ・バルカ***の著作に至るまで、スペインの豊かな精神的・芸術的伝統を挙げ、「人間の存在における物質的側面と精神的側面の間の深遠な対話の証し」として示された。

 *注*聖週間にスペインで行われる。キリストの受難や聖母マリアの悲しみを悼み、群衆の中からバルコニー等に向かって捧げられる無伴奏の即興フラメンコ歌唱で、ギターなどの楽器を使わず、感情をむき出しにしてアカペラで歌われる宗教的な祈り。**セルバンテスと並び称されるスペイン黄金世紀(16〜17世紀)を代表する劇作家・詩人。***同じくスペイン黄金世紀を代表する劇作家・詩人。シェイクスピアと並ぶバロック演劇の巨匠とされ、哲学、宗教、名誉などをテーマに数多くの名作を残した。

 

*欧州はキリスト教の遺産で数多くのものが形成された

 公的生活へのキリスト教の貢献に話題を移された教皇は、信仰の霊感によって設立された数え切れないほどの学校、病院、慈善活動を挙げ、欧州そのものがキリスト教の遺産によってどれほど形作られてきたかについて、省みるよう促され、「信仰の影響がなくても、欧州は(影響があった現在と)同じ姿だった、と本気で信じられるでしょうか?」と、参加者たちに質問。聖ヨハネ・パウロ2世の言葉を引用し、「恐れるな。キリストへの扉を大きく開きなさい」と呼びかけられた。

 

*美徳や能力にもかかわらず、排除されているのは誰なのか?

 教皇はまた、貧しい人々の苦境を考察の中心に据え、「その美徳や能力にもかかわらず、排除されているのは誰なのか?」と問いかけ、「貧しい人々の状況は、社会、政治体制、経済、そして教会そのものにとって、依然として課題であり続けています」とされ、教会の社会教説をもとに、「経済的・制度的構造が、すべての人の全人的な発展を促進し、すべての人の責任ある参加を促す場合にのみ、公正であると見なすことができるのです」と強調された。

*”形式的な教育”よりも競技場で、尊敬、忍耐、フェアプレーを効果的に学ぶ

 教皇は、挨拶の終わりに、ご自分にとって特に身近な世界であるスポーツについて考察され、「多くの人々が、形式的な教育を通じてよりも、競技場において、尊敬、忍耐、フェアプレーをより効果的に学びます。運動選手こそが、悔しさを抱かずに負けること、他者を辱めることなく勝つこと、そして失敗から再び立ち上がることを社会に教えています」と指摘。

 かつて運動選手でもあった聖ヨハネ・パウロ二世の言葉を引用され、「暴力や分裂が共同体を結びつける絆を脅かしている今、スポーツは一致、平和、社会的結束に対する力強い証しとなり得ます」と強調された。

未来は、人類の真の偉大さが今後も輝き続けるかどうかにかかっている

 そして最後に、教皇は、参加者全員に対し、「新たな社会の構築の主役になるように。それは、時間が永遠へと開かれており、文化が記憶を保存し対話を促し、教育が知的な誠実さをもって真理を追求し、芸術が驚嘆を呼び起こし、ビジネスがすべての人の尊厳を認め、そして仕事が希望の源であり続けるような社会です」と呼びかけられた。

 さらに、聖パウロの「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け」という勧めを引用し、「調和と平和のうちに生きるように。未来は人類の真の偉大さが今後も輝き続けるかどうかにかかっている。人生のあらゆる領域を調和させる新たなネットワークを紡ぐための、新たな主役となりましょう!」と訴えられた。

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年6月8日

☩教皇マドリード二日目「聖体の恵みが、私たちを変容させ、希望の担い手とする」-シベレス広場での「キリストの聖体の主日」ミサで

2026.06.07 Viaggio Apostolico in Spagna - Santa Messa in Plaza de Cibeles a Madrd
 (2026.6.7   Vatican News)

 スペイン訪問2日目の7日、教皇レオ14世は、マドリードのシベレス広場の内外に集まった120万人以上の人々と共に、「キリストの聖体の主日」を祝うミサを捧げられた。そして、「私たちの間にあるキリストの生ける御臨在の賜物である聖体のもとに集まった信者たちと共にいられる喜び」を語るとともに、「何世紀にもわたってこの国を形作り、定義づけてきた宗教性が、単に訪れるだけの”過去の博物館”ではなく、今日においてもそこから”学びを得られる信仰の学校”であることを確かなものにするように」呼びかけられた。

 教皇は、ミサ中の説教で、この「キリストの聖体の主日」にあたって、「私たちが父との交わりに入り、父の子となるために、主が自ら進んでご自身の命を捧げられたこと、そして主が『天から降ってきた生けるパン』としてここにおられ、神の命そのものと、死よりも強い愛をもって私たちを養ってくださることを、特別な形で思い起します」と語られた。

 

*聖体の伝統に息づく信仰

A view of the Plaza de Cibeles, Madrid

 教皇は、聖体のパンにおける主の臨在を祝うスペインの豊かな歴史に敬意を表され、マドリードやスペインの多くの地域では、聖体の祝日が特別な形で祝われることで「信仰の核心に立ち返り、神への愛と忠実さを新たにする機会となっています」と述べられた。

 そして、何世紀にもわたる厳粛な行列に彩られたこれらの伝統が、「スペインの人々の信仰心、芸術、音楽、建築、そして生活において、いかに独特かつ創造的な表現をもたらしてきた」と指摘。「それらは、単なる民俗や芸術にとどまらず、復活された主の臨在への信仰の告白そのものです。主は生きておられ、今も私たちの間を歩み続け、命への渇きを癒すパンとなり、私たちの心の奥底や歴史の隅々、たとえ闇に包まれているような場所さえも訪れてくださるのです」と説かれた。

*主は私たちを養い、共に歩んでくださる

 教皇はさらに、ミサ後に行われる聖体行列は、「キリストであるイエスが私たちを養ってくださることだけでなく、イエスは私たちに会いに来てくださり、私たちの日常生活や活動に寄り添ってくださることを、思い起こさせます」と次のように語られた。

Crowds of faithful gathered for the Corpus Christi Mass

 

 「主は私たちに近く、民と共に歩まれる神、歴史の主です。主は弱き者への慰め、家族への光、病める者への希望、そして苦しむ者への平和です。聖体顕示台に乗って街を練り歩くキリストは、貧しい人々、虐げられた人々、孤独で捨てられた人々と一体となる、まさにそのお方です」。

 また教皇は、キリストの聖体が「私たちに自己中心や無関心、安楽で”私的な信仰”から抜け出し、回心の招きに応え、視点を変え、私たちを変容させ、新しい世界の建設者とする御臨在を受け入れるよう呼びかけておられます… そして、特別な行列を伴う今日の祝いは、私たちの日常生活、人間関係、社会、そして未来の構築において、今行われた福音書の朗読で皆さんが聞いたように、『神が私たちを愛し、養い、共に歩み、救ってくださることを思い起こすように』との”現在進行形”の招きなのです」と強調された。

 

*私たちも『社会の現実と課題の中に存在』するよう求められている

 教皇は続いて、「今日そして将来のスペインの課題」を取り上げ、「その課題とは、何世紀にもわたってこの国を形作り、定義づけてきた信仰が、単に訪れるだけの”過去の博物館”ではなく、今日においてもそこから”学びを得られる信仰の学校”であることを保証することです」と指摘。「この学校は、私たちに、神と隣人の前にひざまずくよう呼びかけています。そこでは、無償の愛が贈り物となり、それが私たちの間に流れ、あらゆる利己主義の鎖を断ち切る。そして、神が『実在』されるのと同様に、私たちもまた、『社会の現実と課題の中に存在』することを求められています… 献身をもって、共通の善の構築に力を尽くすのです」と強く訴えられた。

*聖体の泉から汲み取る

Pope Leo leading the Corpus Christi Eucharistic Procession

 説教の結びに、教皇は、すべての人に対し、「誠実な愛をもって主のもとに戻り、主との出会いに心を開き、主が私たちの心の渇きを癒してくださるのを受け入れましょう。そうして初めて、私たちは人生と歴史の道へと進み出し、この清らかな水の川、すなわち愛と平和と正義と喜びの川を人々に届けることができるのです」と促された。

 そして、「私たち全員が、この聖体の泉から新たに飲み干すことができるように。その泉が私たちを遣わし、兄弟姉妹、

家族、貧しい人々、苦しむ人々、そして希望を失った人々を癒やすように」と願われた。

 「聖体の恵みは私たちを変容させ、歴史の変革の主役とし、出会う人々への希望のしるしとします。聖体の中に現存される主イエスが、あなた方を、裂かれ、与えられ、捧げられるパンへと変容させてくださいますように。そうして、あなた方自身、ご家族、そしてあなたの国のために、満ち溢れる命が湧き出るように」

 キリストの聖体の主日の式典は、ミサに続いて、教皇が聖体を納めた聖体顕示台を携え、3万本以上の花で構成された16種類の花びらのタペストリーで飾られた通路を進む聖体行列と祝福をもって締めくくられた。

(写真右:聖体行列を先導される教皇=@Vatican Media)
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
2026年6月7日

スペイン・マドリード初日:「愛をもって歴史を変える『新しい人類の火花』となれ」-教皇、若者たちへ

(2026.6.6  Vatican News   Kielce Gussie – Madrid)

    スペインを訪問された教皇レオ14世は、首都マドリードでの初日、様々なグループへの使命の提示から始まった。それは、市民および宗教当局に対しては「対立を招く言説を捨てよ」、最も弱い立場にある人々を支える人々に対しては「他者の尊厳を真に見よ」、そして若者たちに対しては「真の人間たれ」というものだ。

The King and Queen of Spain welcome the Pope to the Royal Palace of Madrid
(The King and Queen of Spain welcome the Pope to the Royal Palace of Madrid=@Vatican Media)

 マドリードの街は、空港に到着した教皇が車で通り過ぎる姿をひと目見ようと、巡礼者や観光客、そして単に好奇心から集まった通行人で溢れかえっていた。

*「世界の分極化、実りの無い”単純化”を乗り越えよう」

 

 6日間のスペイン訪問の初日は、マドリード王宮への訪問から始まった。そこでは、フェリペ6世国王、レティシア王妃、そして二人の王女が教皇を出迎えた。

 王宮での、政財界などの代表や外交団との会見で教皇は、スペインの2000年にわたる歴史を通じて受け継がれてきたカトリックの長い伝統に触れ、すべての人に対し、「社会の実情や歴史における分断や対立を招く物語を脇に置き、複雑さを実りある形で評価することで、実りのない単純化を乗り越える」よう訴えられた。

 「世界中で分極化が進み、人権の保護が後退する中で、真理に忠実な男女が、正義と平和が彼らの良心の中で抱擁し合うまで、一つの部屋から別の部屋へと前進し続けてきた、という姿勢をもって、この状況を乗り越える必要がある」と強調された

*「誰も孤独ではない、誰もが歓迎される」-カリタスの社会保護施設で

Pope Leo XIV at the CEDIA 24 Horas centre in Madrid
(Pope Leo XIV at the CEDIA 24 Horas centre in Madrid=@Vatican Media)

 人間の尊厳の保護と最も弱い立場にある人々への配慮は、教皇の次の訪問先であるマドリード教区カリタスの社会事業「セディア・24・オラス」でも続いた。そこで教皇は、「マドリードに『いる』人は誰でもマドリードの『出身』です」と述べられ、「誰もが歓迎される」と次のように語られた。

 「この家では、誰も孤独ではありません… しかし、施しを慈善活動と同じものと見なしてはなりません。そこには個人的な出会いが必要です。教皇フランシスコは言われました―『人々は奉仕してくれる相手の目を真剣に見つめます。自分の尊厳を認めているかどうか』と」。

*「召命を考えることを、決して恐れてはならない」-若者たち主催の祈りの集いで

(The prayer vigil closed with Eucharistic Adoration and Benediction=@Vatican Media)

 訪問初日の締めくくりThe prayer vigil closed with Eucharistic Adoration and Benedictionとして、教皇はリマ広場に向かわれ、マドリードの若者たちが主催した祈りの集いで、50万人を超える若者たちと対面された。

 音楽演奏の後、少人数の若者たちが教皇を迎え、現代社会で直面する課題について質問した。その一つは、教皇にインスピレーションを与えた聖人たちに関するものだった。それに答えて教皇は、聖ヨハネ・クリソストモについて語られ、若者たちに、「司祭職や修道生活、あるいは教会におけるその他の奉仕への召命を考えることを、決して恐れてはなりません」と強く説かれた。

 別の質問への答えとして、教皇は若者たちに、「神の声を聴き取るために沈黙の時間を持つように。沈黙の中で、私たちは『イデオロギーは過ぎ去るが、真理は残る』ことを理解するようになります」と促され、また、「その沈黙と真理の探求は、一人で成し遂げるものではない。誰も一人でイエスを信じているわけではないことを覚えておくことが重要です」と指摘。

 「周りを見回して、ここにどれほど多くの人が集まっているか見てごらんなさい! この共に歩む旅路において、暴力や戦争、無関心や同調圧力の中にあって、『新しい人類の火花』になるように」と促された。

 教皇は、「ある使命」を掲げて、講話を締めくくられた。それは、「真の人間であること。外見ではなく、生身の人間であること」だ。そして、すべての若者に対し、「カトリックの信仰は『愛を通じて成就される人生であること』を心に留め、この現代世界において福音の宣教者となるように。親愛なる若者たち、これこそが、他のいかなるものよりも歴史を変える美徳です。君たちは、歴史を変えることができる。愛を通じてそれを成し遂げなさい」と呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年6月7日

☩教皇スペイン訪問初日「私は福音への忠誠を確認し、新たにするために来た」ー政府、政財界、市民団体の代表、外交団との会見で

(2026.6.6  Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

    スペイン訪問の教皇レオ14世は6日朝、マドリードの国際空港に到着、王宮での歓迎式典、国王と王妃への表敬訪問のあと、同日昼、政府、政財界、市民団体の代表や外交団と会われた。あいさつで教皇は、「私は、信者たちの間で福音への新たな忠誠を確認し、励まし、植え付けるため、またこの国の様々な構成要素の間でより深い和解と協力を促すために、皆さんのもとを訪れました」と語られ、「宗教の自由と良心の自由を守ること」の重要性を強調された。

Pope Leo XIV addresses authorities in Spain
Pope Leo XIV addresses authorities in Spain   (@Vatican Media)

 

*スペインは、2000年近くも福音を受け入れてきた偉大な国

 挨拶の冒頭で教皇は、スペインの人々に対し、「国際法と多国間主義への忠実な遵守は、人々の間の平和と連帯への積極的な取り組みに反映されています」と讃えられたうえで、「国内での対話と市民的友好を育み、未来を描く際には貧しい人々や若者の視点を考慮に入れ、自治と統一への要求を調和させ、そして『欧州の統一』という大義を推進するように』と促され、「それは他の勢力に対抗するためではなく、全人類への贈り物としてです」と述べられた。

 また、スペインがご自分を招待し、この巡礼の旅において「ほぼ2千年もの間、福音を受け入れてきた偉大な国」を訪れさせてくれたことに感謝され、「伝統は常に、イベリア半島における初期の福音宣教を、使徒ヤコブ(大ヤコブ)の説教と結びつけてきました。この結びつきが神学的に極めて重要です。それは、聖霊降臨に始まった使徒的使命との連続性を、現地の教会が自覚していることを表しているからです… キリスト教の信仰とこの地との古くからの絆が、スペインの文化を深く形作り、今日、人類の一家族として共に直面しなければならない課題の中で、希望と指針の源となっているのです」と指摘された。

 さらに教皇は、「私は、一年を通して、また人生の様々な場面に合わせて、あらゆる都市や町で救いの真のドラマとして立ち現れる民衆の信仰の表現について考えます。芸術的、音楽的遺産や、数多くの兄弟会、慈善団体と共に、イエス・キリストと、あなた方の民との実りある出会いを証ししている。あなた方の民とは、人生を愛し、それを表現する情熱的な人々です!そして、信者たちのこの信仰を励ますためにスペインを訪れました」と語られた。

 

 

*宗教の自由と良心を守ることの重要性

 教皇はまた、「スペインの様々な要素の間で、より深い和解と協力を国民に呼びかけたい。スペインの歴史は、対立ではなく、出会いの文化こそが安定と繁栄をもたらすことを示唆しています」とされ、聖ヨハネ・デ・ラ・クルスと聖テレサ・デ・アビラを想起。「二人は、神の神秘への情熱によって友人として結ばれした。スペイン出身のこの二人の傑出した人物が、5世紀にわたり、スペインの国境を越えてまでも、教会の生活と多くの人々の霊的旅路を豊かにしてきたこと」を思い起され、聖イグナチオ・デ・ロヨラについても言及された。

 そして、聖人たちについて考察する中で、教皇は「恐ろしい不均衡や紛争に揺さぶられているように見える今の私たちの時代は、その深みから平和を、人間とその侵すことのできない尊厳に対する新たな理解を、愛の文明を、と叫び求めています… 聖テレサは、『内なる城』というイメージを用いて、この同じ過程を描写しています」とされ、「部屋から部屋へと、最も内側の部屋―すなわち、真実の聖域である自らの心へと向かうにつれ、空間は広がり、心は開かれ、困難は克服され、緊張は解け、他者はその居場所を見出し、宇宙は我が家となる。これは自己への逃避ではなく、自らに立ち返った時に達成される『トトゥス・アリウス・エト・センペル・ノヴス(全く異なる者、常に新しい者)』への根本的な開放です」と強調。

 「人間という存在のこの側面こそが、宗教の自由と良心の自由が守られねばならない理由です」と述べられた。

*世界で強まる分極化に立ち向かわねばならない

 

 続いて教皇は、現在の世界で「分極化の炎に油を注いで人気を得ようとする誘惑は、減るどころかむしろ増大しているようであり、人間の尊厳は依然として踏みにじられ続けています」と指摘。「だからこそ、私たちには文化と内面性、そして質の高い自由な教育が必要なのです。超越性が必要なのです。こうした暗黒の夜でさえ、真理に忠実な男女たちは、正義と平和が彼らの良心の中で抱擁し合うまで、一つの部屋から別の部屋へと進み続けてきました。彼らの自由を通してこそ、私たちは自由であることを学ぶのです」と訴えられた。

 また、「カトリック教会は人間の心の渇きに奉仕するもの。それは強制による奉仕ではなく、数多くの殉教者や聖人たちが証しした福音の証しです。今日、教会は和解と平和を求める人々の未来のために、自らを奉仕の場に置く用意があります」とされた教皇は、「真理への愛ゆえに、社会の実情や歴史における分断や対立を招く物語を脇に置き、複雑さを実りあるものとして受け入れることで、実りのない単純化を乗り越えるように」と参加者たちに呼びかけられ。そして、「私は特にヨーロッパに適した使命を見出しており、その中でスペインは唯一無二かつ根本的な役割を果たしています」と指摘された。

*学校、大学、研究への投資など質的な飛躍が求められている

 教皇はスペインの人々に、「複雑さを理解し、研究するように。それを否定するのではなく、祝福として受け入れることを学ぶよう二」と求められ、さらに、「新たな技術によって、私たちの根本的な選択が試され、偏見が拡大し、批判的思考が弱まり、支配的な利益が死の願望を広める人工的な環境が作り出されているが、善は勝利し、広まることが可能です」と指摘。

「特に経済的、政治的、制度的な責任を負う方々にとって、質的な飛躍、すなわち学校、大学、研究への投資の方向転換、そして参加と文化的仲介の温床としての地域社会や市民社会への投資の方向転換が必要です」と説かれた。

 続けて教皇は、スペインが平和と調和に貢献する必要性について考察され、「私たちは、あまりにも頻繁に武器や壁の中に『安全』を求める傾向にある。それは、実際には、互いに寄り添いながら前進し、共に成長することを学ぶことによってこそ、最もよく達成されるもの。スペインの歴史こそが、その証左です」とされ、「イベリア半島におけるイスラム教の存在が、長きにわたって政治的、文化的、宗教的現実を構成してきた」ことを認めつつ、「宗教間の平和的共存と対話に向けて前進するように」と促された。

 さらに、平和、多国間主義、国際法への献身に対しスペインに感謝の意を表し、国内および国外において平和と調和を促進するよう呼びかけ、「神よ、スペインを祝福したまえ!」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年6月6日

☩「ウクライナ和平へあくまで対話の道を」-教皇、スペイン行きの機内で改めて表明

Pope Leo XIV greets journalists aboard the papal planePope Leo XIV greets journalists aboard the papal plane  (@Vatican Media)
(2026.6.6 Vatican New  Silvina Perez – Aboard flight to Madrid)

 教皇レオ14世は6日、7日間のスペイン訪問のためマドリードに向かう機内で同行記者団に挨拶され、ウクライナ和平へ対話の必要を改めて強調されるとともに、レバノンへの連帯を表明し、虐待や戦争の悲劇について語られた。

 教皇専用機は現地時間6日午前8時過ぎにローマのフィウミチーノ国際空港を発ち、マドリードへ向かった。マドリードは、教皇がイベリア半島の各地で教会共同体、行政当局、信徒とお会いになる今回の訪問の最初の訪問地。

 機中会見で教皇は、現在の国際情勢など深刻な話題に加え、「レアル・マドリードとバルセロナ、どちらを応援していますか」と尋ねられた際には笑いが生まれ、教皇は、笑顔で「それは簡単です。教皇はすべてのチームを応援しますが、ロバート・プレヴォストはレアル・マドリードを応援しています!」と答えられた。

 

*すべての人にイエス・キリストのメッセージを伝える

 教皇は記者団に対して、まず、今回の訪問について、「教皇がスペインを訪問するのは、これまで長い間なかったことで、個人的に非常に嬉しく思っています… 今回の訪問は、信徒と出会うための使徒的訪問。信仰を祝い、イエス・キリストのメッセージを宣べ伝えるためですが、同時にすべての人々、社会全体に挨拶するためでもあります。教会には、すべての人に向けたメッセージがあるからです。5月25日に発表された回勅で、そのことが非常に明確に示されたと私は信じています」と語られた。

*若者たちと信仰の喜びを分かち合う

 また教皇は、特に若者たちの間で、ご自分に対して熱狂的な期待が高まっていることを認め、今回の訪問では「熱意に満ちた多くの若者が集まるようです。信仰の喜びを共に分かち合うことで、私たちは非常に素晴らしいメッセージを伝えられると信じています。そのメッセージは、マドリード、バルセロナ、そしてカナリア諸島へと伝えられるべきもの。私たちが信仰を生き、神の愛、慈愛、そして全ての人間への敬意を宣べ伝える助けとなるメッセージです」と強調された。

 

 

*ウクライナ和平へ断固として対話の道を

 現在の厳しい国際情勢に関連して、教皇はロシアによるウクライナ攻撃が今も止まらない現状を打開し、対話と平和の道を断固として歩み続ける必要を改めて強調。レバノンについても、同国の情勢に聖座が細心の注意を払い、現地の宗教当局と継続的に連絡を取っていることを確認された。

 記者団から、イランにおいて「正義の戦争」が存在するかどうか問われると、教皇は「すでに非常に明確にされていると思います。イランにおいては、『正義の戦争』の基準は満たされていない。『正義の戦争』の理論は数世紀前に遡るものであり、今日のような大量破壊兵器を人類が手にすることなど想像もできなかった時代のものです」と応えられた。

*聖職者の性的虐待にも言及

 

 また、教会に今も癒えない傷が続く聖職者による性的虐待問題にも言及された。バチカンのマッテオ・ブルーニ報道局長は、スペインの現地教会が、国内の性的虐待被害者数名と教皇との面談を準備していることを確認している。

 

*観想修道会のシスター、修道士が作ったロザリオが同行記者全員に贈られた

 

 今回のスペイン訪問には、「目には見えにくいが、その意味において(見えるものに)決して劣らないもう一つのしるしが伴っていた。一人ひとりのためにロザリオを唱えることで、この使徒的巡礼を霊的に支えることになった。同行記者団の全員が、手作りのロザリオを贈り物として受け取った。これは、記事、テレビ報道、写真、ラジオ放送を通じてこの数日間を伝える人々の働きを祈りに委ねた観想修道会のシスターや修道士たちによって作られたもの。「情報伝達の働き」と「祈りの観想生活」という、それぞれ独自の形でしばしばペトロの後継者の旅に寄り添う二つの現実を、象徴的に結びつけるささやかな心遣いです。

 また、機内では、ローマのバンビーノ・ジェズ小児病院の若い患者たちが描いた絵も教皇に贈られた。スペイン全土の教区では、教皇の到着を祝して教会の鐘が鳴り響いた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年6月6日

・スペインの聖職者による性的虐待問題、政府と教会の新賠償制度が始まったが…

(2026.6.4 Crux   Suman Naishadham|AP)

 マドリード発 — 1970年代、独裁者フランシスコ・フランコが依然として支配していたカトリック国スペインで、パウラ・アロンソ=ピメンテルは8歳の時、北部の都市バリャドリッドにある宗教学校へカテキズム(教理教育)を受けるために送られた。

 彼女はそこで、マリスト会の神父から1年間にわたり、学校の玄関ホールで繰り返し性的虐待を受けた、と語る。神父は彼女を膝の上に座らせ、生徒たちが出入りする中でスカートをめくったという。それから50年以上が経った今、彼女は賠償を求めている。

 カトリック教会内での性的虐待に対するスペインの、長らく先送りされてきた清算は、今年、アロンソ=ピメンテル氏のケースのように、被疑者である聖職者がすでに死亡し、時効により起訴不能となっている事例を対象とした賠償制度の開始で、新たな段階に入っている。

 スペイン司教協議会とスペイン政府は、かつて圧倒的多数がカトリック信者だった人口5000万人のこの国への、教皇レオ14世の土曜日に始まる予定の訪問の数か月前に、このプログラムを承認した。

 特筆すべきは、賠償金の支払いについて、政府が最終決定権を持つ点だ。聖職者による性的虐待や隠蔽スキャンダルが世界中のカトリック教会を揺るがし、西側諸国でこの危機が初めて公になった30年以上経った今も、教会の評判を傷つけ、教皇の人気に疑問を投げかけている。

*長い間、問題を避けて来た教会に「代償を払わせねばならない」

 スペインでは、この賠償制度を一部の被害者は歓迎しているが、他の一部の被害者はその有効性に懐疑的であり、「賠償請求の期間が短すぎる、と主張。強制力や透明性のないこの制度が成功するかどうか疑問視している。

 この制度では、被害者は申請に1年の期間が与えられており、これまでに420人が申請を行った。これは、教会の沈黙の中でスペインの日刊紙『El País』が虐待被害の実態を暴露し、教会自身の被害者への補償試みに対する批判が続いた後の、長年にわたる論争を受けての措置だ。

 アロンソ=ピメンテル氏も多少の懐疑心を抱いているが、数十年にわたり克服しようと努めてきた虐待が、ついに解決されることを望んでいる。「教会には、代償を払わせねばなりません。莫大な代償を払わずに、彼らが同じことを続けられるようなことがあってはならないからです」。

 長年にわたり、彼女は記憶を心の奥底に押し込めていた。時が経つにつれ、彼女は友人やパートナー、心理学者、そして最終的には聖職者から虐待を受けたと語る他の人々にも被害について打ち明けるようになった。

 2019年に教皇フランシスコが聖職者による虐待問題に関する世界サミットを招集した後、アロンソ=ピメンテル氏はバジャドリードのマリスト修道会に手紙を書き、自分を虐待した神父に関する詳細の説明を求めたが、修道会の返事は、その神父の名前だけだった。

 今回の賠償制度では、スペイン政府の人権擁護官が独立した専門家チームを通じて、申告された被害事例を審査し、象徴的、心理的、あるいは経済的な補償を提案し、教会側がその内容を検討する。政府と教会が合意に至らない場合、教会、政府の人権擁護官事務所、被害者団体の代表者によつ合同委員会に付託され、それでも合意が得られない場合、政府の人権擁護官が最終判断を行う。

 

*被害者の数、政府の「推定数十万人」に対して、司教団は「特定728人」と大きな食い違い

 2018年に『El País』紙が聖職者による性的虐待事件のデータベースを構築したのを契機に、スペインの教会は、ようやく、司祭による虐待と、何世代にもわたる司教や修道院長らによる隠蔽という過去の遺産と向き合い始めた。米国、アイルランド、オーストラリアなど他の西欧諸国に比べ、その対応は大幅に遅れていた。

 データベースが拡大するにつれ、世論の怒りも高まり、スペイン政府の人権擁護官は議会から、この問題がどれほど広範囲に及んでいるかを調査するよう命じられた。2023年、人権擁護官は800ページに及ぶ厳しい報告書を提出し、8000人を対象とした調査に基づき、「過去数十年間に、スペイン国内で教会による性的虐待の被害者が数十万に上る可能性がある」と推定した。

 これに対して、スペインの司教団はこの推計を否定。「自分たちの調査では1945年以降の教会内での性的虐待被害者として特定されたのは728人」だとし、「犯罪の大部分は1990年以前に発生しており、容疑者の60%はすでに死亡している」とも主張した。

 

*スペインの司教団は独自の被害者支援制度を作ったが…

 そして司教団は2024年、スペイン政府が教会に対し被害者への補償を義務付ける意向を表明してから数か月後になって、一方的に「被害者を個々のケースに応じて支援する制度」を創設した。だが、政府は、「教会は、問題を過小評価している』と批判。「教会の内部システムには外部からの監視が欠如している点などから、制度の効果が不十分だ」と指摘した。

 アロンソ=ピメンテル氏を含む多くの被害者たちも、「教会は、自分が関わる事案に対して、“裁判官”と“陪審員”を兼ねることはできない」と、この教会の制度に強い不信感を示していた。

 スペインのカトリック司教協議会は今年初め、これまでに虐待被害者に対し約200万ユーロ(約3億7000万円)を支払った、とする一方、「一部の被害者が抱く不快感も理解している』と述べ、新たな国家と教会の協力モデルの有用性を認めた。同協議会の広報責任者ホセトショ・ベラ氏は「これは、教会が過去2年間にわたり進めてきたプロセスに新たな扉を開くもの」と説明している。

 また、バチカンは、性的虐待被害者への補償について、より明確に言及するようになってきた。教皇レオ14世は、「性的虐待の被害者に耳を傾けることには、『加えられた虐待を認めること』と『正当な賠償』が含まれる」と語っている。

 だが、スペインの司教たちは、「聖職者による虐待が組織的なものであること」を長年、否定し続け、「性的犯罪の多くは教会の外で発生している」と責任の外部転嫁を図ってきた。ベラ氏も、「確かに、人間の本性は欠陥があり、悪への傾向があり、多くの和解と赦しを必要としていると思う。しかし、それが組織的な問題だとは言えません」とし、「私たちは社会の一員。社会の美徳の一部を共有しているのと同様に、その悪徳や犯罪の一部も共有しているのです」と言う。

*政府が最終決定権を持つ新被害賠償制度にも効果を懸念する声

 スペインの性的被害者や支援者たちの中には、新賠償制度が不十分なものに留まることを懸念する向きも合う。主な懸念は、虐待の深刻度に応じた賠償の基準がなく、教会と政府が個々のケースごとに評価することに合意していることだ。賠償実施の法的拘束力もない。

 米国に本部を置くNPO「Bishop Accountability」の共同代表、アン・バレット・ドイル氏は「この制度を、実際にはかなり脆弱なものだと見ています。被害の申告期間が非常に短い。様々な種類の被害に対する最低補償額を定める基準がない。公平性は、一貫性はあるだろうか?」と制度の実効性に疑問を投げかける。

 教皇のスペイン訪問を前に、同国の活動家ミゲル・ウルタド氏は、自身の虐待被害の経験をもとに、この制度の潜在的な弱点を指摘する。

 20年以上前、ウルタド氏は、バルセロナ郊外の山間にある11世紀のベネディクト会のモンセラート修道院で、当時16歳のボーイスカウトだった自身が、アンドレウ・ソレールという名の修道士から性的虐待を受けた。

 当初、修道院は彼の両親に対し、この疑惑の虐待を「当局に通報しないように」と言いくるめた。彼は、通報をあきらめたが、数年後に聖職者による虐待に対する賠償を求める動きが表面化し、『El País』紙を含むメディアに、修道士から虐待被害を受けたことを告発を公表した。

 メディア報道を受け、モンセラート修道院は、2019年に独立調査報告書をまとめ、ソレール修道士が数十年にわたって犯した複数の性的虐待を認めたものの、修道院側は「刑事上も民事上も時効が成立している」とし、正式な賠償を行う責任は拒否したままだ。

 同修道院側はAPの取材に対して、ウルタド氏の件や、新たな賠償制度を通じて浮上する可能性のある他の事例への協力の可否について、コメントを控えている。

 ウルタド氏は、「自分がバチカンや他の教会当局に詳細を報告した虐待疑惑があるにもかかわらず、教皇が修道院を訪問することに失望している」とし、新賠償制度によって、逆に多くの被害者が置き去りにされるのではないかと懸念している。「問題は、それが砂の上に築かれているということです」と。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年6月6日

・教皇スペイン訪問(6月6日ー12日)の詳細日程

(2026.6.5  カトリック・あい)

 バチカンが5日発表した、教皇レオ14世のスペイン訪問日程は次の通りだ。

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2026年6月6日(土)ローマ – マドリード

08:00 ローマ・フィウミチーノ国際空港からマドリードへ飛行機で出発

10:30 アドルフォ・スアレス・マドリード・バラハス国際空港に到着 公式歓迎

11:30 マドリード王宮にて歓迎式典

12:00 スペイン国王陛下および王妃陛下への表敬訪問

12:30 当局、市民社会、外交団との会合 マドリード王宮にて

18:00 「CEDIA 24 HORAS 社会プロジェクト」 のスタッフおよび受益者への訪問(情報・歓迎センターにて)

20:30 若者との祈りの集い (リマ広場にて)

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2026年6月7日(日)マドリード

10:00 シベレス広場での聖体祭のミサ 聖体祭の行列

16:30 アウグスティヌス会会員との非公開会合 教皇大使館にて

18:00 「文化・芸術・経済・スポーツ界とのネットワーク構築」会議  モビスター・アリーナにて

19:30 マドリード大司教公邸にて夕食

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2026年6月8日(月)マドリード

09:30 首相との会談 教皇大使館にて

10:30 スペイン国会議員との会談  下院にて

11:30 スペインの司教団との面会 スペイン司教協議会事務所にて

12:50 教皇大使館にて司教団との昼食

18:00 アルムデナの聖母への祈りと崇敬 アルムデナの聖母大聖堂にて

19:00 教区共同体との面会 サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムにて

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2026年6月9日(火)マドリード – バルセロナ

10:20 ボランティアとの面会 マドリード・イフェマ(IFEMA)第3パビリオンにて

11:10 アドルフォ・スアレス・マドリード/バラハス国際空港より飛行機で出発

12:25 ジョセップ・タラデラス・バルセロナ/エル・プラット国際空港到着

13:00 正午の祈り 聖十字架と聖エウラリア大聖堂にて

20:00 祈りの徹夜祭 ルイス・コンパニス・オリンピックスタジアムにて

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2026年6月10日(水)

バルセロナ – モンセラート – バルセロナ

10:50 「ブリアンス第1刑務所」を訪問

12:00 ロザリオの祈り モンセラート聖母修道院にて

13:00 モンセラートのベネディクト会共同体との昼食

16:30 教区の慈善・福祉団体との面会 サン・アグスティ教会にて

19:30 聖体祭 サグラダ・ファミリア大聖堂にて イエス・キリストの塔の落成式

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2026年6月11日(木)バルセロナ – ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア

08:30 ジョセップ・タラデラス・バルセロナ/エル・プラット国際空港からラス・パルマス・デ・グラン・カナリアへ飛行機で出発

10:50 グラン・カナリア/ガンド空軍基地に到着

11:40 アルギネギン港にて移民支援団体との面会

13:30 司教、司祭、助祭、修道者、神学生、および牧会従事者との面会 聖アンナ大聖堂にて

18:30 聖体祭 グラン・カナリア・スタジアムにて

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2026年6月12日(金)ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア – サンタ・クルス・デ・テネリフェ – ローマ

08:30 グラン・カナリア/ガンド空軍基地からサンタ・クルス・デ・テネリフェへ飛行機で出発

09:10 テネリフェ・ノルテ=ロス・ロデオス国際空港に到着

09:30 「ラス・ライセス・センター」にて移民との面会

10:10 移民の社会統合に取り組む団体との面会 (ラ・ラグナのクリスト広場にて)

12:15 ミサ (サンタ・クルス・デ・テネリフェ港にて)

14:30 送別式(テネリフェ・ノルテ=ロス・ロデオス国際空港にて)

15:00 テネリフェ国際空港からローマへ飛行機で出発

20:10 ローマ・フィウミチーノ国際空港到着

 

 

2026年6月6日

(評論)トランプの”標的”はレオ14世から、カトリック信者の主要閣僚、バンス、ルビオに移った(Crux)

(2026.6.1  Crux  Managing Editor  Christopher R. Altieri)

Trump’s latest attack on Leo XIV isn’t really about the pope

*教皇と会見したシカゴ市長を『役立たず』とののしったトランプの狙いは

 

 トランプ米大統領が、またしてもソーシャルメディア上で教皇レオ14世について不満を漏らしている。

 「誰か教皇に、『シカゴ市長は役立たずだ』と説明すべきだ」と5月29日、自身の「Truth Social」アカウントに投稿した。「そして、イランに核兵器を持たせてはならない!」

 大統領の発言は、シカゴ出身の教皇と、シカゴの市長であるブランドン・ジョンソン氏との非公開会談を受けてのものだ。ジョンソン氏は、かなり進歩的な公約を掲げて当選した初当選の民主党員である。

 ジョンソン氏はまた、断固として反トランプ、反MAGA(アメリカを再び偉大に)の立場を取っているが、それは、教皇が地上の平和を力強く提唱していることと同じくらい、トランプの計算にはほとんど関係がない。

 しかし、トランプのネット上の言動は、実際には教皇や市長に関するものではなかった。

*バンス、ルビオはいつ、トランプと距離をおくのか

 

 トランプの言動のほとんどすべてがそうであるように、少なくともネット上では、この発言もトランプ自身に関するものであり、自身の政権内の有力なカトリック教徒たちに、自分と教皇のどちらを選ぶか迫るための計算された動きの一環だ。

 2028年の共和党指名争いで最も有力な2人の候補は、バンス副大統領とルビオ国務長官であり、両者とも目に見える形で、また公然とカトリック信者であることを表明している。彼らの政治姿勢や、トランプ政権で職務に就く、という決断について、人々が何を言おうとどう思おうと、あらゆる客観的な指標から見ても、彼らは誠実なカトリック信者だ。

 トランプは、カトリック系の政治家たちが大統領の暴言について問われることになるため、彼らに「アメリカ人の教皇」ではなく、自分を選ぶよう迫ろうとしているのだ。

 バンスもルビオも、いずれはトランプと距離を置かねばならなくなることを承知している。二人にとっての課題は、その「時」がいつなのか、ということだ。その答えは二人でそれぞれ異なり、タイミングは常に両者にとって厄介なものとなるだろう。その理由については、異なる点もあれば、一部は共通し、一部は異なるものもある。

 トランプが最後に教皇と対立したように見えたのは4月中旬、わずか6、7週間前のことだ。彼は教皇に対する長広舌を繰り広げ、AI生成による冒涜的な画像を投稿した。その画像では、自身が「癒しのキリスト」として描かれていた。

 トランプを擁護するとすれば、彼は投稿から数時間後にそのAIによる粗悪な画像を削除し、「自分は医師として、そして我々が支援している赤十字の現地スタッフとして、赤十字に関わるものだと思っていた」と述べた。とはいえ、トランプは自身の発言を撤回することはなく、その発言は、大統領に好意的なカトリック教徒さえ衝撃を受けた。とりわけトランプが教皇を「犯罪対策に弱い」「核兵器対策に弱い」と非難し、「急進的な左派に迎合するのをやめ」「しっかりすべきだ」と述べたことだった。

 トランプによって「宗教の自由に関する大統領特別委員会」のメンバーに任命されたロバート・バロン司教は、大統領は「教皇に謝罪すべきだ」と述べ、トランプの発言を「全く不適切かつ無礼だ」と批判した。そう感じたのは彼だけではなかった。4月の一連の出来事を経て、カトリック教徒の間でのトランプ氏への支持は低下している。その一因はトランプ氏の反教皇的な暴言にあり、また中東での軍事介入、二転三転する関税政策やその他の経済政策、そして拙劣な移民取り締まりにもある。

 シカゴのジョンソン市長は、5月29日に大統領が放った痛烈な批判を受けて反論し、「シカゴ市民は、トランプ氏のイランに対する冒涜的な戦争に、もううんざりしている」と述べ、「誰かが大統領に、彼の行動が『働く家庭の生計を立てることをますます困難にしているだけだ』と説明すべきだ」と批判した。

*トランプの最大の眼目は、MAGAキリスト教徒の支持基盤を守ることにある

 シカゴはまた、トランプ氏のICE(移民関税執行局)による取り締まり措置の結果、極めて厳しい時期を過ごしてきた都市でもある。この措置は、一般的に強硬な反移民政策を支持するカトリック教徒の間でも、特にヒスパニック系男性の間でも、不人気であり続けている。ヒスパニック系男性の約半数は、2024年の大統領選でトランプ氏を支持していた。

 トランプ氏の今回の発言は、4月の発言に比べれば穏やかなものだが、大規模な”攻撃”に続く、”滴下作戦”」だ。目的は、ルビオ氏とバンス氏の両者がトランプ氏への支持を継続し、時が来れば彼らが、カトリック票を取り込むの難しくすることにある。

 バンス氏は副大統領という立場上、トランプに解任されることはないため、在任中はより大きな裁量権を持っている。一方、ルビオ氏は解任される可能性があり、いずれにせよ、大統領の指示通りに米国の政策を実行するだけでなく、少なくとも「トランプ・ワールド」においては、上司を個人的にも政治的にも支持することが求められる職務に就いている。

 両者とも2028年の選挙でカトリック票を取り込みたいと考えており、2024年にはカトリック教徒の55%がトランプ氏を選んだ。ミサに通うカトリック教徒の間では、トランプ氏に投票した割合はさらに高かった。したがって、両者が注視することの一つは、トランプ氏の振る舞いが、教皇に対する個人的な態度であれ、国内外における政治的な行動であれ、その支持をさらに蝕むかどうかだ。

 前回トランプを支持したカトリック教徒は、彼の選挙公約や政策声明を好む傾向にあったが、概して彼の「MAGA(アメリカを再び偉大に)」共和党支持基盤の一部ではなかった。MAGAキリスト教徒は、トランプの支持基盤の大きな部分を占めている。彼らは福音派プロテスタントの傾向があり、トランプの政治姿勢だけでなく、その人物像にも惹かれている。

 トランプ氏は、中間選挙を通じて、さらには2028年以降も彼らの支持を受け続けられる、と信じているようだ。これらは、誰もが直面せざるを得ない政治的現実だ。

*トランプは、MAGA運動を自分のものとして維持したいのだ

 トランプ氏は、イランでの米軍の軍事作戦が国内外で極めて不人気であることを承知している。彼の経済政策や、移民法を執行する際の強硬な手法も同様だ。現在、世界で最も信頼できる人物として誰もが挙げる教皇と対立するのは、現時点では得策ではない。特に、今年後半の中間選挙で上下両院の支配権が懸かっている今の状況では、なおさらだ。

 トランプは、中間選挙の結果そのものよりも、共和党を「MAGA(アメリカを再び偉大に)」の路線に留め、可能な限り長く自身がその象徴であり続けることの方に関心があるようだ。トランプがそれを実現するために、共和党が11月の中間選挙で勝利する必要はない。言い換えれば、トランプは、 MAGA運動を自分のものとして維持したいのだ。共和党をMAGA路線に留めておきたいし、共和党員に対し、「自分に背けば確実に敗北すること」を示したいのだ。

 疑うなら、コーニン、マッシー、キャシディの各上院議員に聞いてみればいい。テキサス、ルイジアナ、ケンタッキーの各州選出のこの3人の共和党議員は、それぞれMAGA系でトランプ支持の対立候補に予備選挙で敗れた。そうした挑戦者たちの11月の本選挙での勝算は必ずしも高くないが、そこがまさに狙いらしい。

 トランプが必要としているのは、MAGA支持基盤が依然として自分のものであり、党を事実上支配し続けていることを共和党員に見せつけることだけだ。その基盤は新たな人物を生み出すことはできなくても、既存の政治家を葬り去ることはできるのだ。これは、中間選挙で知事や連邦議会議員を目指すカトリック系の共和党候補たちが耳にすることになるメッセージであり、その点において、トランプによる教皇への攻撃は、少なくとも短期的には、バンスやルビオよりも彼らに深刻な影響を与える可能性がある。

 とはいえ、トランプは6月14日に80歳になる。人は誰も永遠に生きられるわけではない。バンスとルビオは、中間選挙の行方を注視することになるだろう。カトリック信徒を含むアメリカ国民もまた、同様に見守ることになる。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。
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2026年6月2日

(CRUX連載)教会における法の支配と司法改革①教会司法制度は、教会活動で最も緊急に改革を必要としている分野の一つだ

(2026年1月26日、教皇レオ14世がローマ・ロタ裁判所の役人たちを迎え、司法年度の開会式を行った。)

(2026.5.25  Crux  Managing Editor  Christopher R. Altieri)

 

2026年5月25日

(評論)在位1年、教皇レオ14世は何を実現し、今後の課題は…(Crux)

(2026.5.8  Crux/ Nicole Winfield |Associated Press)

   ローマ 発— 就任早々、改革や人事、新体制の導入で波紋を広げた教皇フランシスコとは異なり、教皇レオ14世は足場を固め、自身の在位期間をより長期的な視点で捉えようとしている。その中で、教皇は、これまでにいくつかの重要な決定を下しており、なお、いくつかの課題が控えている。

*5つの重要な人事

 米国およびバチカンで予定されているいくつかの人事は、教皇にとって、教会の階層構造や中央統治を自身の意向や優先事項に沿って形作る機会となるだろう。

 シカゴのブラース・クピッチ枢機卿は3月に77歳となり、司教の定年を2年超過した。つまり、教皇は間もなく、自身の故郷、シカゴに新たな大司教を任命する可能性がある。

 12月にはロサンゼルスのホセ・ゴメス大司教が75歳を迎える。これにより、レオは米国最大の教区に新たな指導者を任命する機会を得る。

 教皇はすでに、間もなく退任するニューヨークのティモシー・ドラン枢機卿の後任としてロナルド・ヒックス大司教を指名しているが、その人事は「イデオロギー的にどちらかに劇的に偏るものではなかった… こうした多くの決定に対する教皇の全体的なアプローチに沿ったものだ」と、教皇の母校であるビラノバ大学の法学・宗教学教授、マイケル・モレランドは述べた。

 バチカンでは、典礼秘跡省の長官、英国人のアーサー・ロッシュ枢機卿が76歳を迎える。同省は、フランシスコ教皇による「伝統的なラテン語ミサへの物議を醸した規制」を執行する責任を担っていた。ロッシュの後任者については、教皇がこの問題にどう対処するかを示すものとして、厳しく注視されることになるだろう。

 もう一人のバチカンの重鎮は、アメリカ人のケビン・ファレル枢機卿だ。78歳と定年を大幅に過ぎているが、依然として、命・信徒・家庭省を率いている。彼はまた、教皇を選出したコンクラーベを監督したカメルレンゴを務め、金融投資やバチカン市国の最高上訴裁判所を管轄する、最も機密性の高い聖座委員会も統括している。

 カナダのマイケル・チェルニー枢機卿は7月に80歳の誕生日を迎える。これにより、彼はバチカンで最年長の長官(総合的人間開発省)となるだけでなく、次回のコンクラーベでの投票権も失うことになる。

 チェルニー枢機卿が投票権を失うことで、教皇選出の投票権を持つ枢機卿の数は117名となり、80歳未満の投票権を持つ枢機卿の通常の上限である120名を下回ることになる。これは、教皇が来年、後継者を選出するための最初の枢機卿任命を発表する可能性があることを示唆している。

*レオがフランシスコの政策を変えた4つの点

 教皇就任当初、フランシスコは若者に対し、それぞれの教区で現状を打破し、「混乱を起こす」よう呼びかけた。レオはすでに、こうした”混乱”の一部を整理しようとしている。

 先月、バチカンはフランシスコ教皇の提唱による「世界子供の日」を中止した。この行事については、その目的や意義について疑問の声が上がっていた。「世界子供の日」の中止は、フランシスコ教皇が2024年の同イベントのために設置した教皇特別委員会の活動を、教皇が正式に停止したことに続く措置だ。

 昨年12月、教皇は、フランシスコが死の床にあった最中に疑わしい経緯で設立されたバチカンの「資金調達委員会」を解散させた。同委員会は、専門的な資金調達経験のないイタリア人だけで構成され、委員長は国務省のアセッサー(顧問)だったが、国務省は以前、ロンドンの不動産取引におけるスキャンダルで数千万ユーロの損失を出した際、フランシスコによって資産管理権限を剥奪されていたバチカンの部署だ。

 そして、同委員会解散の後、教皇は資金調達案と体制を策定する新たな委員会の設立を発表した。「教皇は明らかに注意を払っていた」と、発展途上国における教皇の慈善事業に資金を提供する米国の富裕層寄付者グループ「ザ・パパル・ファウンデーション」の会長、ワード・フィッツジェラルドは述べた。「教皇は、それが十分に機能しないだろうと気づいていたのだ」。

 また教皇は、フランシスコが2022年に発布した、バチカン銀行に財政権限を集中させる法令も廃止。新たな法令を発布し、財務的に合理的であれば、聖座の投資委員会がバチカン外の銀行を利用することを認めた。

 教皇は聖職者による性的虐待の被害者である活動家たちと面談。彼らによると、教皇は、バチカンに対し虐待に対する世界的なゼロトレランス政策の採用が求められる中で、対話をすることを約束したという。フランシスコは個々の虐待被害者とは定期的に面会していたが、擁護団体や活動家グループとは距離を置いていた。

*教皇との3つの重要な謁見

 教皇の非公開謁見は、彼の関心事や懸念事項の手がかりを与えており、自身の意見をほとんど明かさないとしても、多様な意見に耳を傾ける姿勢があることを示唆している。

 3月16日、オプス・デイ運動における疑惑の不正について記した著書『Opus: The Cult of Dark Money, Human Trafficking and Right-Wing Conspiracy Inside the Catholic Church』の著者、ガレス・ゴア氏と会った際もそうだった。

 2月6日、教皇は「カレッジ・インターナショナル」の代表団と非公開で会談した。同団体は教会が運営する組織であり、「同性愛傾向を持つ人々が貞潔に生きるのを支援している」と主張している。批判派はカレッジを「反同性愛的であり、転換療法を推進している」と非難しているが、同団体はこれを否定している。

 3月5日、『Trads. Latin Mass Catholics in the United States』の著者であるスティーブン・ブリヴァントとスティーブン・クラニーと会った。彼らは、伝統的なラテン語ミサに参加するカトリック信者について調査を行っていた。教皇は、ラテン語ミサに対するフランシスコ教皇の規制をめぐる論争を十分に認識しており、古い典礼をめぐる分裂をいかに癒やすかを検討する中で、伝統主義者たちと話し合い、彼らの見解を理解したい、という意欲を示している。

*2つの差し迫った問題-「聖ピオ十世会」の司教叙階とドイツ教会の司教・信徒協議機関設立

 ラテン語ミサをめぐる争いは、来る7月1日に4人の伝統主義カトリック司教が、教皇の同意なしに叙階されることで、決着を迎える可能性がある。叙階を予定する司教たちは、分離派の伝統主義団体である「聖ピオ十世会」に所属しており、彼らの叙階は、これまでのところ教皇の権威に対する最大の挑戦となるだろう。もしこれが実行されれば、それは分裂行為に等しく、彼らの自動破門をほぼ確実なものにするだろう。

 「聖ピオ十世会」は、伝統主義カトリック全体の中では過激派グループに過ぎない。しかし、聖座と完全な交わりにある伝統主義カトリック教徒たちは、レオがどう動くかを注視している。

 その対極において、バチカンは「シノダルの道」として知られる長期的な改革プロセスを巡り、ドイツカトリック教会との重大な決裂に直面している。これは、ドイツの司教と信徒からなる恒久的な機関の創設案につながっており、統治権を司教のみに委ねるカトリックの教会論から大きく逸脱し、司教と信徒が共同で決定を下すことになる。

 バチカンはすでに、このような共同組織に反対する姿勢を明確にしており、同性カップルへの祝福を正式化するドイツ側の提案に対しても異議を唱えている。フランシスコ教皇はこれについて、非公式かつ臨機応変な範囲内でのみ認めていたが、ドイツ側の提案が最終承認のためにバチカンに提出された際、対立が生じる可能性がある。

*当面の大きな仕事はAIや他の平和・正義の問題を扱う回勅の発出

  レオが直面する最大の課題は、ドナルド・トランプ大統領との関係や米国訪問の可能性だと言う者もいるが、教皇自身はおそらく、待望の最初の回勅を挙げるだろう。今後数週間以内に発表される見込みのこの回勅は、AI(人工知能)やその他の平和・正義の問題を扱うという。

 教皇はすでに、AI革命の存在論的な重要性は、「レオ13世が世紀の変わり目に直面した労働者の権利に関する懸念と同様」と述べている。レオ13世は、画期的な回勅『Rerum Novarum(新事について)』の中で、この問題に取り組んだ。「産業革命に直面したレオ13世と同じレオを冠した教皇は、画期的な技術的変革の時代となるかもしれないこの時代に、教会が重要な役割を果たすことができる、と明確に認識している」と、 Sacred Heart Universityのダン・ロバー准教授は指摘している。

2026年5月9日

(評論)教皇は連続講話で、第二バチカン公会議諸文書を「キリストを宣べ伝え…教会を刷新する生きた指針とせよ」と呼びかけている(Vatican News)

The faithful attend a papal General Audience on May 6, 2026The faithful attend a papal General Audience on May 6, 2026  (@Vatican Media)

(2026.5.7  Vatican News   Isabella Piro)

 

    教皇レオ14世の水曜恒例一般謁見での「第二バチカン公会議」をテーマにした連続講話が、1月7日の開始から5月6日までに14回を重ねた。

 その中で教皇は、この公会議を教会の不変の「北極星」とされ、カトリック信者に対して「キリストを宣べ伝え、人間の尊厳を守り、正義と平和を促進し、福音への忠実さをもって教会を刷新するための生きた指針として、その文書を再発見するように」と呼びかけられている。

*公会議に立ち返ることは、現代の変化と課題を理解し、公正で兄弟愛に満ちた社会構築を助ける機会となる

 閉幕から61年が経過した今も、第二バチカン公会議は、世界教会にとって変わらぬ羅針盤としての役割を果たし続けている。教皇は、この確信に基づき、1月7日、公会議の文書に捧げる新たな連続講話を始められた。

 このテーマを選ばれるにあたって、教皇には二つの認識があった。「第二バチカン公会議を経験した司教、神学者、信徒の世代は、もはや私たちのそばにはいない」という認識と、「この公会議の『預言』を消し去ってはならない。その洞察を実践する方法と手段を模索し続ける必要がある」という認識だ。

 教皇は次のように説明されている―「第二バチカン公会議を知るには、伝聞や解釈を通じてではなく、公会議が発出した諸文書を読み返し、その内容について考察することが不可欠だ」と。

 公会議の諸文書に立ち返ることは、教会にとって「現代の変化と課題を理解する機会」となり、「より公正で兄弟愛に満ちた社会の構築を助ける機会」となる。その際、人類、その希望、そして不安に対して「両手を広げて、向き合い続ける」ことが求められる。

*神の神秘を明らかにするキリストの完全な人間性

  1月7日から5月6日にかけ―四旬節の黙想期間とアフリカへの使徒的訪問を除いて―教皇はこれまでに、公会議が発出した二つの憲章、『Dei Verbum神の啓示に関する教義憲章)』と『 Lumen gentium(教会憲章)』について考察されてこられた。

 前者は5回のカテキズムの焦点となっており、教皇は「公会議の最も美しく重要な文書の一つ」とされた。それは「神が人類に語りかけ、神との友情へと招いておられることを私たちに思い出させるから」だ。

 キリストは、神の人間的な顔であり、受肉から復活に至るまでのキリストの歴史的な生涯は、父なる神を完全に明らかにしている。これは人間性を貶める真理ではなく、人類を完成へと導く真理である。主が「受肉し、生まれ、癒やし、教え、苦しみ、死に、復活し、今も私たちの間に留まっている」からこそ、キリストの完全な人間性こそが神の神秘を可視化するのだ。

 ここから、聖書と伝統の統一性に基づき、教会に託された単一の「遺産」として理解される、キリスト教のダイナミックなビジョンが導き出される。

 この点に関して、教皇は二つの特定の危険に対して警告された。一つは、それらが形成された歴史的文脈や用いられた文学的様式から切り離して、聖なるテキストを解釈する「原理主義的な読み方」のリスク。もう一つは、聖書の神的な起源を見落とし、それを「単なる人間の教え」、あるいは「技術的に、あるいは時代的に遅れたテキスト」に還元してしまうリスクだ。

 教皇は、「福音書は『神があらゆる時代の男女に語りかけ続ける、特権的な出会いの場』として理解されねばならない」と強調された。空虚な言葉に溢れた世界において、神の言葉は常に新しく、命を与え、意味と真理を求める人類の渇きを癒やすことができるものとして際立っているのだ。

 

 

*貧しい人々、搾取された人々、そして犠牲者を支える教会

 2月18日からは、教皇は「教会憲章」にテーマを移され、これまでに8回の考察をなさった。それらを通じて、教会は、「諸民族間の統一と和解の有効なしるし」として、また分裂や紛争によって「依然として分断された人類のただ中にあって聖化をもたらす存在」として浮かび上がる。

 人間の尊厳を傷つけるあらゆるものを拒絶し、「はっきりと語る」という使命を託された教会は―教皇が強調したように―貧しい人々、搾取される人々、犠牲者、そして苦しむすべての人々を守るために「立ち上がる」よう召されている。さらに、終末論的な次元において、教会はこれからの道を照らす希望の守護者なのだ。

 

 

*一致を通じた福音の証人

 また、教会生活の二つの側面―階層的側面と終末論的側面―も、教皇の考察の中心的な位置を占めている。

 前者は、「決して絶対化されることなく、キリストが使徒たちに託した使命を永続させるために存在」する。そして、教会の制度がその使命に完全に忠実であり続けるためには、「絶え間ない回心、形態の刷新、そして構造の改革」に努めねばならない。

 後者―「本質的」と形容されるもの―は、信者に対し、「キリストにおける救いの共同体的かつ宇宙的な次元」を考察し、この視点に照らして万事を評価するよう求めている。

 

*信者は、正義と平和の証人となれ

 

 教皇はまた、「正義と平和のより力強い証人となるよう召されている信者たち」に特に目を向けられ、彼らの使徒活動の「広大な場」は、「教会の枠内に閉じ込められるべきではなく、世界へと広がり、あらゆる場所でキリスト教生活の素晴らしさを明らかにすべきだ」とされた。

 最後に、教皇は「聖性」というテーマに戻られ、「聖性は、選ばれた少数の者の特権ではなく、愛を通じたすべてのキリスト者の召命です」と強調。

 そして、世の試練や迫害の中にあっても、「信仰と愛のしるし」を残すよう信者たちを励まされ、正義に身を捧げ、回心と証しの使命を日々実践していく必要を説かれている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年5月8日

(評論)教皇レオ14世、在位1年ー400回を超える平和への呼びかけ(Vatican News)

Pope Leo releases a dove as a symbol of peace in Cameroon
Pope Leo releases a dove as a symbol of peace in Cameroon   (@Vatican Media)

    2025年5月8日の教皇就任から1年、教皇レオ14世はこの間、「非武装かつ武装解除をもたらす和解」を数百回にわたり呼びかけ、「戦争の支配者たち」に対し、「私たち自身よりも偉大な旋律」に耳を傾けるよう促されてきた。

 「非武装かつ武装解除」。教皇世は、在位開始の2025年5月8日の夕暮れ時、この言葉で自身の平和像を語られた。

 そして、主のご降誕の日の朝、「それは、『停戦から生まれる武器の沈黙』ではありません」とされ、”国際地政学による脆弱な諸合意”からさらに明確に距離を置かれた。

 そのような合意は、和解へのあらゆる呼びかけを、否定的な意味での「武装解除」のように見せてしまう危険を孕んでいる。人々が反応し、応答し、抵抗する意志を奪ってしまうのだ。それは人々の心に染み込み、言葉の意味を空虚にしてしまう恐れのある「大きな倦怠」だ。

 12月25日のUrbi et Orbi(ローマへ、そして世界へ)の祝福のメッセージで教皇は詩人イェフダ・アミハイに触発された「野生の平和」という地平を示され、「それは、コンクリートのひび割れから、一見素朴に見えながらも頑固に生い茂る野の花のように、突然、芽生える和解。その調和が訪れますように。野原にはそれが必要だからです」と訴えられた。

 

*「『平和』は、その旗の下に安住するものではない」

 

 教皇が在位1年の間になさった挨拶や講話の中に、「平和」という言葉が400回以上登場している。この言葉は様々な文脈で使われており、その始まりは、パウロ6世ホールで行われた教皇の最初の会見に出席した報道関係者に対してだった。

 「皆さんは最前線に立っています」と教皇は語り、戦争を報道し、その中に潜む和解への願いを明らかにする役割について言及され、記者団に対し、「私たちが時に陥ってしまう『バベルの塔』から、愛のない言語―しばしばイデオロギー的あるいは党派的な―の混乱から、私たちを導き出すことのできる情報伝達」を促進するよう求められた。

 平和は、その旗の下に安住するものではない。何よりも、平和とは無邪気なものではない。したがって、「戦争の支配者たち」が、「破壊には一瞬で済むが、再建には一生かかっても足りないことが多い」という事実を知らないふりをするのは無意味だ。また、彼らが「殺戮と破壊には数十億ドルが必要である一方で、人々を癒やし、教育し、立ち直らせるために必要な資源は見つからない」という現実を見ないふりをするのも無意味だ、と。

 教皇は、「死の商人たちの懐に入る金銭の額に、人々は気づき始めています」と東方諸教会援助機関連合(ROACO)の総会参加者との会見で指摘され、「新しい病院や学校を建設するために使われるべき資金が、逆に既存の施設を破壊するために使われているのです!」と強く批判された。

 

 

*「『和解』は絶望と涙と悲惨さだけを糧とする人々に寄り添うものだ」

 バチカンでの最初の「平和」への言及から、先月のアフリカ歴訪、カメルーン・バメンダの聖ヨセフ大聖堂で行われた地域社会との「和解」を促進するための会合での言葉に至るまで、教皇の共生のメッセージは、異なる時間的・地理的次元を超えて広がっている。

 とりわけ、教皇が呼びかける「和解」は、「戦争の支配者」たちが「死の行為」を決定する宮殿の高みを超え、「絶望と涙と悲惨さだけを糧とする」人々の、荒廃し無力な身体へと寄り添うものだ。そして、これらの言葉は、国連食糧農業機関(FAO)の本部で響き渡り、紛争がもたらす数多くの悲劇的な副産物の一つである「飢餓」を想起させた。

  心を込め、近く寄って、身をかがめ、捧げる―聖木曜日の『in Coena Domini(主の晩餐)』ミサの説教で述べられたように、奉仕において全能なる神の姿を提示する。

*「神は、戦争を仕掛ける者たちの祈りに耳を傾けない」

 3月末から4月初旬にわたる今年の聖週間そのものが、教皇による平和への訴えのハイライトの一つとなった。

 聖週間の始まりとなる「受難の主日(枝の主日)」の朝、教皇は、「神の名において戦争を正当化できる者は、誰一人としていません」と改めて強調。「神は、戦争を仕掛ける者たちの祈りに耳を傾けず、こう言ってそれを拒まれます。『たとえあなたがたが祈りを重ねても、私は聞かない。あなたがたの手は血にまみれているからだ』と」と語られた。

 ペトロの後継者として、教皇は、戦争の傷跡に身をかがめる。教皇は「下から上を」見上げると同時に、自らと自らの権力を「声なき、目なき、耳なき偶像」とするために「生ける神に背を向けた」ために「死に奴隷とされた」者たちの上に立ち上がっておられる。

 このように、教皇の言葉は、平和の全貌を網羅しているのと同様に、今日の紛争を助長する偶像についても、何一つ取り残さない。「権力への渇望でなければ、それは往々にして金銭への渇望です」-教皇は、モナコ公国への訪問中にそう述べられた。

 

 

 

 

カメルーンで平和の象徴として鳩を放つ教皇レオ (@Vatican Media)

*「『調和』は、神の愛のメロディーに導かれることを可能にする」

 

 聖週間に、平和の賜物を呼び求めるために語られた言葉は重みのあるものだったが、それとは対照的に、軽やかさをも兼ね備えた「調和」の概念によってバランスが取られていた。教皇は、レバノンでの訪問を振り返り、音楽のリズムに合わせて踊るためだけに大地を踏むような「調和」について話された。

 「それは内なる動きが外へと流れ出し、私たち自身よりも偉大なメロディー、すなわち神の愛のメロディーに導かれることを可能にするようなものです」と述べられ、他国とは比べものにならないほど戦争の苦しみを感じているこの国の人々を安心させた。

 踊りと旅の間にあって、教皇には、「平和」とは到達すべきものであり、いつの日か必ず達成される、という確信がある。そうでなければ、教皇が第59回世界平和の日のために選んだテーマ、「『非武装であり、軍縮をもたらす』平和へと向かって」という言葉は、その意味を失ってしまうだろう。

*「世界の指導者たちは、軍縮への大胆さを持つように」

 教皇の訴えは、紛争という具体的な現実と、その最も明白な引き金の一つである軍拡競争に触れている。

 ご自身が指摘されているように、2024年の世界の軍事費は9.4%増加し、10年間にわたる途切れない傾向を裏付ける形で、2兆7180億ドル、すなわち世界のGDPの2.5%に達した。

 「剣を捨てよ!」と教皇は世界の指導者たちに呼びかけ、イエスの言葉を引用しつつ、2025年10月の平和のためのマリアの徹夜祈祷集会で、「軍縮への大胆さ」を持つよう促された。

 「今日、武器は変化しています。剣からドローンへと変わり、戦争の姿を『ビデオゲームのシナリオ』に歪めている。だが、戦争は依然として、私たちが決して慣れ親しむべきではない現実だ」-教皇は2025年6月18日の一般謁見の終わりに強く訴えられた。

 

 

*「スポーツと文化は和解の手段」

 「法に対する無関心」を避けるための創造的な方法を見出す必要がある。教皇がまさにそのような交わりの手段の一つを特定するために書簡を書かれた。それはスポーツの価値であり、競技において―しかし何よりも人生において―「転倒は決して最終的な結末ではない」と教えてくれるものだ。

 教皇2025年9月3日の一般謁見において、キリスト教徒自身も、力によって悪に打ち勝つのではなく、「愛の弱さを完全に受け入れることによって打ち勝つのです」と説かれた。

 交わりはまた、黙想や学問の価値を通じても実現され、教皇はイタリアの司教団に対し、「非暴力の教育の道」を推進するよう求められた。平和について語る中で、教皇は教育と結びついた「政策の再調整」の必要性を認め、それは「20世紀に得られた認識」を保持し、その数百万の犠牲者を忘れないような「記憶の文化」を奨励された。

 「何世紀にもわたる歴史を経て、どうして戦争行為が、平和をもたらし実行した者たちに跳ね返ってこない、などと信じられるでしょうか?」と、教皇は再びROACO(ラテンアメリカ・カリブ海地域司教協議会)に向けて問いかけられた。

 「光」さえも、すべては忘れ去られてしまうもの。そして、そうしてこそ「野生の平和」が訪れる。コンクリートの真ん中に咲く、その不屈の花は、人を魅了する美しさを湛えているのだ。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年5月8日

(評論)イラン問題で顕著になったトランプ米大統領と教皇レオ14世の対立とこれまでの経緯

(2026.4.14  Crux   Bill Barrow, Associated Press)

 学識豊かで物腰の穏やかな聖職者、教皇レオ14世と、好戦的で闘争的な政治家、トランプ米大統領は、これまでも言葉の応酬を繰り返してきた。それが今や、イラン戦争をめぐる意見の相違は急速に激化し、両者がこの戦争とその影響をいかに異なる視点で捉えているかを浮き彫りにしている。

 大統領は12日、ソーシャルメディアで教皇を「弱腰」であり「急進的左派」の虜になっている、と決めつけ、教皇の地位は自分のおかげであるかのような示唆さえした。一方、教皇は大統領のイランに対する脅しを「容認できない」と断じ、信徒たちに戦争と平和に関する聖書の記述や教会の教義を説き、自分の使命は、大統領とは全く無関係だ、と記者団に説明した。

 「私はトランプ政権を恐れてはいない」と教皇は13日、アフリカへ向かう機中で記者団から質問を受けて語った。また、「教会が取り組んでいる福音のメッセージについて、声を大にして語ることも恐れてはいない」とも述べた。

 これは、世界で最も影響力のある二人の人物-いずれも米国人―が関わる異例の光景だ。彼らがこの局面に至った経緯を振り返ると…

*レオ14世は、教皇就任前から物怖じせずに発言していた

 2022年にロシアがウクライナに侵攻した際、将来の教皇、プレヴォストはペルーの司教だったが、モスクワに明確な責任を問うことを躊躇しなかった。ペルーの番組「ウィークリー・エクスプレッション」で、プレヴォストは「ウクライナの戦略的な立地に着目したロシアが、相手国の領土を征服しようとする帝国主義的侵略」と批判。

 こう発言した映像は、2025年5月8日に彼が教皇に選出された直後、イタリアのメディアで再び取り上げられた。

 2025年初頭、当時のプレヴォスト枢機卿はソーシャルメディアを通じて、改宗カトリック教徒であるJ・D・ヴァンス米副大統領を批判するニュース分析を共有した。同副大統領は、キリスト教が他者への配慮に優先順位を定めており、家族、身近なコミュニティ、同胞を外国人より優先すべきだと主張し、厳しい移民政策を正当化していた。

 「JD・ヴァンスは間違っている。イエスは他者への愛に順位をつけるよう求めてはいない」―将来の教皇が共有した見出しには、そう書かれていた。 カトリックの司教たちは地元のメディアで頻繁にコメントしており、中には相当な影響力を持つ者もいる。しかし、公共政策や政治についてどれほど詳細に言及するか否かは、人によって大きく異なる。

 多くの司教たちは、教会の教義や価値観に関する大まかな声明にとどめ、個々の政治家と対立するような立場を取ることを避けている。ペルーでの発言、そしてローマで枢機卿として行った珍しいリツイートを通じて、プレヴォストは世界情勢に精通しており、批判においてかなり率直になることを厭わない姿勢を示したのだ。

 

*トランプはプレヴォストの教皇選出を「大いなる名誉」と讃えた

 

 「ロバート・フランシス・プレヴォスト枢機卿が教皇に任命されたことを祝う」と、トランプは2025年5月8日にソーシャルメディアに投稿した。「彼が初のアメリカ人教皇であることを実感すること。これほど光栄なことはない。なんと興奮することか、そしてわが国にとってなんと偉大な名誉なことか。教皇レオ14世に会うのを楽しみにしている。それは非常に意義深い瞬間になるだろう!」と。

 その後、トランプはホワイトハウスで、レオの選出について「我々は少し驚いたが、非常に喜んでいる」と述べた。そして、次の日には、それを自分の手柄として吹聴した。「彼は教皇候補のリストには載っていなかった。彼が米国人だという理由だけで、カトリック教会は彼を候補に挙げたのだ。それが『トランプ大統領に対処する最善の方法だ』と考えたのだ」とも。

 トランプはレオを、愛国主義的な誇りと忠誠心の観点から捉えている。レオとの会談(未だ実現していない)への即座の言及は、たとえ政治的に自然な組み合わせでなくとも、権力や有名人に対するトランプの典型的な傾倒を反映していた。また、トランプの発言には、レオの出身、背景やバチカンと米国の関係に関する微妙なニュアンスが一切反映されていない。

 枢機卿団は歴史的に米国を多少懐疑的な目で見ている。それは、米政府の軍事・経済政策が世界、とりわけ貧しい国々に与えてきた影響のためであり、また世界一の超大国出身者に教皇の座を与えることへの一般的な抵抗感があるためだ。

 教皇は米国で育ち、教育を受け、司祭に叙階されたが、その後、長い間、南米の貧困地域を含む米国以外の国で教会の指導者として活動した。「彼は米国人の中で最も米国人らしくない人物だ」と、シカゴのカトリック神学連合大学のスティーブン・ミリーズ教授は語った。同大学で若き日のレオは神学修士号を取得している。

*教皇は就任当初から、戦争と平和に関する教会の教えを体現していた

 

 「 『あなたがた皆に平和があるように…』-これは、神の群れのために命を捧げた善き羊飼い、復活したキリストの最初の挨拶です」-これが、聖ペトロ大聖堂のバルコニーから教皇が語った最初の言葉だった。

 そして、最初の日曜日の祝福のために再びバルコニーに立った時、彼はロシアによるウクライナ侵攻とイスラエル・ガザ間の暴力に言及し、「断片的な第三次世界大戦」だと非難した。その翌日、記者団との会見の冒頭で、イエスの言葉を引用し、「 『山上の説教』で、イエスはこう宣言されました―『平和をつくる者は幸いである』と」と述べた。

 教皇の就任当初の発言はすべて、イエスの中心的なメッセージとして「平和」を強調しており、教皇在任中の主要なテーマとなるだろうことを予見させていた。ウクライナ、ロシア、イスラエル、パレスチナへの言及を加えたことは、理論にとどまらず、教義を世界中の人々に起きている現実に応用しようとする彼の意志を裏付けていた。

 

*教皇は米国との結びつきを強調することには慎重だった

 平和に関する教皇就任後の最初の声明の言葉と同様に重要だったのは、多言語を操る教皇が用いた言語だ。どれもが英語ではなかった。

 聖ペトロ広場での世界に初登場した時、教皇はイタリア語で話し始め、その後、自身が司牧を務めたペルーのカトリック信者や市民に向けてスペイン語を用いた。日曜日の祝福はイタリア語で行われた。彼は記者団に対し、シカゴ出身者特有の訛りを残しつつ英語で簡潔に挨拶したが、すぐにイタリア語に切り替えて発言を続けた。最近の記者との会見でも、レオはまずイタリア語で話し始め、その後英語で答えている。

 ラテン語とイタリア語はバチカンの公用語だから、教皇が”現地語”を話すのは当然のことだ。しかし、多言語を操る彼にとって、流暢なイタリア語やスペイン語を使うことは意識的な選択だ。それは、彼が14億人の信徒を抱える世界的な組織の指導者であることを強く印象付けている。

 「彼は、米国側の人間として、あるいは米国人としての権威に頼っているように見られたくないのだと思う」と、カトリック大学のウィリアム・バルビエリ教授は述べた。「彼は教会の名において語りたいのです」。

 

 

*聖週間と復活祭が露呈した溝

 

 今月のキリスト教徒がイエスの復活を祝う復活祭の頃、トランプはイランへの脅しをエスカレートさせた。教皇は、受難の主日のメッセージで、イエスを「平和の王」と呼び、神は「戦争を仕掛ける者たちの祈りに耳を傾けることはなく、むしろ『たとえ多くの祈りを捧げても、私は聞かない。あなたの手は血にまみれているからだ』と言って拒絶する」と述べた。

 トランプは聖週間の行事に際し、保守派の宗教指導者たちをホワイトハウスに招いた。彼の精神的な助言者であるポーラ・ホワイトは、大統領をイエスに例え、「二人とも、迫害を受けながらも耐え抜いた人物だ」と讃えた。

 ローマでは、教皇が他者の足を洗った。これは、聖書の最後の晩餐の物語に記録されたイエスが弟子たちに対して行った行為に倣ったものだ。記者団に対し、教皇は初めてトランプに名指しで言及し、「大統領がイラン問題において『出口』を模索することを望む」と述べた。復活祭当日、トランプはイランの民間インフラへの大規模な爆撃や「文明全体の根絶」をほのめかした。教皇は、その脅しを「真に容認できない」と非難した。

 両者の著しく異なる視点と性格、そしてイラン戦争の深刻さが相まって、「トランプとレオが直接対決を避ける」という観測や可能性は、ついに完全に剥ぎ取られた。

*トランプは依然として教皇レオ14世を”国内の政敵”として扱っている

 教皇レオ14世を「弱腰」などと非難する4月12日の投稿で、トランプ大統領は「私は、米国大統領を批判するような教皇は望まない。なぜなら、私は『圧勝』して選ばれた通りのことを実行しているからだ」と述べた。さらに、「(教皇は)政治家ではなく、偉大な教皇であることに専念すべきだ」と付け加えた。

 一方、教皇はアルジェリアに向かう13日の機中で記者の問いに「自分は政治家として発言しているのではない」と改めて答えた。「私のメッセージを、大統領が試みていることと同列に置くのは、福音のメッセージを理解していないからだと思う」と語った。「(大統領がそのように言われたと)聞かされて残念だが、私は、今日の世界における教会の使命だ、と信じることを続けていく」とも。

 教皇職にとって、これは極めて異例な事態だ。教皇たちは通常、世俗の政治家の名前を具体的に挙げることなく、世界情勢についてコメントする。また、トランプ氏は敵とみなした相手には日常的に攻撃を仕掛けるが、教皇を相手にした構図は大統領にとっても珍しい。今回、トランプ氏は、大統領が示すような条件を受け入れず、そのような政治的な圧力もほとんど受けていない人物を相手にしているのだ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。
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2026年4月14日