■2023年1月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 教育に携わる人たちのために

*教育に携わる人たちが、信頼される証し人となって、競争ではなく友愛を育みながら、とりわけ幼く傷つきやすい者の助けとなることができますように。

(2023.1.10 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、2023年1月の祈りの意向について、次のビデオメッセージをおくられた。

 「私は教育に携わる人たちに新しい教育科目を加えるよう提案したいと思います。それは友愛です。教育は、最も弱い立場の人たちを無視することがないよう、私たちが友愛の意味を取り戻すための、その歩みを照らす愛の行為です。教育者は、自分の知識だけでなく、自分の信念、生きた関わりを証しする人です。教育者とは、頭と、心、手の、3つの言語をうまく扱える人です。そして、より注意深く耳を傾けられ、共同体の作り手となる人々です。なぜでしょうか。なぜなら、彼らはこの証しの種をまいているからです。祈りましょう。教育にたずさわる人たちが、信頼される証し人となって、競争ではなく友愛を育みながら、とりわけ幼く、傷つきやすい人たちの助けとなることができますように。

日本の教会の意向: 世界の平和のために

*聖ヨハネ・パウロ二世が教えてくださった「戦争は人間のしわざ」を思い起こさせてくださいますように。

2022年12月29日

【12月の教皇と日本の教会の祈りの意向】

教皇の意向: 非営利団体のボランティアのために

*人間開発に携わる非営利団体のボランティアが、共通善に献身する人々に出会い、国際協力の新しい道を常に探し出すことができますように。

 教皇フランシスコは、この祈りの意向をめぐり、ビデオメッセージで次のように話された。(2022.12.1 バチカン放送)

  「世界は、共通善の追求に取り組むボランティアや組織を必要としています。そうです。今日、多くの人が消し去ろうとしている言葉、それは『献身』です。連帯に満ちたボランティアとなることは、私たちを自由にします。私たちを他者の必要、正義の要求、貧しい人の擁護、被造物の保護へと開きます。それは、眼差しや、注意深い傾聴、寄り添いをもって『慈しみを作り出す人』になるということです」

「ボランティアであるとは、あなたが奉仕する人々と一緒に働くということです。人々のためだけではなく、人々と共にです。人々と共に働くということです。ボランティア組織の仕事は、組織間や国々との協力のもとに働く時、より効果を発揮します。共に働くことで、限られたリソースにもかかわらず、最良を尽くし、希望を増やす、という奇跡を実現できるのです。私たちには希望を増やしていくことが大いに必要です」

「祈りましょう。人間開発に携わる非営利団体のボランティアが、共通善に献身する人々に出会い、国際協力の新しい道を常に探し出すことができますように」

日本の教会の意向: 苦難の中にある子どもたちのために

*いじめやさまざまな虐待の犠牲となった子どもたちに、幼子イエスの愛と恵みが注がれ、ふさわしい援助を得ることができますように。

2022年11月30日

■11月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 苦しんでいる子どもたちのために

*苦しんでいる子どもたち、とりわけ家を失ったり、孤児となったり、戦争の犠牲となった子どもたちが、教育を受けることを保証され、また家庭の愛に触れる機会に恵まれますように。

(2022.11.1 バチカン放送)
 教皇フランシスコは、2022年11月の祈りの意向について、ビデオメッセージをおくられ、次のように語られた。

**********

いまだに無数の少年少女たちが奴隷に近い状態を生き、苦しんでいます。

彼らは単なる数字ではありません。それぞれの名前と顔、神から与えられたアイデンティーを持った人間です。

あまりにもしばしば、私たちは自らの責任を忘れ、搾取されるこれらの子どもたちを前に目を背けてしまいます。彼らには遊び、勉強し、夢を見る権利もありません。家庭の温かささえ知ることがありません。

疎外され、家族から見捨てられ、教育も医療ケアも受けられない子どもたち一人ひとりが、一つの叫びです。その叫びは神に上げられ、私たち大人が築き上げたシステムを訴えています。

見捨てられた子どもは、私たちの責任です。

子どもたちが一人ぼっちで見捨てられたように感じることがこれ以上あってはなりません。神が彼らを決してお忘れにならないことを知るために、教育を受け、家族の愛を感じる必要があります。

祈りましょう。苦しんでいる子どもたち、とりわけ家を失ったり、孤児となったり、戦争の犠牲となった子どもたちが、教育を受けることを保証され、また家庭の愛に触れる機会に恵まれますように。

(編集「カトリック・あい」)

 

 

日本の教会の意向: 海外宣教者のために

*海外で宣教活動に従事する司祭、修道者、信徒が、厳しい状況にあっても、主に対する信頼と希望に支えられて、奉仕する力を保ち続けることができますように。

2022年10月30日

■10月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: すべての人に開かれた教会であるように

*信仰にあふれ、福音を宣べ伝える力に満ちた教会が、連帯、友愛、歓待の共同体として、常にシノドス(世界代表司教会議)の雰囲気のうちに生きることができますように。

 

 

(2022.10.3 バチカン放送)教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオメッセージで次のように話された。

・「シノドスをする」とはどういうことでしょうか。それは「共に歩む」ということです。「シノド」とは、ギリシア語で「共に歩む」こと、「同じ道を歩む」ことを意味します。  そして、これが第三千年期の教会に神が望まれていることです。歩む民として、共に旅する自覚を取り戻すことです。

・シノドス的なスタイルを持った教会は、耳を傾ける教会、ただ聞くのではない、傾聴する教会です。 多様性のうちに互いに耳を傾け合い、教会の外にいる人に扉を開くことです。 それは意見を集めることでも、議会を設けることでもありません。シノドスは調査ではありません。「主役である聖霊に耳を傾けること」「祈ること」です。祈ることなしに、シノドスはありえません。

・寄り添う教会となるために、この機会を有効に用いましょう。「寄り添い」とは神のスタイルです。そして、注意深く耳を傾け、”シノドスの道”を歩んでいるすべての神の民に感謝しましょう。

・祈りましょう。信仰にあふれ、福音を宣べ伝える力に満ちた教会が、連帯、友愛、歓待の共同体として、常にシノドス(世界代表司教会議)の雰囲気のうちに生きることができますように。

(編集「カトリック・あい」)

 

 

 

日本の教会の意向: 医療従事者のために

*医療従事者のために祈ります。コロナ禍の中で、病床にある人や高齢者のために働く人々が、看護や介護を通して神の愛を伝えることができますように。

2022年9月30日

■9月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 死刑の廃止のために

人間の尊厳を侵害している死刑制度が、すべての国で法的に廃止されますように。

(2022.9.1 バチカン放送)

教皇フランシスコは、この祈りの意向をめぐり、ビデオの中で次のように述べられた。

**********

世界では、死刑制度への反対が日々広がっています。教会にとって、これは希望のしるしです。

法的に見て、死刑制度は必要ではありません。社会は、犯罪者が自らの罪をあがなう可能性を完全に取り上げることなしに、犯罪を効果的に抑制することができます。

すべての法的判決は、希望の窓であるべきです。死刑は犠牲者に正義をもたらすことなく、むしろ復讐を促します。そして、起こりうる誤審を償うあらゆる可能性を妨げてしまいます。

また、別の面から言えば、死刑は、生命という私たちが受け取った最も大切な賜物を壊してしまう意味で、倫理的に受け入れられません。

最後の瞬間まで、人は回心、し変わることができる、ということを忘れないようにしましょう。福音の光に照らして、死刑制度は認めがたいものです。「殺してはならない」という戒めは、無実の人にも、罪のある人にも言えることなのです。こうしたことから、全世界における死刑制度廃止のために力を合わせるよう、すべての善意の人にお願いします。

祈りましょう。人間の尊厳を侵害している死刑制度が、すべての国で法的に廃止されますように。

 

 

 

日本の教会の意向: 高齢者について

高齢者が、社会でも、教会の中でも、それぞれの役割を通して、生き生きと生活できますように。

2022年8月31日

■8月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 小規模事業のために

*中小規模の事業体が、経済的社会的危機にあっても、その事業を継続する道を見い出し、地域社会に奉仕することができますように。

(2022.8.2 バチカン放送)

教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオメッセージの中で次のように話された。

「新型コロナの世界的感染と戦争の影響で、世界は社会的、経済的な大きな危機に直面しています。私たちはまだそれを理解していません。これによる深刻な被害を受けた人々の中には、中小企業家たちがいます。それは、商業、手工業、清掃、運送、その他、多くの分野の人たちです。彼らは高額所得者や権力者のリストには出てこない人たちです。しかし、困難にもかかわらず、自らの社会責任を果たしながら、雇用の機会を生み出しています。資産を納税回避地に隠したりせず、共通善に投資する人々です。彼らは皆、底辺から、いつでもより良い創造性が生まれてくる場所から、物事を変えるために、非常に大きな創造力を捧げています。勇気と努力、犠牲をもって、幸福と機会と仕事を生み出しながら、人生に投資しています。祈りましょう。中小規模の事業体が、経済的社会的危機にあっても、その事業を継続する道を見いだし、地域社会に奉仕することができますように」(編集「カトリック・あい」)

 

日本の教会の意向: 世界の平和

*戦争、内戦が続く国々や地域、とくにミャンマー、シリア、パレスチナ、アフガニスタンの人々に平和と安定がもたらされますように。

2022年7月30日

7月の教皇と日本の教会の祈りの意向

 

教皇の意向: 高齢者のためにー7月24日は教会の「高齢者のための祈願日」

*ルーツと記憶を体現する高齢者の知識と経験が、希望と責任をもって将来を歩む若者の助けとなりますように。

 (2022.6.30 バチカン放送)
 教皇フランシスコは2022年7月の祈りの意向について、ビデオメッセージをおくられた。内容以下の通り。

 「私たちの中にいる高齢者の重要性を語らずして、家庭について話すことはできません。歴史の中で、私たち人類がこれほどまで多かったことはありません。しかし、この新しい人生の段階をどのように生きたらいいのか、についてはよく知られていません。高齢者を支援する計画は多くても、高齢者の人生のための計画はあまりないのです。高齢者は、いたわりや、内省、愛情に対し、しばしば特別な感受性を持っています。すでに”優しさの師”、あるいはこれから優しさの師になれるかもしれません。戦争に慣れたこの世界にあって、私たちは真の”優しさの革命”を必要としています。これについて、私たちは新しい世代に対して大きな責任を負っています。祖父母とお年寄りたちは、私たちの生活を育む糧、人々の隠れた知恵です。それゆえに、お年寄りたちを記念することは素晴らしいことです。こうして、私は高齢者たちに捧げる日を創設しました。高齢者たちが”優しさの師”となれるよう祈りましょう。ルーツと記憶を体現する高齢者の知識と経験が、希望と責任をもって将来を歩む若者の助けとなりますように」。

 

日本の教会の意向: 社会的孤立の予防

*分断されていく社会の中で孤立する人々、社会から切り捨てられていく人々に寄り添い、人とのきずなの中で生きる喜びを分かち合うことができますように。

2022年6月30日

6月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 家庭のために

*全世界のキリスト者の家庭が、無条件の愛を身をもって体験し、日々の生活の中で聖性を高めていくことができますように。

 (2022.6.2 バチカン放送)

「家庭は共に生きることを学ぶ場所です。それは最も若い人も、最も高齢の人も一緒に生きることです。一緒にいることを通して、若者、お年寄り、大人、子供たちが、違いの中に一致しながら、その生活の模範をもって福音を告げるのです。もちろん、完璧な家族は存在しません。いつも何らかの問題はあるものです。しかし、心配はいりません。過ちを恐れてはいけません。前進するために、過ちから学ぶ必要があります。神が私たちと共にいてくださることを忘れてはなりません。神は、家庭に、私たちが住む町に、私たちと一緒におられます。そして、神は私たちを注意深く見守り、荒れた海で舟が揺れるたびに、私たちと共にとどまってくださいます。家庭における愛は、私たち一人ひとりにとって、聖性への固有の道です。そのために、今月の世界家庭大会に合わせて、私はこのテーマを選びました。祈りましょう。全世界のキリスト者の家庭が、無条件の愛を身をもって体験し、日々の生活の中で聖性を高めていくことができますように」

 

 

日本の教会の意向: 地球環境保護

*人間の活動による環境破壊や気候変動の影響による自然災害の被害にあった人々を支援し、地球環境を保護する取り組みを推進していくことができますように。

2022年5月31日

5月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 信仰豊かな若者のために

・すべての若者が自らの召命を充分に生きることができるよう祈ります。よく聴き、深く識別し、信仰を貫き、奉仕に献身した聖母マリアの生き方を知ることができますように。

 5月の祈りの意向についての教皇フランシスコのビデオメッセージの言葉は次の通り。(2022.5.3 バチカン放送)

  「家庭について語るにあたり、まず若者たちに言葉を向けたいと思います。若い皆さんが共感できるような模範を考える時、私たちの母、マリアの姿が、その勇気、耳を傾ける力、献身的な奉仕と共にいつも頭に浮かんできます。

マリアは勇気と決意をもって、主に『はい』と答えました。何か新しいもの、より良い世界を築きたいと思う若者の皆さん、マリアの模範に倣い、リスクに挑戦しましょう。マリアに従うには、皆さんが可能と思うことではなく、イエスが何を皆さんにお望みなのかを、識別し発見しなくてはなりません。

そして、この識別において、皆さんの祖父母の言葉に耳を傾けることが大いに役立ちます。皆さんは祖父母の言葉の中に、今の問題を乗り越えるための知恵を見出すことができるでしょう。それらの言葉は皆さんの不安に対し、もっと大きな見方を与えてくれるでしょう。

兄弟姉妹たちよ、祈りましょう。すべての若者が自らの召命を充分に生きることができますように。よく聴き、深く識別し、信仰を貫き、奉仕に献身した聖母マリアの生き方を知ることができますように」

 

 

日本の教会の意向: 困窮者との連帯

・経済的な格差が広がる社会の中で、周縁に追いやられた人々と連帯し、支援していくことができますように。

2022年4月30日

4月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 医療従事者のために

*病者や高齢者のために、とりわけ最貧国で奉仕する医療従事者が、政府や地方自治体から適切な支援を受けることができますように。

 教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオメッセージで次のように話された。(2022.4.5 バチカン放送=編集「カトリック・あい」)

 「今月は医療従事者のために祈りましょう。 パンデミックは、医療従事者の献身と寛大さを私たちに示しました。これらの人々は、ボランティア、医療の世界で働く人々、司祭、修道者たちです。

一方で、このパンデミックは、すべての人が公共の良い医療システムにアクセスできるわけではないことをも明らかにしました。最も貧しい国々、弱い立場にある国々は、人々を苦しませ続ける多くの病気のために必要な治療を受けることができません。多くの場合、これはずさんなリソース管理や、真摯な政治的努力の欠如によるものです。

こうしたことから、皆がアクセスできる良い医療サービスは一つの優先課題であることを忘れないよう、世界のすべての国々の政府にお願いしたいと思います。

また、医療サービスとは単なる組織ではなく、他者の健康をケアするために人生を捧げる人々をも含んでいること、また、彼らがこのパンデミックで多くの患者の回復のために自らのいのちをも捧げたことを思い出したいと思います。

祈りましょう。病者や高齢者のために、とりわけ最貧国で奉仕する医療従事者が、政府や地方自治体から適切な支援を受けることができますように」

 

 

日本の教会の意向: 家庭

*すべての家庭の平安のために祈ります。とりわけ、悩みを抱え、きずなが揺らいでいる夫婦が互いに歩み寄り、和解への糸口を見出すことができますように。

2022年3月31日

◇3月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の祈りの意向: 生命倫理の課題へのキリスト者の対応

・キリスト者が直面している生命倫理の新しい課題のために祈ります。祈りと活動を通して、命の尊厳を守り続けることができますように。

(2022.3.9 バチカン放送)教皇フランシスコは9日、この祈りの意向について、ビデオメッセージの中で次のように述べられた。

「生命倫理の課題にキリスト教的回答を与えることができるように祈りましょう。 キリスト者が直面している生命倫理の新しい課題のために祈ります。祈りと活動をとおして、命の尊厳を守り続けることができますように。

科学は明らかに発展し、今日、生命倫理は、回答すべき一連の問題を、私たちに突きつけています。ダチョウのように頭を砂の中に隠すわけにはいかないのです。バイオテクノロジーの応用は、常に人間の尊厳を尊重することから始めなくてはなりません。たとえば、ヒト胚を使い捨ての素材のように扱い、”使い捨ての文化”に入れられることはあってはなりません。”使い捨ての文化”は、多くの被害をもたらします。

経済的利益が、生物医学の研究を左右することがあってはなりません。より深い繊細な識別をもって、大きな変化が起きようとしていることを理解しなければなりません。

科学技術の進歩を止めよう、と言っているのではありません。それを注意深く見守ること、人間の尊厳と進歩の両方を保護することが必要なのです。別の言い方をするなら、人間の尊厳を手放して、技術の進歩を得ようとしてはならない。双方が調和し合いながら、共にあることが重要なのです。

キリスト者が直面している生命倫理の新しい課題のために祈ります。祈りと社会的活動を通して、命の尊厳を守り続けることができますように」

(編集「カトリック・あい」)

 

 

 

日本の教会の祈りの意向: 召命

・私たちが、それぞれの職場や家庭の中で、自分に委ねられた召命を生きることができますように。

2022年2月28日

2月の教皇と日本の教会の祈りの意向

■2月

教皇の祈りの意向: 修道女と奉献生活に召された女性

修道女と奉献生活に召された女性の使命と勇気に感謝し、祈ります。現代のさまざまな課題について新しい対応を探し続けることができますように。

 (2022.2.2 バチカン放送)

教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオメッセージの中で次のように述べられた。

「今月は、特に修道女と奉献生活に召された女性たちのために祈りましょう。

修道女や在俗奉献者たちのいない教会とはいかなるものでしょうか。彼女たちのいない教会を考えることができません。

私たちが生きるこの世の挑戦を前に、使命のために善きものを識別し、選択することを、すべての奉献生活者たちに励ましたいと思います。

貧しい人々、疎外された人々、人身取引の隷属下にある人々のために働き、行動するよう励ますと共に、特にこのことに力を入れてくださるようお願いします。

そして、彼女たちが、カテキスタ、神学者、霊的指導者として、神の愛と憐れみの美しさを示せるように、祈りましょう。

彼女たちがある場合、たとえば教会内でも、不当な扱いを受けた場合、彼女たちの偉大な奉仕が、時には教会の男性たちによって、使用人の仕事のようにみなされる場合には、それと闘うよう勧めます。

失望してはなりません。神の優しさを使徒職を通して、特に奉献の証しを通して伝え続けてください。

修道女と奉献生活に召された女性の使命と勇気に感謝しながら、祈りましょう。彼女たちが現代のさまざまな課題について新しい対応を探し続けることができますように。

皆さんの存在、皆さんの奉仕と、そのあり方に感謝します」

 

 

日本の教会の祈りの意向: 若者たち

次の世代を担う子どもや若者が、自らの役割に目覚め、神の国の実現に寄与できますように。

2022年1月30日

新年1月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の祈りの意向: 人類の真の友愛

・宗教的な差別や迫害に苦しんでいるすべての人々のために祈ります。人間家族の兄弟姉妹であることに裏付けされた一人ひとりの権利と尊厳が認められますように。

 (2022.1.5 バチカン放送)教皇フランシスコは、2022年1月の祈りの意向について、ビデオを通して以下のメッセージを寄せられた。

「今、少数派の宗教に属する多くの人々が差別や迫害を受けているのは、いったいどうしたことでしょうか。かくも文明化されたこの社会で、自分の宗教を公に表すだけで迫害される人々がいる、ということを、どうして認められるでしょうか」

「宗教的自由とは、礼拝の自由、信仰の書に定められた日課を行う自由にとどまりません。それは、他者を、その違いにおいて、理解し、彼らを真の兄弟姉妹として認識させるものでもあります」

「人間として、私たちは分かち合える多くの共通のものを持つと共に、兄弟であることの喜びをもって互いの違いを受け入れることができます。小さな違いも、あるいは宗教のような重要な違いも、兄弟であるという大きな一致に影を落とすことがあってはなりません。兄弟愛の道を選びましょう。なぜなら、私たちは、兄弟であるか、それとも、すべてを失ってしまうかーのどちらかだからです」

「宗教的な差別や迫害に苦しんでいるすべての人々のために祈りましょう。人間家族の兄弟姉妹であることに裏付けされた一人ひとりの権利と尊厳が認められますように」

 

 

日本の教会の意向: すべてのいのちを守る

・とくに弱い立場に置かれている人々を保護し、人間としての尊厳が尊重される社会を実現できますように。

2021年12月31日

12月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: カテキスタのために

「神のことばを告げ知らせるために召し出しを受けたカテキスタのために祈りましょう。勇気と創造力を持ち、聖霊に支えられ、証し人となることができますように」

(2021.11.30 バチカン放送)教皇フランシスコは、12月の祈りの意向について、ビデオを通し以下のメッセージをおくられた。

 「カテキスタは、信仰を伝え、それを深めることにおいて、かけがえのない使命を持っています。 カテキスタの信徒としての役務は、一つの召命です。カテキスタであることは、カテキスタとして働くことではなく、カテキスタという存在であることです。それは生き方そのものです。寄り添う者であると同時に教育者でもある良いカテキスタが必要です。福音を告げることにおいて、創造的な人が必要とされています。控えめでも、押し付けがましくてもいけません。福音を特に自分の生き方、柔和さ、新しい道を開きながら新しい表現をもって告げる人が必要です。 多くの教区で、多くの大陸で、福音宣教は基本的にカテキスタの手にかかっています。内的な情熱をもって、教会への奉仕の使命を生きるカテキスタたちに感謝しましょう。神のことばを告げ知らせるために召し出しを受けたカテキスタたちのために、共に祈りましょう。カテキスタたちが勇気と創造力を持ち、聖霊に支えられ、証し人となることができますように」

日本の教会の意向: クリスマスの喜びと祝福

「闇に住む人々、社会の周縁に追いやられた人々に、お生まれになった幼子イエスの恵みと祝福が豊かにありますように」

2021年11月30日

・11月の教皇と日本の教会の祈りの意向

*教皇の祈りの意向: うつ病に苦しむ人々

うつ病や燃え尽き症候群に苦しむ人々が、支援を受け、生活を取り戻す光を見いだすことができますように。

(2021.11.3 Vatican News  Devin Watkins) 
  教皇フランシスコは、11月の祈りの意向として、倦怠感、燃え尽き症候群、うつ病に苦しむ人々のために祈り、彼らの傍に居るように、すべての人々に促され、次のように語られた。

 「過労や仕事関連のストレスによって、多くの人が極度の倦怠感を経験します—精神的、感情的、感情的、そして肉体的な倦怠感です… 北半球に住む人々の場合、秋から冬の季節に入ると、気温が下がり、雨の日もあり、屋内で過ごすことが多くなる時に多く起きます。悲しみ、無関心、そして精神的な倦怠感は、今日の生活のリズムが過負荷になっている人々の生活を支配してしまいます」

「そうした、落ち込んでいる人、絶望している人、希望を失っている人が周りにいたら、手を差し伸べましょう。そして、黙って、耳を傾けましょう… 『私の言うことを聞いて。解決できますよ』などと言わないように。”解決策”はないのです。しかし、心理的なカウンセリングは必要であるし、イエスの言葉は、私たちや他の人たちが慰めを見つける助けになります-『私の所に来なさい、働き、重荷を負った人たち皆、休ませてあげよう』… うつ病や燃え尽き症候群に苦しむ人々が、快活さを取り戻す助けと光を見つけることができるように祈りましょう」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

*日本の教会の意向: すべての死者のため

すべての死者が神の国で安らかに憩い、遺族には慰めと希望が与えられますように。

2021年10月29日