・「心に聖霊の火を消さず、生き生きした眼差しを保つには…」-教皇、タイの若者たちとミサ

(2019.11.22 バチカン放送)

教皇フランシスコ、タイ・バンコクのカテドラルで若者たちとミサ 2019年11月22日教皇フランシスコ、タイ・バンコクのカテドラルで若者たちとミサ 2019年11月22日  (Vatican Media)

 22日午後、教皇フランシスコは、タイ訪問を締めくくる行事として、バンコクのアサンプション・カテドラルで、若者たちのためにミサを捧げられた。

 ミサの中で教皇は、「マタイによる福音書」の「十人のおとめのたとえ話」(25章1-13節) を取り上げ説教を行われた。

*イエスが天の国の比喩として話したこのたとえ話には、婚宴で花婿を迎え出るおとめたちが登場する。十人のおとめのうちの五人はともし火を持っていても油を持っておらず、花婿の到着が遅れるうちに眠り込み、真夜中に花婿の到着が告げられた時には、ともし火は消えそうになっていた。彼女たちが油を買いに行っている間に、ともし火と油を備えた残り五人のおとめたちは花婿と共に宴席に入り、婚宴の扉は閉じられてしまった。

 教皇は、「このたとえ話の幾人かのおとめたちの問題は、眠ってしまったことよりも、必要な『油』を持っていなかったことにあります」とされたうえで、「その『油』とは、心の内に愛の炎を保ち続けるための燃料です」と話された。

 そして、「闇や困難の中で、心を照らす火を生き生きと保ち、主の呼びかけ、御旨に答えられるように、準備する気持ちがありますか」「あらゆる時に主を求め続けるために、必要な『油』をどこで手に入れることができるでしょうか」と若者たちにたずねられた。

 この答えとして、タイの福音宣教の歴史を「聖なる遺産」として示された教皇は、「心に聖霊の火を消さず、生き生きした眼差しを保つには、先人たちの信仰に深く根ざす必要があります… そして、それは過去にとらわれるためではなく、歴史上の新しい状況に応えるために、必要な勇気を学び、勝ち取るためなのです」と説かれた。

 さらに、「信仰が『根』を持たないなら、一見、魅力的でも、結局は、虚しさや孤独をもたらすだけの、この世の『声』に惑わされ、主が洗礼の日に私たちに灯された光は消えそうになるでしょう」と若者たちに注意を与えたうえで、「キリストにしっかりと根付き、喜びと信頼の眼差しをいっぱいにして、未来を決して恐れないように。主は皆さんを待ち、祝宴を用意しておられます」と励まされた。

(編集「カトリック・あい」)

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2019年11月23日