(解説)列聖省長官解任ー教皇フランシスコの”重大な処分”について考える(Crux)

(2020.9.26  Crux  EDITOR  John L. Allen Jr.)

Thoughts on Pope Francis’s ‘great defenestration’ of Cardinal Becciu記者会見を開き、”身の潔白”を主張するベッチウ枢機卿(9月25日=(Credit: Gregorio Borgia/AP.)

(ニュース解説)

 ローマ– ベッチウ枢機卿は、かつて、教皇自身に次ぐバチカンで最も影響力のある男だった。その彼がは今やバチカンの列聖省長官という“閑職”と枢機卿としての権限を二つともはく奪された。

 72歳のベッチウは、国務省で7年間、長官代理、つまり教皇の”首席補佐官”を務め、権勢を欲しいままにした。バチカンでイタリア人”保守派”の顔ービジネスに励み、それをしっかりと守るやり方を教え込まれた高位聖職者ーとなった。

 教皇フランシスコが2018年にベッチウを列聖省の長官に任命し、枢機卿に昇格させた際、バチカン内部の消息通は、これが「ゴールデンパラシュート」だ、と見なした。つまり、教皇は彼に対する信頼をなくしたが、(注:いきなり左遷したような印象を与えないように)”ソフトランディング(軟着陸)させようとした、というわけだ。

 すでにいくつも書かれているように、ベッチウは長年にわたってバチカンでのいくつかの金融・財政問題に関与し、最終的に彼を倒したのは、はっきりと「金」だった。彼自身のおかげで、木曜日の午後、ベッチウは、多種多様な違反行為で教皇から糾弾されたことを、我々は知った。違反行為には、彼の兄弟が所有する会社に、世界のバチカン大使館に備品を納入する仕事をさせ、バチカンから代金を払うようにしたことも含まれる。故郷のサルデーニャで別の親戚が運営する慈善団体にバチカンの資金を寄付したことでも非難された。

 .ベッチウは、バチカン広報が24日夜、自身の処分を発表したのと間を置かず、25日に記者会見を開き、「自分は何も悪いことをしていない。無実を証明する機会をくれるよう、教皇に申し入れた」と述べた。

 ベッチウの処分発表とその後の動きを見ると、次のように三つのことが指摘できる。

 まず第一に、バチカン広報は24日のローマ時間午後8時に処分を発表したが、その内容だ。発表文は、彼の列聖省長官の辞表が教皇によって受理され、枢機卿としての権限が取り去られた、というたった一行の簡単なものだった。ある意味で、バチカンの広報担当者を誉めてもいいかもしれない。そうすることで、質問が寄せられるようにし、取材者たちはそのために苛酷な訓練を積んでいるからだ。

 発表内容を簡潔なものにとどめたのは、ベッチウが少なくとも、まだ彼の行為について有罪判決を受けておらず、教皇が個人的に結論を下したとしても、彼の名誉はまだ守るに値する、という判断からだろう。だが、そうした判断にもかかわらず、実際には、彼の名誉はほとんど守られることないどころか、それは彼が犯したとされるあらゆる種類の犯罪についての憶測を招く結果になった。その大半は、おそらく真実よりももっと悪いものだ。

 バチカンが、教皇はある高官を見捨てた、と発表しようとしているなら、その理由を言うほうがいいだろう。遠慮することはない… もちろん、説明しようとする理由が精査に耐えられないかもしれない、という心配がない限りだ。精査に耐えられないようなものなら、発表文にどのような処分の理由を入れても、入れない場合よりも大きな問題が起きるだろうから。

 第二に、ベッチウはバチカン広報の発表の翌日、25日に、2009年から2011年まで大使を務めた駐キューバ大使館の備品代として、備品を納入した自分の兄の会社に約23万ドルを支払ったことについて、断固として犯意を否定した。

 25日のある新聞の朝刊に掲載されたインタビューで、彼はこう述べたー「申し訳ないことですが、私は他に誰も知りません… 兄の会社を使ったのははっきりしています。取引は私が大使を務めていた期間には終了せず、後任の大使の期間も続きました。彼は、その会社の仕事に満足し、転出先のエジプトでも仕事を任せています」。

 25日に開いた記者会見でも、「犯罪とは思わない」と繰り返した。

 もちろん、そのような取引には「縁故主義」という好ましくない呼び方がされる。他に仕事を任す人を知らなかった、では言い訳にはならない。契約を公開入札にするのが、公正さを保つ方法として当然のことだからだ。このベッチウのやり方は、バチカンに関わる取引に参加する業者と親族関係にある者が選定に関わってはならない、というルールを導入した教皇フランシスコの意図に明らかに反する。

 だが、正式な事前調査や競争入札を経ずに親族の関係業者と契約を結ぶことは、特にベッチウの世代の人々にとって、長い間続いてきたイタリアの”ビジネス文化”の一部であったから、それが間違った行為であると見なされるのを、彼は意外だと思ったかもしれない。すべてを解析するには道徳神学の専門家の手を借りる必要があるが、客観的な罪と主観的な罪の違いを分けて考えることは我々にも出来るーベッチウが自分のしていることに何ら問題はない、と心底、信じているとしたら、それはトマス・アクィナスが言うところの「救いようのない無知」ということになる。

 確かに、それはおそらく誰もが履歴書に書くことを望む内容ではないが、にもかかわらず、そう書き入れることが可能だ。

 そして第三。ベッチウが今何をすることを選んだかは、大いに関心のあるところだろう。

 彼は、イタリアのカルロ・マリア・ビガーノ大司教によって火がつけられた道を歩み、教皇フランシスコの公の敵として登場しようとしている。「私が枢機卿になったとき、私は教会と教皇のために命を捧げることを約束しました。今日、私はその信頼を新たにし、自分の人生を喜んで捧げます」。 彼が”隊列”を乱す選択をした場合、陰謀志向のビガーノよりもバチカンの”汚れもの”をはるかによく知っており、それとつながっているため、ビガーノよりもはるかに厄介な敵になる可能性がある。

 だが、長年にわたってなされてきたベッチウに対する数多くの中で、誰も彼の愚さをほのめかす者はいなかった。 老いた保守派の偶像だとすれば、長い目で見ることを意味する。 ベッチウは教皇が何代も交替しても、バチカンそのものは続いていくことを知っており、フランシスコの後の教皇のもとで、自分にとって好ましい事態が起きるかも知れない。言い換えれば、ベッチウが”万が一のこと”に備えているとしたら、彼と彼に同調する保守派が敗北を認めたのだ、と結論付けるのは誤りになるだろう。思慮分別が勇気の大半を占めるとすれば、時として、忍耐は汚名を晴らす証明の前触れとなる。

 実際に最近でも、輝かしい経歴が終わったように見られた数多くの高位聖職者が、教皇フランシスコの下で奇跡的な復活を果たしている。ウォルター・カスパー枢機卿、あるいは、オスカル・ロドリゲス・マラディアガ枢機卿が、そのいい例だ。恐らく、ベッチウは同じことが自分に起こる可能性に賭けようとするだろう-その結果は本人の期待とは逆になるだけだろうが。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年10月17日