スイスのカトリック教会ではローザンヌ・ジュネーブ・フリブール教区で再編成が進行中だ(写真提供:BORIS STROUJKO / STOCK ADOBE)
(2021.7.31 LaCroix MélinéeLePriol|スイス)
スイスのローザンヌ・ジュネーブ・フリブール教区(LGF)が、カトリック教会における一般信徒による指導的役割の”実験室”として浮上している。信徒数約70万人のLGFの教区長を務めるドミニコ会士の神学者、シャルル・モレロ司教がこのほど、複数の司祭が務めてきた司教代理のポストに、複数の一般信徒を就かせる人事を決めたのだ。
同教区のヴォー州で成人教育プログラムを担当する神学者、フィリップ・べカール氏と宗教出版社の幹部で神学・哲学者のグレゴリー・ソラーリ氏に、この新しい動きについて話を聞いた。
問:ヴォー州(ローザンヌ)のカトリックの人たちは、教区の”統治”に一般信徒を関与させるという大改革にどのように反応しましたか?
フィリップ・ベカール:私たちの司教によって開始された教区改革は、州にリンクしています。私のいるヴォー州では、2018年に司教代理のクリストフ・ゴデル神父の非常に具体的な提案から始まりました。
いくつかの司牧ユニット(小教区のグループ)に統治上の諸問題があり、叙階された聖職者たちと一般信徒の司牧担当者の間に緊張が生じていました。それで、ゴデル司教代理は、司牧に責任を持つ私たち二人を含む何人かの神学者を集め、問題解決に力を貸してくれるように求めたのです。
これを受けて、まず、ヴォ―州の教会統治について現状を把握することから始め、徐々に、対策を検討するグループを広げて行きました。
グレゴリー・ソラーリ:ちょうどその頃、教皇フランシスコがシノダリティ(協働性)について話をされることが増えていました。シノドス(全世界代表司教会議)の設立50周年を記念する2015年10月の教皇のスピーチを、私たちは改めて読み直しました。
そのスピーチの中に、私たちが緊急事態と認識していることに対する聖霊からの答えがあったのですー教会の中心にあるのは”神の民”だ、ということです。2019年5月にジュネーブで開かれた顧問会議で、私たちはモレロ司教に検討結果を報告しました。
ベカール:この報告は、司教に「刺激」を与え、司牧改革が緊急に求められていることを認識してもらうことに役立てたと思います。改革(小教区にもっと”若い”司祭を配置し、もっと多くの一般信徒に司牧に関する仕事を担当させるようにするなど)の正しさを裏付ける実際的な考察に加え、地方教会の刷新の方法として、シノダリティの神学的および司牧的な解釈に注力しました。
問:なぜ、改革を今、行わねばならないのですか?
ソラーリ:改革の引き金は間違いなく新型コロナウイルスの世界的大感染でした。モレロ司教がご自身にこう言われたのですー「今が、その時です。私たちは実行せねばならない!」と。何よりも、コロナ危機は、秘跡に比重を置き過ぎた現在の司牧の脆弱性を明らかにしました。秘跡をこれまで通りに受けられなくなった時、カトリックの信徒たちはどうしていいか分からなくなったのです。
べカール:コロナ大感染は、多くの信徒たちに自分の責任を引き受ける機会をもたらしました。秘跡の機会を奪われることで、神の言葉を広め、慈善を実践する上で私たち一人一人が果たさなければならない役割に気が付きました。私たちは洗礼を受けた者として、使命に”再投資”することを求められているのです。私たちの教区の改革を加速させたもう一つの要因は、聖職者による性的虐待の危機でした。これは、制度的対応の最前線に立っていた私たちの司教は、強い衝撃を受けました。
問:ヴォー州とフリブール州で、9月から、これまで司教代理を務めていた司祭に代わって、一般信徒がこの州の「司教職を代表」するポストに就きます。これがなぜ、教区改革にとって重要なのですか?
ベカール:これは”着地点”というよりも”出発点”。一般信徒の神学者で家庭を持つミシェル・ラクロを、州における司教職の代表に任命することは、現在検討されている他の改革の前提条件です。しかし、それは与えられたものではなく、バチカンは、一般信徒が、教区司教の顧問会議のような「教区行政のコーディネーター」の役割を引き受けることを希望していました。 一般の人々に管理上および財政上の責任を与えることは一般にされていますが、司牧上の責任を与えることはなかった。それが州における「司教職の代表」という形で起きたのです。
ソラーリ:このような改革は、司祭たち、一般信徒たちの両方を心配させています。ですが、これは自然なこと。シノダリティは、私たちがいつも知っていることと関連する”発想の転換”を示しています。それは私たちの”常識”を混乱させはしますが。私にとって、これからの数年間の主要なプロジェクトの1つは、”長老派神学”の再考です。
問:第二バチカン公会議は司教と信徒の役割を評価し直しましたが、「中間層」である司祭については、いくらか忘れられていました。スイスのフランス語を話すあなたがたの地域の教会は、将来のあるべき教会のための「実験室」になることができるでしょうか?
ソラーリ:そう思います。そう考える理由の第一は、スイスでは直接民主主義が確立されていること。第二に、改革派が教会で過半数を占めており、これまで長い間、私たちが思っていたよりもずっと、シノダリティの教会となることを求めてきたこと、です。スイスのフランス語を話す地域の教会的、文化・社会的背景が、”実り多い研究室”を可能にするのです。
べカール:私たちは、何かを”発明”したわけではありません。すでに1990年代に、アルバート・ルーエ大司教がフランスのポワテエに「地域コミュニティ」を創設しています。これは、シノダリティの一種の試験場でした。いずれにせよ、この種の実験は信仰のなせる業です。私たちは、見つけようとしていることを知ることなしに、これまでのモデルを手放しました。これまで3年にわたって私たちが進んできたシノダリティを深める道を特徴づけているのは、洗礼を受けた全ての人々にとって、よき大きな責任に向けた一歩一歩がしるしている驚きです。これが、教会にとっての転換点なのです。
Read more at: https://international.la-croix.com/news/religion/pandemic-has-opened-new-spaces-for-lay-leadership-in-the-church/14731