・バチカン高官が、カトリック教会における”男性優位”を批判、女子修道会のあり方見直し提唱(Crux)

(2020.7.30 Crux Senior Correspondent  Elise Ann Allen)

 ローマ発ーバチカンの奉献・使徒的生活会省長官のジョアン・ブラス・ジ・アビス枢機卿が、スペイン修道会協議会の公式誌SomosCONFERと会見し、カトリック教会における”男性優位”の現状を批判、修道生活の全面的かつ根本的な刷新の必要を訴えた。

 枢機卿は「多くの場合、奉献された男性と女性の関係は、服従と支配の病んだシステムになっており、自由と喜びの感覚が奪われ、”誤った従順”がなされている」と述べ、一部の修道会ではトップに権力が集中しすぎ、法務や税務の関係者との関係を優先し、「対話と信頼の忍耐強く、愛のある態度が少しもされていない」と問題点を指摘した。

 ただ、このような指摘は、教皇フランシスコが推進している、教会の福音化のための構造改革の視点から見た、修道生活の広範な見直しの一部だ。

 修道会と一般信徒の運動体の中で数多く起きている数々の不祥事、司祭職、修道職への召命の減少、急速な世俗化、そして奉献された女性たちに対する虐待と搾取の圧力は、修道生活における内的危機の要因となっている。

 枢機卿は「欧州、オセアニア、南北アメリカ大陸の数多くの国では、奉献生活への召命が不足しており、奉献生活者の多くは高齢で、忍耐力を欠くことで傷ついています… 教皇フランシスコが『大量出血』と言われたように、男女を問わず、奉献生活を辞める人が後を絶ちません。多くの修道会や運動体が縮小し、消滅するようになっている」と深刻な現状を語った。

 このような現状から、「時代の変化」は、「キリストに従うことに回帰する新たな感性、共同体のおける誠実な兄弟・姉妹的生活、制度改革、権威乱用の克服、そして物の所有、使用、管理に関する透明性の確保」へと進んでいるが、古く薄弱な規範が、現代の世界の中でキリストを証しするために必要な変革を妨げている、と指摘。

 そして、司祭、司教、修道会や一般信徒の奉献された共同体の創設者を含め、多くの不祥事が起きている中で、「多くの奉献された男性と女性は、歴史のこの瞬間に、創設者が聖霊によって得ていた力の核心に近づこうと努めているのです」とも述べ、それは、「ある時」の文化的、宗教的な伝統を確認しつつ、教会と現在の教導職の叡智によって導かれるのを可能とする、過程の一つであり、そのために、奉献された人々が「勇気」、さもなければ教皇フランスコがparresiaという言葉で表現される「大胆さ」をもって、全教会の歩むべき道と一体となるように、求められている、と強調した。

 また、枢機卿は、多くの修道女たちが経験している”燃え尽き症候群”にも言及した。

 この問題は、バチカンの新聞の毎月の女性特集Donna, Chiesa, Mondoの7月号のテーマに取り上げられ、「修道女たちがしばしば経験する精神的ストレス、ないしはトラウマ」に関する記事の中で、世界の男子修道会と女子修道会のそれぞれの連盟が共同で設置したパーソナル・ケア委員会のメンバーで心理学者のシスター・マリアンヌ・ルングリは、同委員会の目的は「元気にあふれた共同体の構築」と「権力の乱用や性的虐待など”タブー視”されてきた問題を話し合う妨げの除去」で、その一環として、奉献者たちが自分の権利、限界、義務について理解し、仕事をよく準備できるような「行動規範」の策定を進めている、と語っている。

 そして、特に修道女の場合、無休、無休で家政婦同様の仕事に縛り付けられる場合が少なくない、それは、「何を願うことができ、何を願うことができないかを、修道女が知る基本… 一人一人が行動規範、司教や修道院長との取り決めを手にせねばならない。明確な取り決めによって、落ち着いた修道生活ができるからです… いつ何時、世界の他の場所に派遣されるか分からない、あるいは、休暇に出かけられない、と気に病むことなく、一年の仕事が保証されれば、平和と精神的な安定が得られます」と述べた。

 さらに、「もしそのような約束がなければ、ストレスを抑えることはできません。自分の生活をコントロールできず、計画を立てられないなら、精神的な健康が損なわれます」と語り、司教や修道院との取り決めで明確にすべき内容として、給与規定、毎年の決まった休日、まともな日常生活、インターネットへのアクセル、数年ごとの長期休暇などを挙げ、「ルールを取り決めることで、虐待が防止され、虐待が起きた特にに対処する方法が明確になります」。

 また「耳を傾けてもらえない中で、いつも交渉せねばならない、というのは辛いことです… はっきりしたルールがあれば、虐待を受けるのを避け、虐待が起きた時の対応の仕方をはっきりできます」とし、不公平な扱いを避けるためにも、旅行や勉学のようなことについての修道院の明確な規範が設けられる必要がある、と強調。こうしたことすべてが、虐待を受けていた姉妹たちが容易に前向きに生活できるようにする信頼される環境を作り上げる助けとなる、と述べた。

 「修道女が性的な虐待を受けた時のことを理解するの難しい。それが日々の現実でも、恥ずかしくて口に出せません… 修道会のメンバーが、彼女の苦しみに理解と共感をもって、強く生きることができるように助けてくれる、という確信を彼女が持てるようにせねばならないのです」と訴えた。

 

 バチカンの報道局で働いているシスター・ベルナデット・レイスが書いた別の記事では、奉献生活に入る女性の数が減っているのは、以前よりもそれが魅力的でなくなっている、という社会的要因もあるとしているー少女たちは、教育を受けるために修道院に入れられる必要がなくなり、若い女性は、勉強して仕事の機会を得るために修道生活に頼る必要がない。

 ブラス・ジ・アビス枢機卿は、先のインタビューで、現代の世界の中で、奉献生活を送ろうとする人々のための育成の「活力に満ちた時間」を確立するように、「多くの行動様式を改めねばならない」としたうえで、奉献者の育成は一生続くものだが、育成の初期か継続的な育成の”隙間”は、「共同体における奉献生活とほとんど同一視されないような個人的な態度が進んで、関係が汚染され、孤独と悲しみを作り出すことを許してきた」と述べた。

 そして「多くの共同体では、『他者はイエスの現存』であり、他者に愛される者として共同体における変わらぬ存在だということを保証することができるのだ、という認識を少しも深めるていない」とし、奉献者の育成で、最優先で再教育される必要があるのは、「いかにしてイエスに付き従うか」、そして、いかにして男女の共同体の創設者たちが育てられたか、を彼らに教えること、だと語った。

 「既成のモデルを伝えるではなく、教皇フランシスコが言われるように、一人ひとりに与えられたカリスマの深遠に入っていくのを助ける、福音書に示された重要な手順を作り上げること、教皇はしばしば強調されるように、すべの召命は、『福音宣教の急進主義』に向かうように呼ばれていること」に留意するよう、関係者に求めた。

 「福音書では、この『急進性』はすべての召命に共通したものとされています… 一等席の弟子と二等席の弟子というものは存在しません。福音宣教の道は誰にとっても同じ」。だが、奉献者の男女は特に「神の王国の価値を尊ぶ生活様式ーキリストの生き方である貞操、貧困、従順」を生きることとされている。これは「教皇フランシスコが提案され、実行された生き方の改革に、より忠実に、そして教会全体で参加するよう求められている」ことも意味している、と語っている。

 

 

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