・菊地大司教の四旬節第三主日、「性虐待被害者のための祈りと償いの主日」の説教

2021年3月 6日 (土) 週刊大司教第十八回:四旬節第三主日

 残念ながら、緊急事態宣言は二週間ほどの延長となりました。このままですと、なんとか聖週間は典礼が行えるだろうと想定しています。すでにお知らせしていますし、同様のお知らせは8日の月曜日小教区に送付しますが、現在の感染症対策をこのまま継続します。

 また聖週間の典礼については、すでに教区の典礼担当者(4月以降の教区典礼委員会)から、主任司祭宛にガイドラインを送付しています。基本的にそれぞれの小教区における典礼の最終責任者は主任司祭ですので、主任司祭の指示に従うようにお願いしたいのですが、行列の中止や洗足式の中止、また歌唱部分の変更など、いつもとは異なる聖週間の典礼となります。ご協力をお願いいたします。

 教皇様は昨日3月5日から8日まで、教皇として初めてとなるイラクの司牧訪問中です。教皇様のため、またイラクの方々のためにお祈りください。

 以下、本日夕方公開した、週刊大司教のメッセージ原稿です。

 

【四旬節第三主日(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第18回 2021年3月7日 性虐待被害者のための祈りと償いの主日】

「命は神の賜物」であると、私たちは信じています。神から与えられた命の尊厳を守ることは、私たちの務めです。残念ながら、その務めの模範たるべき聖職者が、とりわけ性虐待という命の尊厳を辱め、蹂躙する行為におよんだ事例が、世界各地で、過去長年にさかのぼって報告されています。

 また私たち司教をはじめとした教会の責任者が、事実を隠蔽した事例も、各地で明らかになっています。日本の教会も例外ではありません。

 被害者が未成年や子どもであった場合、その事実を公けにできるまでには、深い苦しみと大きな葛藤があり、充分な時間が必要です。何十年も経ってから、その事実を公けにされた方も少なくありません。そのような深い苦しみと大きな葛藤を長年にわたって強いたにもかかわらず、教会の対応が全く十分とは言えないことを含め、被害を受けられた多くの皆様に、心からお詫びいたします。

 教皇フランシスコは、教会全体がこの問題を直視し、その罪を認め、ゆるしを願い、また被害にあった方々の尊厳の回復のために尽くすよう求め、特別な祈りの日を設けるようにと指示されました。日本では、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」を、四旬節・第二金曜日と定めました。今年は、去る3月5日です。東京教区では、今日7日の主日にも祈りを捧げています。

 出エジプト記はモーセに与えられた神の十戒を記していましたが、教皇ヨハネパウロ二世の回勅「命の福音」にはこう記されています。

 「『殺してはならない』という掟は断固とした否定の形式をとります。これは決して越えることのできない極限を示します。しかし、この掟は暗黙のうちに、命に対して絶対的な敬意を払うべき積極的な態度を助長します。命を守り育てる方向へ、また、与え、受け、奉仕する愛の道に沿って前進する方向へと導くのです(54)」

 今回の感染症に直面する中で、教会が選択した「公けの活動の停止」という行動は、後ろ向きな逃げるための選択ではなく、命を守るための積極的な選択でした。それはカテキズムにも記されているとおり、まさしく「殺してはならない」という掟が、他者を命の危機にさらすことも禁じているからであり、それはすなわち、「隣人を自分のように愛せよ」という掟を守るためでもあります。

 人間の尊厳をないがしろにしたり、隣人愛に基づかない行動をとることは、神の掟に反することでもあります。命を賜物として大切にしなければならないと説く私たちは、その尊厳を、命の始めから終わりまで守り抜き、尊重し、育んでいく道を歩みたいと思います。

 教皇フランシスコは、今年の四旬節メッセージにこう記しておられます。

 「愛は、他の人がよい方向に向かうのを見て、喜びます。誰かが孤独、病気、住む場所の無い状態、侮辱、貧困などによって苦悩していれば、愛も苦しむからです。愛は心の躍動であり、それが私たちを自らの外へと出向かせ、分かち合いと交わりの絆を築くのです」

 イエスは神殿が、その本来の目的と異なるあり方をしていることに怒りを表されました。神が与えてくださった命が、神が望まれる生き方をすることができるように、その尊厳が守られるように、愛に満ちあふれた存在であるように、努めていきたいと思います。

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2021年3月6日