・「聖母に倣い、聖霊の導きに従う勇気を」菊地大司教の元旦・神の母聖マリア祭日ミサ

2022年1月 1日 (土)神の母聖マリア@東京カテドラル

2014_img_0610 一年の初め、1月1日は、神の母聖マリアの祭日です。また教会はこの日を「世界平和の日」とも定めています。この一年を聖母の御保護に委ね、その取り次ぎに信頼しながら、聖母とともに主イエスに至る道を歩み続けましょう。

 教皇様は年の瀬の12月28日、長崎教区の高見三明大司教様の引退願いを受理され、後任として補佐司教である中村倫明司教様を大司教に任命されました。中村大司教様、おめでとうございます。長崎教区の大司教としての着座式は、2月23日に行われると伺っています。伝統ある教区の責任者として重責を担われる中村大司教様のために、聖霊の助力と導きを祈りましょう。(長崎教区ホームページの、お二人の略歴のページのリンクです

 手元に中村司教様の写真がないか探したのですが、唯一データがあったのは、その昔、新潟教会の四旬節黙想会においでいただいたときのものでしたが、それは「変装」してお話ししておられるので、ここには掲載しません。上のリンク先の長崎教区ホームページに、中村大司教様のお写真があります。高見大司教様のあとに掲載されています。そちらをご覧ください

 司教職は叙階によって与えられるので、司祭が生涯司祭であるように、司教も生涯司教です。ただし、教区司教(いわゆる教区長)などの役職には75歳という定年があり、教区司教は75歳になると「必ず」教皇様に引退願いを出さなくてはなりません。高見大司教様の引退は、この75歳という定年の引退です。高見大司教様は、1946年3月生まれで、現在ちょうど75歳です。

 教区司教の任命は教皇様の専権事項ですから、提出された引退願いをどのように扱うのかは、教皇様次第です。即座に認められることも時にありますが、多くの場合は、後任が決まるまで続けるよう指示されるか、事情がある場合は当分の間とどまるように指示されることもあります。

 いずれにしろ役職からの引退であって、司教職からの引退ではありません。教皇様によって引退届の取り扱いが、当分の間継続するようにという決定でなく、他の二つの場合、即座に後任を選任する手続きが開始されます。なお枢機卿の場合、教区司教などの役職から引退したとしても、80歳になるまでは教皇選挙の投票権があり、またバチカンの諸省庁のメンバー(委員)としても残ることになります。

 司教選任の手続きは、その地方教会がバチカンのどの省庁の管轄下にあるかで異なります。日本などの宣教地は福音宣教省、歴史的にキリスト教国は司教省、カトリックの東方典礼の教会は東方教会省です。フランスなどいくつかの国では、過去の歴史的経緯や条約での取り決めから、司教の任命にその国政府の同意が必要な場合があり、その場合は国務省も関わります。いずれにしろ、それぞれの国に派遣されている教皇大使が、候補者の選任にあっては重要な役割を果たすことはどの場合でも共通です。

 以下、本日2022年1月1日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で捧げられた神の母聖マリアのミサ説教の原稿です。なお説教の最後でも触れている、世界平和の日にあたって発表されている教皇様の年頭の平和メッセージ本文は、中央協議会のこちらのリンクに全文が掲載されています。

【神の母聖マリア 東京カテドラル聖マリア大聖堂 2022年1月1日】

 皆様、新年明けましておめでとうございます。

  2022年が、皆様にとって、慈しみ深い神の祝福に満たされた年でありますように、お祈りいたします。

 主の御降誕から一週間、御言葉が人となられたその神秘を黙想し、神ご自身のいつくしみに満ちた選択に感謝を捧げる私たちは、暦において新しい一年の始まりのこの日を、誕生した御子の母である聖母に捧げ、神の母聖マリアを記念します。

 ルカ福音は、不思議な出来事に遭遇し、その意味を理解できずに翻弄される羊飼いや、その話を聞いた人々の困惑を伝えています。暗闇の中に輝く光を目の当たりにし、天使の声に導かれ聖家族のもとに到達したのですから、その驚きと困惑は想像に難くありません。しかし福音は、「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」と記します。

 神のお告げを受けた聖母マリアは、その人生において常に、神の導きを黙想し識別に努められた、観想するおとめであります。常に心を落ち着け、周囲に踊らされることなく、神の道を見極めようと祈り黙想する姿を、喧噪のうちにあふれる情報に踊らされる私たち現代社会に生きる者に、倣うべき模範として示されています。

 2020年の初頭からすでに二年間、私たちは感染症の脅威にさらされ、命の危機を肌で感じてきました。その危機は、今現在でもまだ、過ぎ去ってはいません。その脅威は世界のすべての人に及んでいるとは言え、命の危機の程度には差があり、またその対策にも格差が生じ、経済的にまた政治的に不安定な国では十分な対策を講じることができていないとも報道されています。

 ある程度の十分な対策に費用を割くことのできる先進国でも、社会全体が被っている影響は大きく、経済格差が広がり、感染症のためだけではなくそれに伴う社会の構造的課題の増大によって、命が危機に直面しています。

 新しい年の初めにあたり、共に祈りをささげたいと思います。現在の世界的な難局を、共に連帯のうちに支え合いながら乗り越えていくことができるように、聖霊の導きを祈りましょう。教皇様が幾たびも呼びかけられてきた世界的な連帯は、さまざまな理由から実現していません。

 特に、私たちの政治のリーダーたちを、また経済界のリーダーたちを、聖霊が賢明と叡智と剛毅の賜物をもって導いてくださるように祈りたいと思います。また命を守るために日夜努力を続けておられる医療関係者の上に、護りがあるように祈り続けたいと思います。

 私たちは、それぞれの生きている場で、それぞれが出来ることに忠実でありながら、互いに助け合い支え合う連帯の絆を深める努力に努めたいと思います。神から与えられた賜物である命が、その始めから終わりまで例外なく、守られ育まれ、尊厳が保たれる世界の実現に努めたいと思います。

 世界の各地で、武力による紛争が、そして圧政による人権侵害が、命を危機にさらしています。命を守るために、危険を冒して旅立ち、国境を越えてきた難民の人たちが、安住の地を得ることなく、命の危機に直面しています。

 この混乱のさなかで、聖母の生きる姿勢に倣い、さまざまに飛び交う言葉に踊らされることなく、神が望まれる世界の実現の道を見極めるために、祈りと黙想のうちに賢明な識別をすることができるように、聖霊の導きを祈り、またその導きに従う勇気を祈り願いたいと思います。

 教皇ヨハネパウロ二世は、神からの賜物である命の神秘とその尊さを説く回勅「命の福音」の締めくくりに、こう記しています。

 「キリスト誕生の秘義のうちに神と人との出会いが起こり、神の子の地上での人生の旅、十字架上で自らの命を捧げることを頂点とする旅が始まります」

 その上で教皇は、聖母の役割についてこう記しています。

 「すべての人の名のもとに、すべての人のために、『命であるかた』を受け入れたのは、おとめにして母であるマリアでした。…マリアは、『自身がそのかたどりである教会と同じように、再生の恵みを受けたすべての人の母です。事実、マリアは、すべての人を生かしているいのちそのものである方の母です」

 神の母である聖母マリアは、信仰に生きる私たちすべての母でもあります。聖母の生きる姿勢に倣い、私たちも、神の導きを霊性に識別し、聖霊の導きに、勇気を持って身を委ね、神が望まれる正しい道、すなわち人間の命の尊厳を守る道を歩んでいきたいと思います。

 その意味で、この二年間、教区からお願いしたさまざまな感染対策をご理解くださり、協力してくださっている皆様に、心から感謝申し上げます。自分の生命を守るためだけでなく、互いの生命を危険にさらさない行動は、隣人愛の選択であるとともに、神から与えられた賜物である生命を生きている私たちの努めでもあります。

 もちろん社会のなかにあって霊的な支柱となるべき教会ですから、最も大切なミサの公開中止などは極力避けたいと思いますので、今後も状況を見極めながら、適宜判断を続けます。感染対策の指針がしばしば変更となって混乱を招く場合もあり、大変申し訳なく思っています。新しい年になっても、今しばらくは慎重な対応が必要だと思われます。支え合いながら、互いの命に思いを馳せ、歩んで参りましょう。

 ところで一年の初めの日は、教会にとって、世界平和の日でもあります。かつて1968年、ベトナム戦争の激化という時代を背景に、パウロ六世が定められた「平和のための 祈りの日」であります。

 今年の世界平和の日にあたり、教皇フランシスコはメッセージを発表されています。今年のメッセージのテーマは、「世代間対話、教育、就労ー恒久的平和を築く道具として」とされています。

 教皇様は今年の平和メッセージで、安定した平和を築くための道として、歴史の記憶を守る高齢者と未来を切り開く若者の対話の必要性を説き、さらには世界各国における教育への投資の重要性、さらには労働者の尊厳の推進の大切さを説いています。

 「世代間の対話」は、恒久的な平和を実現するために不可欠であると、教皇様は強調されています。また、「教育」は自由と責任と成長の条件であり、さらには総合的な人類の発展に不可欠な人間の尊厳の完全な実現のために、「労働」を尊厳あるものにすることを避けて通ることはできない、と教皇様は説いておられます。

 真の平和の実現のために、社会の現実における個々の問題に取り組むことはもちろん不可欠ですが、同時に総合的な視点を持つことの必要性を説かれる教皇様は、誰ひとり排除されない世界の実現を目指して、私たちに「歴史から学び、傷をいやすために過去に触れ、情熱を育て、夢を芽生えさせ、預言を生み、希望を花開かせるために未来に触れる」ようにと呼びかけておられます。

 改めて、神の秩序が確立された世界の実現を目指し、すべての命が守られる世界を生み出すことができるように、教皇様の思いに心を合わせ、平和への思いを新たにいたしましょう。

(編集「カトリック・あい」)

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2022年1月1日