・「神からいただいた命を互いに尊重し合う共同体に」ー菊地大司教の「祖父母と高齢者のための世界祈願日」年間第17主日説教

2021年7月24日 (土) 週刊大司教第36回:年間第17主日

Gotairiku21

 7月も終わろうとしています。暑い毎日が続いています。

 週刊大司教のメッセージでも触れていますが、教皇様は今年から、7月26日の聖ヨアキムとアンナの記念日に近い主日を「祖父母と高齢者のための世界祈願日」と定められました。今年は7月25日がこの祈願日となります。

 教皇様は、今年の1月31日のお告げの祈りで、次のように述べて、この祈願日の制定を告知されました。

 「2月2日は、イエスが神殿で捧げられたことを記念する、主の奉献の祝日です。そのとき、シメオンとアンナは二人とも年老いていましたが、聖霊に導かれ、イエスがメシアであると認めました。聖霊は、知恵に満ちた考えやことばを高齢者の内にわき上がらせます。高齢者の声はかけがえのないものです。神を讃えて歌い、人々のルーツを守っているからです。年を重ねることはたまものであり、祖父母はその人生体験や信仰を若者に伝えることにより、世代を結び付ける輪となっていることを、この二人は思い起こさせてくれます。祖父母は忘れられがちですし、ルーツを守り、伝えるというその宝もないがしろにされています。だからこそ、7月第四主日を「祖父母と高齢者のための世界祈願日」とし、教会全体で毎年祝うことにしたのです。この日の頃には、イエスの「祖父母」にあたる聖ヨアキムと聖アンナの記念日があります」

 今年は初めてのことでもあり、どのようにこの祈願日を祝うのか、定まってはいないのですが、私たち自身の祖父母に限らず、教会や社会に多数おられる高齢の方々に思いを馳せ、御父の祝福と守りを祈る日曜にしたいと思います。

 なお今年の祈願日のテーマは「私はいつもあなたと共にいる」と定められており、教皇様のメッセージの翻訳は、こちらの中央協議会のホームページへのリンク先に掲載されていますので、ご一読ください

 メッセージの中で、教皇様は、特にパンデミックの状況に置かれている現在、孤独のうちに取り残されている人が多くいる中で、特に高齢者の状況には厳しいものがあるとして、次のように希望の言葉を記しておられます。

「この新型コロナの世界的大感染の数か月のように、何もかも真っ暗に思えるときでも、主は天使を遣わし、私たちの孤独を慰め続け、「私はいつもあなたと共にいる」と繰り返しておられます。そう、あなたに言っておられ、私に、皆に、言っておられるのです。これこそが、長い間の孤独と、いまだ時間がかかっている社会生活の回復とを経て、まさに今年に、初回を迎えるこの祈願日の意義です。祖父母の皆さん、高齢者のお一人お一人が、とくに孤独に苦しむ方々が、天使の訪問を受けられますように」

2013_img_1019b 以下、本日午後6時配信の週刊大司教第36回のメッセージ原稿です。

【年間第17主日B(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第36回 2021年7月25日】

 列王記は、飢饉に見舞われた地にあって、預言者エリシャのもとへ持ってこられた少ないパンが、召使いの常識を越えて、百名の人の空腹を満たした奇跡的な話を記しています。

 ヨハネ福音も、いわゆる「五つのパンと二匹の魚」の物語を記し、少年がささげた少ないパンと魚が、イエスのみ言葉を聞くために集まっていた五千人を超える人たちの空腹を満たした、奇跡物語を記しています。

 どちらにも通じるのは、もちろん「少ない食べ物が多くの人を満たした」という奇跡の物語であり、御父である神の、また主イエスの偉大な力を示しています。

 同時にそれは、自分が持つ、数少ないものを守るのではなく、他者のために惜しみなく分かち合ったときに生まれる愛の絆の物語でもあります。そしてそれは、ミサを通じて主の食卓にあずかり、主イエスご自身の現存である御聖体によって生かされることで教会共同体にもたらされる、霊的な一致の意味を改めて考えさせるものでもあります。主の十字架上での自己犠牲は、神による最大の愛の証しであります。

 パウロはエフェソの教会への手紙で、まさしくこの霊的一致について語ります。パウロは、例えばローマ書など他の書簡で一致について、一つの体とその部分である私たちのような例えを記しますが、一致は決して皆が全く同じように考え、同じように行動するのではないことを明確にしています。

 それぞれはそれぞれが与えられた使命に自らの決断を持って生きているのであって、一致は同じ霊によって生かされ、同じ主における「一つの希望にあずかるように」と招かれている生き方にあります。「主イエスを中心とした愛の絆に結ばれていること」こそが、私たちの語る一致であります。

 さて教皇様は、今年から、7月26日の聖ヨアキムとアンナの記念日に近い主日を、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」と定められ、メッセージを発表されています。今年は7月25日のがこの祈願日となります。

 教皇様のメッセージのテーマは、「私はいつもあなたがたと共にいる」(参照:マタイ福音書28章20節)とされています。教皇様はメッセージの中で、今回の「新型コロナウイルスの世界的大感染は思いがけない嵐のように、それぞれの生活に試練を与えましたが、とりわけお年寄りに与えた影響は厳しいものでした」と述べられ、亡くなられた多数の高齢者への思いを記されています。その上で、「主は私たち一人ひとりの苦しみを知り、痛ましい経験をした人々のそばにおられ、その孤独を心にかけておられます」と語られます。私たちが招かれている霊的一致は、命が忘れ去られ孤独のうちにあることを良し、としません。すべての命に主が共にいることを、証しするよう、私たちは招かれています。

 教皇様の回勅「Fratelli tutti」にもこう記されています。「私たちはあまりにも早く、歴史の教訓ー「人生の教師」を忘れてしまいます… 毎年、医療制度が壊され続けたことが一つの理由となって、人工呼吸器が不足したことで亡くなった多くの高齢者の方々のことを、肝に銘じることができればいい… 私たちが互いを必要としていることを再発見し、そのようにして、私たち人間家族が、自分が立てた壁を乗り越えて、皆の顔、皆の手、そして皆の声とともに再生できればいい」(35項)。

 東京教区の宣教司牧方針も、「私はいつもあなた方と共にいる」という御言葉に導かれます。私たちは、三つの柱の一つである「すべての命を大切にする共同体」も目指しています。社会の多様化の中で、より小さないのち、より弱い命がないがしろにされつつあります。神からいただいた命を大切にし、それぞれの命を尊重し合う共同体を目指しましょう。

(「カトリック・あい」よりお断り=表記は、文章として読みやすく、理解しやすくするために、これまで通り、新聞各紙や社会一般で使われている当用漢字表記にしています。また、回勅「Fratelli tuitti」の引用は、公式英語訳に近い現代日本語による翻訳を心がけた「カトリック・あい」の日本語訳にさせていただきました。回勅のタイトル「Fratelli tutti」は、教皇がアッシジの聖フランシスコの説教集(Admnitiones)第6項の冒頭の呼び掛けの言葉「omens fratres(ラテン語=イタリア語でFratelli tutti、英語ではall borothers)」から採っておられることから、「カトリック・あい」では、「兄弟の皆さん」と訳しています。回勅の本文で、教皇は「この言葉を持って、アッシジの聖フランシスコは、兄弟姉妹に話しかけ…」とされており、Fratelli tuitti  の「兄弟」が決して男性だけの呼びかけでないことを示しておられます。一部には、わざわざタイトルを「皆、兄弟姉妹」と意訳する向きもあるようですが、それでは、教皇のこのタイトルに込めた思いが伝わりません。「兄弟の皆さん」とするのが、日本語訳として適当、と判断しました。)

 

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2021年7月24日