・「神、隣人、大地の関わりが引き裂かれている状態を修復させる務めがある」菊地大司教の主の昇天の主日メッセージ

2022年5月28日 (土)週刊大司教第七十八回:主の昇天の主日

   すでにご存じの方が多いとは思いますが、新型コロナ感染症に罹患し,この数日は臥せっております。すでに多くの方から,メールやFB上で励ましのコメントを頂き,また多くの方にお祈りいただいていることに,心から感謝いたします。

  23日月曜日の夜遅くまで、アジア司教協議会連盟(FABC)50周年を記念する総会の準備委員会がオンラインで行われ、参加していましたが,そのあたりから軽い発熱と喉の痛みを感じ始めました。そのまま翌火曜日朝には症状が悪化し、その日は教区本部に出勤せずに自室で休んでおりました。しかしながら水曜に熱が上がり、喉の痛みも激しくなってきたので、医療機関を受診し、「新型コロナ陽性」と診断されました。

 その後すぐに文京保健所から携帯に電話があり、保健所の指示で「最低でも10日間の自宅療養」となりました。(現時点では23日をゼロとして、6月2日までの自宅療養を指示されています)なお,ワクチンは,三度すでに接種済みです。

 木曜と金曜には、38度程度の熱と激しい喉の痛み、咳で、声もでなくなってしまいましたが、土曜日、本日の朝には熱も少し落ち着き、喉の痛みも多少、和らいできたと感じます。ただ,声は多少出るようになりましたが,戻っていません。こうしてPCの前で座ってタイプできるようになったのも,昨日からです。

 私は子どもの頃から喉が弱く,よく喉を痛めて高熱を出してきました。これは大人になっても変わらず、特に疲れた時などに喉を痛め,高熱を出すことがあります。それで慣れているというのではなく、それにもかかわらず,今回ほど激しい喉の痛みには遭遇したことがないほど、喉を痛めつけられました。

 文京保健所と東京都のフォローアップセンターからは、一日に数回、病状確認の電話があり、また登録したラインで症状を一日二度(午前と午後)報告するなど、細かくケアを頂いています。独居で罹患された方々には,こういった電話による確認は、「誰かに見守られている、つながっている」という安心をもたらす,重要なものだと実感いたします。大勢の対象となる方を抱え,保健所などのスタッフの皆さんには大変な業務量だと思いますが,その大切なお働きに,心から感謝いたします。

 教区の業務にいろいろと支障をきたし,またいくつかの予定をキャンセルすることになって,大変申し訳ありません。特に亀有教会の皆さんには,29日の昇天の主日に,教会50年の記念ミサの予定でしたのに,出かけることができなくなり,申し訳なく思います。一日も早く現場復帰できるように、皆様のお祈りの時に覚えていただけると幸いです。

 教会の諸活動にあっても,「そろそろ大丈夫だろう」と気を緩めず,今一度,対面行事やミサなどでの感染対策をご確認いただければと思います。

以下、本日午後6時配信の週刊大司教第七十八回、主の昇天のメッセージ原稿です。なお映像は5月18日に収録したものです。

【主の昇天の主日C(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第78回 2022年5月29日】

 御父のもとへと旅立たれる主を目の当たりにして、弟子たちは呆然として、ただずんでいました。使徒言行録は、その弟子たちに対して天使が、「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか」と語りかけた、と記します。天使の呼びかけは、「ただ呆然と立ち尽くすのではなく、イエスが再び来られることを確信しながら、その日まで、与えられた使命を果たして生きよ」という、促しの言葉であります。

 弟子たちは何をするように促されていたのでしょうか。ルカ福音も使徒言行録もともに、聖霊による導きの約束と、「地の果てに至るまで、私の証人となる」というイエスの言葉を記します。すなわち弟子たちは、自分勝手に何かを語ることではなく、「神の聖霊に満たされ導かれて、イエスの言葉と行いについて、世界中の人たちに証しをする福音宣教者」となるように促されているのです。私たちは、自分勝手に好きなことを語る宣教者ではなく、「聖霊に導かれて主イエスの言葉と行いを語る忠実な宣教者」でありたいと思います。

 2015年5月24日に回勅「ラウダート・シ」が発表されたことを受けて、毎年5月に「ラウダート・シ週間」が設けられ、教皇が呼びかけた総合的エコロジーの視点から、私たちの「共通の家」である地球を守るための道を模索し、行動を決断する時とされています。

 今年の「ラウダート・シ週間」は5月22日から29日までとされ、そのテーマは、「共に耳を傾け、共に歩もう」であります。「共に」という呼びかけは、もちろんシノドスの道程を今、共に歩んでいるからに他なりません。教皇フランシスコは回勅に、「『皆が共に暮らす家を保護する』という切迫した課題は、人類家族全体を一つにし、持続可能で総合的な発展を追求するという関心を含んでいます」と記されました。

 残念ながら、この数か月、私たちはこの共通の家を「争いの場」としてしまい、武力の行使は地球を荒廃させ、さらには環境の中心にある賜物である命を暴力的に奪い去ります。人類家族全体は、残念ながら一つにはなっておらず、共通の家に対する配慮は、後回しにされています。 私たちはこの現実の中で、キリストの福音を証しするものとして遣わされています。教会を導く聖霊は、私たちにこの現実の中で何を証しするようにと導いておられるのでしょう。

 創世記には、神が人を創造された時に、「互いに助けるものとして共に生きるように」と二人の人を創造して、命を与えられた事が記されています。私たちは互いに助け合うように命を与えられました。命を守らず、他者への配慮を忘れた世界には、神の平和がありません。

 回勅「ラウダート・シ」で教皇フランシスコは、「神が創造されたものは、一つとして他者と関係なく勝手に存在するものはなく、すべてが密接につながっている」と指摘され、こう記しておられます。

 「密接に絡み合う根本的な三つの関わり、すなわち、神との関わり、隣人との関わり、大地との関わりによって、人間の生が成り立っていることを示唆しています。聖書によれば、命に関わるこれら三つの関わりは、外面的にも私たちの内側でも、引き裂かれてしまいました。この断裂が罪です」(66)。

 福音を告げ知らせるように、と遣わされている私たちには、この世界において、三つの関わりが引き裂かれている状態を、修復させる務めがあります。神が望まれる世界は、「創造主と人間と全被造界との関係」が修復され、調和が実現している世界であるはずです。

(編集「カトリック・あい」)

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2022年5月28日