・「真の羊飼いの存在を高らかに告げ知らせよう」菊地大司教の復活節第4主日説教

2021年4月24日 (土)週刊大司教第二十三回:復活節第四主日

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 三度目となりますが、政府から緊急事態宣言が出されました。期間は4月25日から5月11日までとされ、東京教区では東京都がその対象となっています。千葉県は、先に発令されているまん延防止等重点措置が、5月11日まで続くものと思われます。

 さまざまな対策が行政側から発表されていますが、東京大司教区としては、これまで行ってきた感染対策を徹底して、互いのいのちをしっかりと守る行動を続けたいと思います。祈りの時を共有し、御聖体の秘跡にあずかる機会を失わないように、基本的にはミサの公開を継続しますが、小教区の状況によっては、主任司祭の判断で非公開とされる可能性もあります。教区からの公示は、こちらのリンク先をご覧ください

 また、4月29日に予定されている、小田助祭と古市助祭の司祭叙階式は予定通り執り行いますが、感染対策のため、参加者の限定と式の簡素化をさせていただきます。詳細はこちらのリンク先をお読みください。困難な時期に叙階される二人の新司祭のために、お祈りくださいますと幸いです。

 困難な状況が継続していますが、互いに集まりともに祈り合えないときであるからこそ、それぞれの場でのお祈りを深めてください。特に、この困難な状況から一日も早く抜け出すことが出来るように、闇に光がさすように、命が守られるように、医療関係者の健康が守られるように、病床にある方々の回復のために、祈りをささげましょう。これまでも、お祈りくださっていることに感謝するとともに、感染対策を改めて引き締めるのと同様、祈りを続け深めることも、心を引き締めて継続いたしましょう。

 教皇様は昨年も5月に、ロザリオの祈りを通して、新型コロナウイルスの大感染という試練を乗り越えることができるよう、聖母の取り次ぎを祈るように呼びかけられました。その時の教皇の呼びかけの言葉です。

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私たちの母マリアの心でキリストのみ顔をともに観想することは、霊的な家族としての私たちの結びつきをさらに強め、この試練の時を乗り越える助けとなるでしょう。私は皆さんのため、とくにもっとも苦しんでいる方々のために祈ります。皆さんも私のために祈ってください」

 今年は、教皇様の呼びかけに応え、新福音化推進評議会が、5月の間、世界中の30の聖母巡礼所と共に、「ロザリオ・マラソン」を提案しています。間もなく始まる5月は聖母月です。私たちも教皇様の呼びかけに応えて、この5月に、コロナ大感染の収束を願って、ロザリオの祈りを捧げましょう。この提案のテーマは、使徒言行録12章5節の「牢に捕らわれたペトロのために教会共同体が祈った」という記述からインスピレーションを得て、「教会では熱心な祈りが神にささげられていた」とされています。

 東京教区でも、通常土曜日夕方に配信している「週刊大司教」に加えて、私と一緒にロザリオを唱えていただけるようなビデオを五月中、定期的にyoutubeで配信する予定で準備しています。一緒に祈りをささげてくだされば幸いです。

 「祈りには力がある」と私たちは信じています。ヤコブの手紙5章16節に「だから、主に癒やしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」と記されている通りです。

 なお上の写真は、4月28日までの予定で、カテドラルのケルンホールで開催中の『ミャンマーの平和願う写真展」アウンサンスーチーと家族の写真を中心に』を昨日訪れたときのものです。4月28日まで、「ビルマ応援の会」が主催して毎日午前11時から午後4時まで開かれています。

以下、復活節第四主日の週刊大司教メッセージ原稿です。なおメッセージでも触れているように、この主日は、世界召命祈願日でもあり、司祭・修道者の召命のために、特にお祈りと献金をお願いする日でもあります。

【復活節第四主日B(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第23回 2021年4月25日】

 「私は良い羊飼いである」とイエスはヨハネ福音で宣言されます。「良い羊飼い」がいるのであれば、「悪い羊飼い」もいるのでしょうが、それをイエスは「自分の羊を持たない雇い人」と述べ、羊のことを自らの一部として心にかけることのない者だ、と指摘します。すなわち、神は、ご自分が賜物として命を与えられた私たちを、ご自分の羊、ご自分の一部として心にかけ、「その羊のためならば命を懸ける」とまで宣言されます。その上で、イエスは、ご自分の羊となっていない羊の存在をも心にかけ、「一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」ことが、最終的な目的であることを明示します。

 使徒言行録は、ペトロとヨハネが共に、足の不自由な人を癒やしたことで捕らえられ、「お前たちは何の権威によって、誰の名によって、ああいうことをしたのか」と、議員、長老、律法学者たちから尋問を受けた時の、ペトロの答えを記しています。

 自らが権威をもって人々を教え導いていた議員、長老、律法学者にしてみれば、自分たちこそが民の指導者、すなわち羊飼いであるとの自負があったことでしょう。それを打ち砕くように、どこの誰とも分からないペトロたちが人々からの賞賛を浴びていたのですから、困惑や妬みから、二人を赦すことができなかったのかもしれません。

 それに対してペトロは、イエスこそが救いをもたらす真の羊飼いであることを、高らかに宣言します。しかもその羊飼いは、すべての人の救いのために、既に自らの命を捨ててその愛を証ししているのです。人々から見捨てられた主は、今や復活されて、「動くことのない隅の親石として世界を支配しているのだ」と明確に宣言します。

イエスご自身が明示されたように、「ひとりの羊飼いに導かれ、一つの群れになる」ことが最終的な目的であるならば、ペトロがそうしたように、私たちも、真の羊飼いの存在を高らかに告げ知らせなければなりません。使徒ヨハネも手紙に、「世が私たちを知らないのは、御父を知らなかったからです」と記していますが、そうであればこそ、私たちは、御父の存在を告げ知らせなくてはなりません。

 教会は復活節第四主日を、世界召命祈願日と定めており、司祭や修道者への召命のために特に祈りを捧げる日となっています。例年、教区の一粒会が主催して、この日の午後に東京のカテドラルでは、神学生や志願者を招いて召命祈願ミサが捧げられてきました。残念ながら、昨年に続いて今年も、このミサは中止となりましたが、改めて皆さまには、司祭・修道者への召命のために、またその道を歩んでいる多くの方のためにお祈りくださるよう、お願いいたします。

 もちろん召命を語ることは、司祭・修道者の召命を語ることにとどまらず、すべてのキリスト者に対する召命を語ることでもあります。司祭・修道者の召命があるように、信徒の召命もあることは、幾たびも繰り返されてきたところです。私たち皆が、ペトロに倣って、真の羊飼いの存在を高らかに告げ知らせる「言葉と行いによる証しの業」に取り組まなくてはなりません。

 同時に教会共同体には、真の牧者に倣ってそれぞれの群れを導く牧者も必要です。生活のすべてを賭けて福音を証しする修道者も必要です。世界召命祈願日にあたり、信徒一人ひとりが固有の召命に目覚め、また司祭修道者の召命に目覚める人が一人でも多くあるように祈りましょう。

(編集「カトリック・あい」)

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2021年4月24日