・講演「教皇フランシスコが実践する『慈しみの地政学』」(Fr. Antonio Spadaro S.J.)

(2019.9.20 カトリック・あい)

教皇フランシスコが11月下旬に来日されるが、教皇の側近、アントニオ・スパダロ師(La Civilta Cattolica編集長、イエズス会士)がその準備のため来日、19日に上智大学で「教皇フランシスコによる慈しみの地政学」をテーマに講演した。ご本人と主催者・上智大学の了解を得て、以下にその講演の内容を掲載します。

(文責「カトリック・あい」南條俊二)

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 教皇フランシスコはその言動で、いつも人々を驚かせます。ですから、日本においでになった時に、どのようなお話をなさるのか、実際には”蓋を開けて”みないと分からないのですが、何回か教皇の海外訪問に同行し、身近に接してきた私の経験をもとに、お話ししたいと思います。私の話が、教皇の訪日の思い、意義を理解していただく一助となることを期待してお話を始めます。

*教皇フランシスコの外国訪問は常に「慈しみの旅」

 まず、この講演のテーマ「教皇フランシスコの慈しみの地政学」です。教皇は今年1月の在バチカンの各国外交団への新年あいさつで「慈しみ」という言葉を8回使われました。昨年になさった外国司牧訪問は「慈しみ」の旅でした。旅の根底にあるものは「慈しみ」。それが教皇の地政学のビジョンとも言えます。教皇にとって、それは抽象的な概念ではありません。人々の生活の中にある神の心そのものなのです。

 フランシスコが2013年春に教皇になられて、最初に私とのインタビューに応じてくださったのですが、お話の中で印象的だったのは「教会は”野戦病院”」という言葉でした。教皇はその後、教会のあり方を表現する際に、この言葉を何度もお使いになっていますが、この時が初めてでした-教会は野戦病院であり、野戦病院でなければ、教会ではないーと。もちろんその背景には、「慈しみ」があるのです。

*その実践の具体例は数多い

 具体的に、教皇が「慈しみの地政学」をどのように実践されて来たのか、具体的に振り返ってみましょう。

 まず、内戦が激化したシリアへの対応です。教皇は、2013年9月1日の「お告げの祈り」の中で、同月7日を「シリアと中東地域、全世界の平和のための断食と祈りの日」とすることを宣言。バチカンでの参加者10万人を超える祈りの集会で教皇は「暴力と戦争は決して平和をもたらさない」と訴えました。和平への働きかけは世界の宗教指導者たちにとどまらず、各国指導者にも書簡などで和平での努力を呼びかけ、さらに教皇の意を体したバチカン国務省が各国大使を集めて、対話と和解、分裂回避を目指すバチカンの外交方針を示すなど、具体的な取り組みが進められました。

 次に中国です。教皇フランシスコは、2013年春の就任以来、バチカンが国交を持っていない中国との関係改善に意欲を示しておられます。教皇は2017年にミャンマー、バングラデシュを訪問され、そこでも中国の国際社会における役割の重要性を認識されました。教皇は語っておられますー中国は世界の大国。平和を求めるなら、中国の役割を考える必要がある、と。

 ちょうど一年前、バチカンと中国政府が中国国内の司教任命について暫定合意しましたが、これ自体は司牧的。中国国内での司牧についての希望のメッセージですが、「到達点」ではなく、「出発点」です。これがそのまま、中国の信徒たちの環境が改善される、という保証はまだありませんが、バチカンと中国との関係改善は可能です。

 中南米では、キューバと米国の関係改善に努めています。バチカンのパロリン国務長官は、バチカンが歴史を書き換えることはないが、”前進”させることを希望する、と語っています。武力紛争が長期化していたコロンビアにも紛争終結の努力を訴えられ、2016年6月に政府と左翼ゲリラ、コロンビア革命軍(FARC)が武力紛争終結の最終合意文書に署名に至りました。

 深刻なミャンマーのロヒンギア難民の問題に対しても教皇は継続的な関わりを表明されており、ミャンマー、バングラデシュ訪問の際、バングラデシュの難民キャンプに生活しているときと会われました。私はその場に居合わせたのですが、教皇は涙を浮かべて彼らの訴えをお聞きになりました。とても感動的な瞬間でした。

 教皇は、”世界を、政治とモラルの混同や、絶対的な善と悪で二分して見るのを嫌われます。世界は(注:善悪がはっきりした)”ハリウッド映画”ではない。常にいろいろな利害が対立し、ひしめき合っている。そうした中で、行動している人と会い、ソフトパワーを発揮して、善のために互いに努力するーそれが教皇のお考えです。

*原理主義的思考、カオスへの恐れを解消する「地政学」

 教皇の考えておられる「地政学」は、原理主義的発想、カオスへの恐れを解消しようとするものです。「宗教イコール原理主義」の立場をとりません。宗教間の衝突、文明間の衝突とは関係しません。「カオスがある」と思うだけで、分断が起き、政治と宗教がくっついてしまう。政治的な成功に必要なのは、人々の間にカオスを増幅させ、煽動し、ありもしない恐怖を与えることだ、と言う人がいますが、教皇はこうした考えに反対します。平和を非暴力によって追求する、恐怖を与えるような言葉を使わない、という立場を明確にされています。

 イスラム系のテロリストたちに、教皇は「彼らは可哀そうな犯罪者だ」と言われます。彼らを糾弾する一方で、”共感”を示されます。教皇は、2014年5月の聖地巡礼中にイエスがヨハネから洗礼を受けたとされるベタニアでなさった説教で、「テロリストたちは”放蕩息子”です。悪魔の化身ではありません」とも語っておられます。味方だけでなく、敵も愛する、ということです。

 カトリックは、政治的な権力を保証する存在ではありません。ローマ帝国を継承するのはキリスト教会だ、という誘いに教皇は乗りません。錆びた鎧を脱ぎ、真の力―統合する力-を神に戻すこと。統合する力こそ、神のユニークさなのです。教皇は、米国の司教団とお会いになった時、十字架を世俗的な闘争の”横断幕”に、政治的な利益のために、使ってはならない、と言われました。教会の役割は、終末論から未来を見据え、神の国に向かって、正義と平和にこの世を導くことにある、と教皇は考えます。

*西欧のリーダーシップ喪失の危機に対し、アジアは多様性の中で若いエネルギーに溢れている

 キリスト教を奉じていた西欧でリーダーシップの危機が起きる一方、アジアでは宗教的、精神的価値観が生き生きとしています。多様な文化、宗教。地政学的、人口動態的にも多様性に富み、様々な矛盾が存在する一方で、若いエネルギーに溢れている。フィリピンや東チモールを除いて、アジアでは、カトリック教徒は少数派。無数の宗教的伝統がひしめいている。仏教、キリスト教、イスラム教に、古くからの民俗信仰が交わっています。そうしたアジアの国々へ、宣教師たちが、現地の文化の中に入っていきました。

*教皇の”野戦病院外交”は”傷”に触れる癒しの行為

 先の話に戻りますが、教皇が外国訪問でなさっているのは、”野戦病院外交”です。傷ついた人々、その象徴としての場所に触れ、癒すー抽象的でなく、具体的です。聖地巡礼でも、エルサレムの嘆きの壁に顔をお付けになった、それは癒しの行為でした。ナチのユダヤ人大量殺戮の現場となったアウシュヴィッツを訪れた時も、処刑の場所の壁に無言で手を触れられ、2017年末に武装集団による襲撃で多くの死者を出したカイロ郊外のコプト教会でも同様のことをなさいました。

 キリストがなさったように、「傷」を癒し、人々を隔てている「壁」を「橋」に変える努力を行動で示し続けておられるのです。

 今、地球上のあちこちで小型の”第三次世界大戦”が起きています。平和と正義が揺らいでいる。移民・難民、社会の中でのけ者にされた人々、その背景にアフリカの砂漠化進行なども要因になっている。コロンビアの場合もそうですが、不正、貧困の問題を無視しては和平を達成することはできません。「統合」を基礎に平和を作らねば、新たな紛争を生む。「共通善」を世界に広げることで、平和を実現していくーシンプル過ぎるかもしれませんが、それが「地政学的に慈しみを考える」ことにつながるのです。

*訪日のテーマ「すべてのいのちを守る」、教皇の願いは「命の福音」を伝えること

 教皇フランシスコの今回の訪日のテーマは「すべてのいのちを守る」です。経済、環境の問題、津波や地震など自然災害、原発事故など、さまざまな課題を抱える日本に、キリストが伝えようとした「命の福音」を伝えたい、というのが教皇の願いです。核不拡散の戦いも重要です。日本人は平和の大切さをよく理解しておられます。

 昨年11月にバチカンのギャラガー外務局長が 2018年ギャラハー・バチカン外務局長が来日した際も、そのことを強調され、教皇は一昨年の末に、長崎原爆被災直後に米国の従軍カメラマンが撮った「焼き場に立つ少年」の写真を複製し、裏に「戦争がもたらすもの」と題する小文を署名入りで印刷したカードをお配りになりました。広島、長崎訪問では、原爆犠牲者たちのために祈り、所有も含めた核兵器の廃絶を改めて訴えられる見通しで、来年に予定する国連での核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議での前向きの議論を促すことが期待されます。

 教皇が司祭叙階した時から、ずっと日本での宣教を希望されていたことはよく知られています。健康上の理由から果たすことはできませんでしたが、16世紀にイエズス会士、フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えて以来、数々の迫害に耐え、司祭がいなくなっても、信徒たちが教えを伝え続けたことに、強い感銘を受けておられました。

 教皇だけでなく、多くのイエズス会士にとって日本は魅力的な国であり続けました。そして、イエズス会日本管区からこの半世紀の間に、アルペ、ニコラスの二人のイエズス会のトップ、総長を輩出しています。上智大学の理事長、学長として大学教育に貢献され、グレゴリアン大学学長、そしてヨハネ・パウロ二世教皇に乞われてバチカンの教育次官・大司教になられたピタウ神父もおられます。

 「神は、時速3マイル歩かれる」と言われます。それは、人が歩く場合の普通の速さ。つまり、神は、私たちの歩幅に合わせて、寄り添ってくださる、のです。速やかにすべての結果を出すことはできませんが、目標に向かって着実に歩むのを神は支えてくださるのです。そのような心で、「地政学的な観点」から教皇をお迎えし、見守っていただきたいと思います。

 

 

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2019年9月20日